基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

科学者の悪事を概観し、科学的探求と倫理のせめぎあいを描いた一冊──『アイスピックを握る外科医 背徳、殺人、詐欺を行う卑劣な科学者』

この『アイスピックを握る外科医』は、墓泥棒から動物の虐待まで、主に科学的探求や功名心から悪徳に手を染めてきた科学者たちのエピソードをまとめた一冊である。

著者は『スプーンと元素周期表』、『空気と人類』など様々な科学分野を一般向けに書いてきた凄腕サイエンスライターのサム・キーン。彼の本は訳されたらまず読むというぐらいには信頼しているのだけど、本書も例に漏れずおもしろかった。ひとつひとつのエピソードが魅力的なのはもちろんだが、それに加えてなぜ科学者は時にいかさまや犯罪行為を行ってしまうのか、科学の悪用を防いで減らすためには何をしたらいいのかといった縦軸のテーマもしっかりしており、一冊通して楽しませてくれる。

全12章で「海賊行為」から「いかさま」まで様々な悪徳行為をおかした科学者たちが紹介されていくので、そのうちおもしろかったものを中心に紹介していこう。

墓泥棒

最初に紹介したいのは「墓泥棒」を犯した医者たちの話だ。18世紀頃、大英帝国では解剖が禁じられていた。人々は死後解剖されることで、死者を蘇らせる最後の審判の日に自分の体がバラバラの状態であることを恐れていたのだ。英国政府はそのかわりに、犯罪者など一部の死体を解剖学者に提供していたが、十分な数ではない。

解剖に使う死体が足りなければ、墓を掘り起こすしかないか、と考えるものもでてくる。みずから行為に及ぶ科学者もいれば、学生に協力を頼んで墓泥棒をさせる科学者もいた。中でも飛び抜けていたのがジョン・ハンターという外科医・解剖学者だ。彼は人間以外の動物も含めて解剖が大好きでおびただしい数の動物を切開し、数多くの発見も残している。が、その代償として、数多くの死体を盗んでいたのだ。

彼の大邸宅には、不健全な第二の裏口があった。それは死体盗掘人専用のもので、裏通りに面し、午前二時に彼らがこそこそと入り、その晩の獲物を下ろしていくのだ。

墓泥棒って要は夜中に墓を掘り返すだけでしょ? 簡単じゃん、と本書を読む前は思っていたのだけど、墓泥棒はソロでやるもんじゃなく、チームを組んで行う本格的なものだったのだという。女性のスパイが貧民の収容施設をうろつき人が死ぬのを待ち、誰かが死ぬとスパイは葬式に参列し、棺にいじると爆発するような罠が仕掛けられていることもあるので、それも気をつけて──とかなり手間がかかるのである。

また、チームで動くのが普通ということはそれだけ儲かることを意味している。ハンターの時代、大人の死体は2ポンド(農場労働者が1シーズンで稼いでいた額)で、臨月の妊婦など珍しい死体の場合20ポンド(現在の2500ドル)にもなった。1810年代頃になると死体一つが16ポンド、平均的な労働者が5年で稼ぐ額にもなり、そうすると今度はこそこそと死体を盗むのではなく、積極的に”死体を製造しよう”というものさえ出てくる。事実上の殺し屋のバークとヘアの二人がそれで、二人は次々と人間を殺し、死体を欲する科学者に売り払っていた。なかなか凄まじい時代である。

動物虐待

読むのが一番つらかったのが「動物虐待」についての章。主人公は名高いエジソンだ。エジソンは当時ニコラ・テスラとの間で「電流戦争」と呼ばれる争いを続けていた。交流送電を中心としたシステムを提案したテスラにたいして、エジソンは自分が特許を持っている直流送電を中心としたシステムを進めたく、争っていたのだ。

これは醜い争いで、エジソンは相手をけなして自分の優位を築こうとしていたが、途中からそれだけでは足りない。交流の危険性を積極的にわからせる必要があると考えるようになった。その手段の一つが、本物の犬や動物を殺すことだったのだ。エジソンは野良犬一頭ずつに金を払って、記者たちに犬を「交流」電流で殺す様を幾度もみせた。「即死する」が触れ込みだったが、犬は飛び上がって泣きわめくケースも多く、とにかくむごい。最終的には子牛、馬など次々と殺していたのだが、エジソンらは依然として「動物たちは瞬時に痛みもなく死んでいった」と言い張っていた。

そうした過程を経て、エジソンはついに交流の危険性をより知らしめるためには、人間を殺すしかないと決意する。そのへんの人を殺すのではなく、死刑の手段として電気椅子を推進したのだが──その結果は無論、安らかなものではない。

動物に痛みを与える実験が許されていた、倫理観の異なる時代の話だろうと切り捨てるのは簡単だが、当時の人々もこれは残酷だといって批判していた。現代でもイーロン・マスクの脳デバイス企業に動物虐待疑惑が出て米当局が調査に入っている。「昔の話」ではないのだ。いったいどこまでの動物実験なら許されて、どこからは虐待にあたるのか? そのラインも、時代によって揺れ動き続けている。

いかさま

個人的に驚きだったのは「いかさま──スーパーウーマン」で取り上げられているアニー・ドゥーカンという女性。彼女の仕事は警察が捜査で押収した薬物の鑑定なのだが、通常ではありえない作業量をこなしていた。その数はほかの9人の分析官の平均の3倍で、研究所の処理料全体の4分の1を超えていた。職場の人は彼女をスーパーウーマンと呼んで自身もそれを誇っていたが──彼女がそれだけの鑑定を行えたのは、検査結果を全部改ざん・捏造をしてなんにも正しく分析していなかったからだった。

しかし次第に、常識的に考えて早すぎること。また、検査で絶対に必要な道具が使われていないことなど細かな違和感が積み重なり彼女は追い詰められていくのだが、最終的には6年以上にわたって捏造(3万6000点の検査を行っていた)を繰り返していたことになる。彼女の検査、そのすべてに疑問符がつき、最終的に裁判所は2万1587件の有罪判決を覆したという。歴史に残る犯罪者ではないが(結局3年から5年の実刑にすぎず、しかも3年未満で出所している)印象に残る人物だ。

彼女の事例は数ある研究不正(彼女の場合研究ではないけど)のうちの一例にすぎない。『毎年何百もの科学論文が撤回されており、確かな数はわからないが、その半分ぐらいは捏造などの不正行為のためだ。』『多くの人は、賢い人間ほど見識が豊かで倫理に従うものだとのんきに思っている。だが、むしろ証拠は逆のことを示している。賢い人間は、自分が賢いから捕まらないと思っているためである。』

おわりに

なぜ科学者は不正に手を出してしまうのか。また、それを食い止めるために何ができるのか。本稿では取り上げきれなかったが、そうした論点も本書ではたくさん語られているので、よかったら手にとって見てね。