基本読書

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脳内で地図を作成する能力が衰えていくと、何が起こり得るのか?──『失われゆく我々の内なる地図 空間認知の隠れた役割』

少なくとも移動という点において、現代は素晴らしい時代になったといえるだろう。僕は相当な方向音痴で、スマホのナビアプリがない時代は目的地にたどり着くのは難しいことだった。地図をみずに目的地にたどりつけないのではなく、場所を事前にネットで検索し、地図を印刷してそれをみながら歩いても、たどり着けないのだ。

その弱点が牙を向いてきたのは就活時代で、その当時iPHoneにはいちおう地図アプリがあって、僕も入れていたが、ゴミのような性能だった。パチンコガンダム駅とかいう意味不明な駅が爆誕していたり、羽田空港が大王製紙になっていたり。とにかくひどい有様で、今のような安心感は微塵もなかった。そんな就活をしていた時代に、1日に2、3個予定を詰め込んで会社説明会をはしごしていたのだが、そうすると駅を降りて15分ほどの短い猶予の中で行ったことのない場所にたどりつかねばならない。

べつに方向感覚に優れた人なら困るようなこともないのだろう。だが、地図が理解できず、方向感覚がまるでない僕は50%ぐらいの確率でしか制限時間中に会社にたどりつくことさえできなかった。ウロウロし逆の方角に歩いていたりして、気がついたときにはもうどんなに走っても間に合わない時間であることがよくあったのだ。

しかし、なぜそれほど方向感覚が悪いのだろう? 逆に、驚くほど方向感覚に優れていて、一度行った場所・道を何年経っても細かく覚えている理由は? その両者は脳の何かが異なるのだろうか? また、脳内のどの部分が、そうした「脳内地図」作成の能力に関わってくるのか? 本書『失われゆく我々の内なる地図』は、そうした人間が持つナビゲーション能力について、多様な観点から解き明かす一冊である。

僕がひどい方向音痴であることはすでに書いたとおりだが、本書を読むとそれがなぜなのかにもある程度の理由が与えられる。さらには、歳をとって認知症やアルツハイマー病にかかるかどうかにも、こうした空間認知能力と関係してくる可能性があるなど、誰にとっても深いかかわりを持った本といえる。

人はもともと高度な地図感覚を持っている。

現代こそGPSなど便利な道具があって目的地までの道を線で示してくれるが、当然人類史のほとんどでそんなものは存在しない。狩猟採集民などは平気で数十キロ移動するが、それは彼ら自身のナビゲーション能力に支えられていた。現代で狩猟採集民的な生活をしている人々もいるが、彼らははたからみれば何の変化も特徴もない森の中や雪の中にランドマーク、目印を見出し、的確に自分の場所を把握してみせる。

ではそうした能力はどのようにして身につくのか? といえば、最初に必要なのは子供の頃からうろつくことだ、となるだろう。ある実験では、3歳から13歳までの100人の子供の親に連絡をとり、それぞれの子供に家から一番通りところまで研究者たちを連れて行ってほしい、と頼んだ。子どもたちは自分で行く場所だけでなく、道筋も自分で決めた。おもしろいのは、誰一人まっすぐ遠くへは向かわなかったのだ。

みな、ぶらぶら歩き、長い回り道をとった。ショッピングモールを抜け、空き地を横切り、サッカーの試合を突っ切り──。子どもは通常、このように気のむくままにうろつくことで、空間に対する理解を発達させ、冒険家としての自信を深めていく。彼らにとっては目的地へと向かう、その道中こそが目的だ。自由に歩き回ることを許されている子供のほうが、周りの環境や方向についての感覚が優れており、たとえばより詳細な地図を書けることが、膨大な心理学の論文からもわかっている。

 人は自由な遊びを通じて、空間に対する不安を感じにくくなり、ウェイファインディングに巧みになる。子どもの頃きわめて狭いホームレンジで暮らした人は、大人になると、ナビゲーション行動に不安を感じるようになる。そのことは特に少女に当てはまることが多い。

『子どもの頃きわめて狭いホームレンジで暮らした人は、大人になると、ナビゲーション行動に不安を感じるようになる。』とあるが、これはまさに僕が方向音痴に至った理由のひとつだろう。記憶にある風景はゲームばかりしていた日々であり、ろくに外に出て遊んだりしなかった。そうした傾向は、現代ではより強くなっている。

脳内のどこがその役割を担っているのか?

脳はどのようにして自分が今どこにいて、目的地を認識するのか? わかっていないことも多いが、判明しているかぎりでは、主に4つのニューロンが関わっている。

ひとつは、海馬にある場所細胞と呼ばれるもので、これは環境内の特定の場所にいるときに常に活性化する、場所を記憶する細胞だ。もうひとつ重要なものは嗅内皮質にある格子細胞で、これは我々が空間内を動くのにあわせて六角形のパターンで発火し、空間における自分の位置を教える。30メートル移動して、30メートル戻ったら、格子細胞もより小さなスケールではあるが同じように発火が移動して、また戻る。

あとの二つは、一定の方向を向いている時に常に活性化する頭方位細胞、壁や場所の終焉といった教会までの距離と方向を示す境界細胞が関係してくる。これらは自分が実際に移動した時だけでなく、頭の中で移動することを想像しただけでも同じパターンで発火するので、おそらく行った場所や行く場所を思い返せば思い返すほど、その場所は記憶に定着しやすくなる、これは、ラットではすでに確認された事象だ。

おもしろいのは、こうした場所細胞/格子細胞のような空間認識の仕組みが、過去の記憶や抽象的な思考(民主主義についてなど)にも用いられているのではないか、という指摘である。『脳の空間システムは、単に空間を表象するためだけでなく、多くの違ったタイプの知識をまとめあげるためにも、地図を使っているようだ。そのおかげで、私たちは外的世界だけでなく内的世界をも思い通り行き来できるのだ。』

これについては先日書いた『脳は世界をどう見ているのか』記事に詳しいので読んでほしいが、もしこれが正しいとするならば、このふたつのスキルは密接に結びついている可能性がある。たとえば、よく知らない都市をGPSなしで自由に動き回れる人たちは、職場の社会的な力学をうまく読み取り、それを利用してみせるように。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp

おわりに

女性は地図を読む能力が低いとする風潮があるが、これが実は正しくないと思われる理由、人は遭難したときにまっすぐ進んでいるつもりでもぐるぐる回り続ける(砂漠や森で行われた実験で、太陽がみえなくなるとみなまっすぐ歩けなくなり円を描いてあるき始めた)のはなぜなのか、空間認知を訓練し、海馬を鍛えることで認知症やアルツハイマー病を予防できる可能性など、本書の内容は人間のあらゆる年代に及ぶ。

恐ろしいのは、重要なはずの空間認知能力が、GPSの発達や子どもを一人で移動させない近年の風潮によって損なわれつつあることだ。目印となる建物や看板を記憶し目的地へと試行錯誤しながらたどり着く必要はなく、スマホの画面をじっとみつめて従っていれば目的地へとたどりつける。だが、それでは空間認知の能力は育たない。

本書は、どうすれば空間認知能力を鍛えられるのか、また子どもを自由に行動させたらどうなるのかといった知見も多数紹介されていくので、今からでも自分の能力を鍛えたい人にもぜひおすすめしたい。