基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

飲み会で顔をあわせた韓国作家らが生み出した、スチームパンク・シェアワールドアンソロジー──『蒸気駆動の男: 朝鮮王朝スチームパンク年代記』

この『蒸気駆動の男』は、飲み会に居合わせた5人の韓国人作家がその場で盛り上がって刊行にまでこぎつけたスチームパンクアンソロジーだ。アンソロジーといえばテーマを決めてそれぞれが独自の作品を書いてくるケースが多いが、本作の場合は共通の年代記・世界観で5人が描き出す、シェアワールド的な作品になっている。取り扱われているのは現代ではなくて1300年代から1800年代頃、朝鮮王朝があった過去であり、そこにもし蒸気機関があったとしたら──というイフを挿入していく。

装丁もいいし、僕がもともとスチームパンク好きというのもあって期待して読み始めたのだけど、これが想像以上におもしろい! たとえばスチームパンクとはいってもその歴史、イベントは基本的に史実をなぞっていて、あの歴史的出来事・人物の裏側はこうだったのかもしれない……という部分を蒸気機関技術が埋めていく。そのため、スチームパンクとしての魅力と、朝鮮史物としての魅力が両立しているのだ。

5篇しかないので全体を紹介していこう。基本的に作品は収録順に時代が現代に近づいていって、読み進めるごとに蒸気機関で出来ることも増え、それが物語に反映されていく。ただしどの時代も蒸気機械の利用が許可されているわけでもなく──と、そのへんのダイナミズムが描けるのも500年続いた王朝を舞台に選んだ利点だろう。

チョン・ミョンソプ『蒸気の獄』

最初に収録されているのは、チョン・ミョンソプ「蒸気の獄」。1519年に李氏朝鮮の11代の国王が、蒸気機械の積極的な利用を主張していた趙光祖(チョ・グァンジョ)とその仲間たち(国王も趙も実在の人物)を処罰し、趙光祖は王命によって自死を強いられることになる(これが作中では蒸気の獄と呼ばれる)。だが、国王はそれ以前はむしろ趙光祖を信頼し、積極的に蒸気機械の利用価値を認めていたという。

はたして、なぜ重用されていたはずの趙光祖が処罰されたのか。その謎を、国王が死んだ1544年、廟号(高貴な人の死後に贈られる称号)を決める議論の過程で解き明かしていく。たとえば国王は蒸気を愛していたので蒸の字をつけようと意見が出るが、彼は本当に蒸気を愛していたのか?(趙光祖を処罰したのに)という疑問もはさまれる。それ以外にも「宗」の字をつけるか「祖」の字をつけるかも功労や徳の面からの議論があって──と、「廟号の決定する過程と歴史の検証」という歴史的にマニアックなテーマを見事に蒸気機関と絡めてみせた一篇だ。

エジン「君子の道」

それに続くのは情け容赦のない身分制度が描かれるパク・エジン「君子の道」。朝鮮王朝時代は王族を頂点として激しい身分制度があった。支配階層の「両班」、専門職の官吏「中人」、農民・商人の「常民」、ここまでが「良人」で、その下に自由がない「賤民」が続く。「奴婢」は賤民の多数を占めるが、奴隷的存在であり、本作の主人公もこの立場の人間として主人から激しい暴力を受ける日々を過ごしていく。

語り手の「儂」が息子に自身の半生を語りかける形で物語が進行していくが、その過去は悲惨そのものだ。旦那様に奴婢だった母親が犯され、その子供として生まれてきたのが「儂」である。旦那様はもちろんその妻にも疎まれ、暴力を受け、彼らの子が生まれてからはその子からも激しい暴力を受ける。儂はしかし、生き延びるため、気をそらせるようなおもちゃを汽機術で作り上げ、次第にその技術を練り上げていく。

果ては、まるで勉強する気もないぐうたらな坊ちゃまのために、字を書き、発声まで可能な蒸気機関の人体を作り上げるまでに至り──と、身分制度の暗い側面を描きながら、被支配者が技術(蒸気機関)で成り上がっていく様を描き出している。「蒸気の獄」とあわせて、歴史のおもしろさが詰め込まれた一篇だ。

キム・イファン「「朴氏夫人伝」」

続くキム・イファン「「朴氏夫人伝」」は本書収録作の中では軽めな読み味の、アクション寄りの一篇。この時代(1600年代)に一般市民による蒸気機械の使用は禁じられているのだが、主人公は山中の鍛冶屋が蒸気機械を利用して鍛冶を効率化している事実を偶然知ってしまう。それどころか、鍛冶屋の旦那の片腕は蒸気機械の義手で──と、”禁じられた技術”を身に宿す者という、そそるシチュエーションで物語が進行していく。この路線だけで一本アンソロジーが読みたいぐらいの作品だ。

パク・ハル「厭魅蠱毒」

パク・ハル「厭魅蠱毒」は呪い✗蒸気機械をテーマに据えたミステリー的な一篇。ある呪術師が呪いを使ったという噂が民衆に広がり、王命により拷問の末殺されるが、その過程には不可解な点がいくつもあった。たとえば呪いの確実な証拠もなければ、被害者すらもいない。それどころか、噂を広げたのはその呪術師本人だったという。

いったいなぜ自分の命を縮める噂を広めねばならなかったのか──が、調査が進む過程で明らかになっていくわけだが、そこでもやはり蒸気機械が魅力的な舞台装置として絡んでくる。この短篇に出てくる蒸気機械の描写がかっこいんだこれが。漫画やドラマでおなじみの暗行御史(国王直属の官吏で、地方官吏を監視する役目を持った人々で、正義の味方として描かれることが多い)が出てくる一篇でもある。

イ・ソヨン「知申事の蒸気」

最後に収録され、時系列的にも朝鮮王朝の最終盤にあたるのがイ・ソヨン「知申事の蒸気」。「君子の道」では人間そっくりの蒸気機械(汽機人)が作り上げられる様が描かれていたが、本作では自分の名前すら忘れた、記憶喪失の汽機人が洪国栄(ホン・グギョン)として政治の中枢に関わるようになる過程を描き出していく。

洪国栄は実在の人物名で、ドラマなどで知られる第22代国王イ・サンの右腕として活躍した人物だ。だが、妹がイ・サンの側室になった翌年に病没すると政治の舞台から失脚し、すぐに亡くなってしまっている。その失脚も妹の死の真相も不明な点が多いが、その時何が起こっていたのか。人間の命令に絶対的に従うはずの汽機人・洪国栄が政治の場から追われることになったのはなぜなのか。当初は絶対の信頼で結ばれていたイ・サンと洪国栄の間で何が起こったのか──これまでの4作の積み重ねと歴史のロマンがかけあわさって、本書収録作の中でも特にお気に入りの一篇だ。

おわりに

本記事では触れられなかったが、各短篇には歴史の転換点で常に暗躍してきた(たとえば豊臣秀吉による襲撃の際など)、蒸気機関で動くと噂される謎の男・都老(トロ)の存在が絡んできて、読み進めるたびにその正体が判明していくなど、シェアワールドだからこそのおもしろさもきっちりある。5人という少人数アンソロジーであることもあって、「同じ世界感のはずなのに作家によって描写やテイストが違いすぎる」こともなく、統一感ある形で全体がまとまっているのも良いポイントだ。