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間違いだらけの論文──『生命科学クライシス―新薬開発の危ない現場』

生命科学クライシス―新薬開発の危ない現場

生命科学クライシス―新薬開発の危ない現場

毎年100万件以上の生物医学研究の論文が科学文献に発表されるが、その多くが間違っている──という、恐ろしい状況について書いた本である。何がどう間違っているのか。仮に本当に間違っているとして、なぜ研究者はその過ちを故意にしろ意図的にしろ起こしてしまうのか──? について、広範に渡って調査していく一冊になる。

論文の「間違い」の話は、僕は統計系の科学ノンフィクションを読む過程で「よくあることらしい」と知ってはいたが(『ダメな統計学』や『データは騙る』など)、生物医学系の研究に絞った多くの調査について読んだのは本書が初めてだから、興味深く読んだ。たとえば、アメリカ細胞生物学会で会員に「発表された研究成結果をいずれかの時点で再現できなかったことがある」という問いに、71%がはいと答えている。『ネイチャー』誌が行った1500人以上の科学者への調査でも、70%の科学者が再現を失敗し、半数は再現性の「重大な危機」があることに同意したという。

正直言って、その二つの調査は厳密性には欠けるとは思うが、とはいえそれがこの問題の難しさに拍車をかけている。日々多くの論文が掲載されるが、それを全件調査するのはコスト的な意味で完全に不可能なうえに、金にもならず特別な専門知識が必要とされるわりに論文などの成果にもなりづらいから、そもそも調査をわざわざやりたがる人が多くないのだ。そもそも、生物学系の研究なのであるとき突然、それまでは再現性のとれていた手法が検知できない微妙な変化によって再現性がとれなくなってしまうというケースもある。そんな状況なので、研究を元としてスタートする製薬実験などは、より厳密な試験体制が整っている段階に進むと9割は脱落するという。

恐らく、こうした再現性の認められないダメ論文が残されていることと関係しているのだろう。新薬の承認率は1950年代から下がり続けているのだ。

そもそもなぜ間違えるのか

しかしなぜそんなに再現性がない研究が蔓延してしまうのか。ひとつには先にも書いたように、生物を相手にする宿命的なところもあるが、他にも数多くの理由がある。現状、科学者は成果を出さねばならないというプレッシャにさらされているから、失敗した実験よりうまくいった実験の結果を報告してしまう。興味をそそるアイディアを追求している科学者は、自分が期待するものをデータのなかにわざわざ見出してしまう「観察者バイアス」にも陥りがちだ。測定機器の精度が悪いこともある。

動物実験がテーマの章では、マウスにALSのような症状を出す変異遺伝子SOD-1を導入して研究を進める事例が紹介されるものの、そのマウスは本当のALSになるわけではない。また、SOD-1の突然変異が人間のALS患者で起こるのはわずか2%に過ぎない。つまり、仮に変異を起こしたマウスで効果が出たとしても、患者に役に立つわけがないのだが、意義がどれほどあるかわからなくとも実際には他に優れたモデルもなく、そもそも他に取りうる選択肢がないという苦しい状況もある。前任者や上の人間がやっていたから、特に何も疑問に思わずにそのマウスを使っているなど、そもそも「前提となる実験動物のことを深く考えない」ケースもあるようだ。

関連して実験動物であるマウスについての話だが、そもそもマウスは人間ではないので、『マウスから人間のことがどれほど予測できるのかは、誰にもわかりません』と語る。よく「マウスでこんな劇的な効果が! 人間にも応用できるかも!」というニュースが話題になるが、マウスと人間はあまりにも違うので、マウスに聞いたものが人間に聞かないことも、その逆もなんでもありうる。たとえば敗血症の治療薬は150種以上がマウスを用いて開発されてきたが、効果のあるものはひとつもなかった。炎症に関わる人間の遺伝子はマウスと実質的に関連がないので、マウスを用いた数十年に及ぶ炎症研究はほとんど意味のないものだったのだ。もちろんすべてが効果がないわけではないけれども、マウスの研究成果で人間にも〜と煽り立てるようなニュース記事は、害の方が大きのではないか。正直もう少し良く考えたほうがいいと思う。

第五章では細胞を用いた全研究の18〜36%で誤認細胞株が使われているとする、細胞取り違い問題について語っていくが、これもまあひどい。マングースの細胞株だと思ったら実はヒトの細胞だったとか、ハムスターの二つの細胞株だと思っていたらマーモセットとヒトの細胞だったとか、そんな事例が数多く紹介される。これは○○の細胞じゃない! と見ても気づかないだろうからしょうがないのかもしれないが、脳腫瘍の一種の膠芽腫の研究で、700件を超えて用いられていたU-373という細胞株も、長年出回っている間に別の細胞と取り違えられ、しかも変異やその他の遺伝子変化が蓄積された全く別のものとなって研究に用いられていることもわかっている。

おわりに

生物医学系の研究にはこんなふうに各所に落とし穴があるが、行き場のないポスドク、論文の質よりも数が評価される風潮、それと同時に有名な雑誌に研究をのせてもらうことがキャリアアップに繋がるなど、環境の側にも大きな問題がある。研究にはきちんとした実施基準も存在するし、それを守っているかが研究資金を提供するかどうかの判断基準にする、統計学の専門家を加えるなどして、雑誌の査読プロセスを改善する(本書を読んでいて驚いたが、査読は通常無償なのだという)、査読プロセスを公開するなど、ある意味問題が山積みだからこそ改善すべきポイントはいくらでも湧いてくるのが、希望といえば希望か。みんな一度読んでおくといいと思う本である。