原書は1995年の刊行なので待望の邦訳となる。ル・グインの新しい作品を久しぶりに読んだが、政治・宗教・社会と「異星の文化を立体的に立ち上げていく」マクロ的な手腕と、ほんのわずかな動作から人間の差別感情を浮かび上がらせるミクロ的な演出が、やはり異次元レベルにうまい。今回はテーマが奴隷制や女性の権利獲得の物語ということで展開や文体は重苦しいが、SF☓奴隷制テーマではトップクラスのおもしろさを誇るオクテイヴィア・E・バトラーの『キンドレッド』に比肩しうる作品である。
ハイニッシュ・ユニバースの流れをざっとおさらいする。
《ハイニッシュ・ユニバース》に連なる作品とはいえ、ハイニッシュ物はどれも独立した作品群なので、本作から読んでもまったく問題はない。
とはいえ流れをざっとおさらいしておく、まず古代に進歩的な文明を誇った惑星ハインとそこに住んでいた人たちが宇宙の様々な場所に(各地域の環境に合わせてだったり、単に実験目的だったりの遺伝子改変を含めて)植民するもその後闘争の時代にはいって衰退。ハインの人々と連絡がとれない植民地の人々はうん百万年がすぎるうちに自分たちの来歴も忘れて独自の文化・社会を形成するようになっている。
その後ハイン人らは復興し、新たに宇宙連合エクーメンを設立。その使節たちがかつて植民した惑星を再度訪れ、文化摩擦に苦しみながら、時間と手間をかけて理解を深めていく──というのが大まかな流れである。
今回のテーマは奴隷制と自由と解放
で、『赦しへの四つの道』である。「四つの」とついているように今回は四篇の短篇からなるが、今回のテーマは「奴隷制」と「女性の解放」になる。どの作品も惑星ウェレルとその近くの植民惑星イェイオーウェイを舞台にしているが、前者の惑星ではかつて肌の黒い人々が肌の薄い人々を侵略し奴隷制を強制した歴史がある。
一方のイェイオーウェイはウェレルから人間が奴隷を連れて入植してきた惑星で、当初資源の採掘などで多大な労働力が必要とされたことから奴隷がこの地で大量に繁殖させられた。植民から三世紀目、イェイオーウェイの人口は約4億5千万人で、そのうち所有者と奴隷の割合は1未満対100で圧倒的に奴隷が多い。それだけ多いと管理しきれるものではなくて──と、溢れかえった奴隷たちがどのようなコミュニティを築き上げたのか。また、奴隷たちは最終的に解放のための戦いを起こして自由を勝ち取るのだが、それがどのように進行したのか。それら全ては各短篇と巻末の「ウェレルおよびイェイオーウェイに関する覚え書き」(設定資料集的な)に記載されている。
本編は基本的にそうした反乱と解放が終わった後からはじまる。反乱が成功したからといってすぐさま平穏な生活が待っているわけではない。イェイオーウェイの所有者層と奴隷たちの確執は消えていないし、奴隷たちの間でも未来の方向性に向けての対立や、解放されてなお抑圧された元奴隷女性たちの戦いもある。イェイオーウェイの奴隷が解放されても、ウェレルの奴隷は解放されていなくて──と、火種は無数にくすぶっている。本作では、四つの短篇を通して、奴隷が自由を獲得していく様、長く続くその後の人生の葛藤を描き出していくのだ。
裏切り
最初に収録されている「裏切り」では、隠遁者たちが集う小さな村で暮らす元科学教師の女性ヨスと、同じ村で暮らし始めた、戦争の重要な統率者でありながらももろもろの不祥事によって失脚したアバルカムとの邂逅が語られていく。
彼の不祥事は不正な金の着服であったり、エクーメンの使節の暗殺とその責任を旧友に負わせようとする非道さであったりと数限りない。特に仲間に罪をきせようとしたのは、奴隷の世界では大罪である。一見ただのひどいやつだが、物知り顔でやってきたエクーメンをイェイオーウェイから駆逐し、真に自分たちだけの惑星を取り戻すという大きな目標のためという側面もあり、理のない行動ではない。
ここはあの方の世界だ。われわれの土地は、だれからもあたえられたものじゃない。他のひとびとの知識を分けてもらう必要もなく、彼らの神を信じる必要もない。ここはわれわれが住んでいるところだ。この大地は。ここはわれわれが死んでから、神と相まみえるところだ。
彼が本当に裏切ったのは何なのか? かつての仲間なのか、それとも──エクーメンは何万年も経ってから「われわれは遺伝子的にルーツは同一の仲間でござい!」と現れる存在なわけだけど、その暴力性について触れた一篇でもある。
赦しの日
こちらは惑星ウェレルに赴任した宇宙連合エクーメンの女性使節の物語。光速に近いスピードで何百年も移動し数々の惑星を知ってきた彼女からすれば、惑星ウェレルは奇妙で居心地の悪い場所だ。エクーメンの常識とは違って、ウェレルでは女であることは虐げられることだからだ。ここでは本来女性は人目につかぬよう家のなかにこもっているべきで、大手をふるって堂々と自由に歩き回るのはおかしいのである。
エクーメンの重要人物なので、普通ウェレルの人々も彼女にたいして慎重に応対する。具体的には、彼女をまるで男性であるかのように扱う。しかし、それも決して完璧ではない。哀れな王は彼女がまるで自分の夜の相手かのようにみてくるし、別の人物は彼女が議論で反論すると、ぽかんとした顔で凝視してくるといったように。ひとつひとつの動作、仕草から、彼女が軽んじられていることが伝わってくる。そうした文化摩擦を、エクーメン側の視点とウェレル側の視点から描き出していく。
ア・マン・オブ・ザ・ピープル
こちらもエクーメンの大使としてイェイオーウェイにやってきた男(ハヴジヴァ)の話だが、半分ほどが彼の生い立ちと「どのようにエクーメンの大使になるのかや、なるための生活や学び」のパートに当てられているので毛色は大きく異なる。
重要なのは、ハヴジヴァの人生を通してエクーメンの大使になるような、異文化へと交流する強い好奇心を持った”歴史家”と呼ばれる人々と、変化を嫌って目のまえにある儀式、神話に浸って生きている村落(プエプロ)の人々が対比的に描かれている点だ。その土地、文化に浸ってきた人間にとってはそこの常識が「真実」なのであり、歴史家が数々の惑星と文化を知って、なにか批判をしたり変化を促そうとしても、普通聞き入れられることはない。真実には偏りがあるのだ。『いかなる知識も、あらゆる知識の一部にすぎない。真実の線、真実の色。ひとたび、より大きなパターンを見たならば、もはや、部分を全体として見ることは不可能になる。』
ハヴジヴァは長い旅の果てにイェイオーウェイにたどり着き、そこで女性の権利が極度に抑圧されている──誰も女性に敬意をはらわず、投票権もなく、未だに一部の村では女性の権利を踏みにじる性的な「成人の儀式」が行われる──現状を知るが、それを彼が一度に変えることはできない。じっくりとパターンを見極め、誤りが仮にあるとするならば、そこに外側から介入するのではなく、なかにもぐりこんで織り直すこと。そうした粘り強い関係性の構築、その一端がここでは描かれている。
ある女の解放
さて、最後に収録されている「ある女の解放」は、惑星ウェレルで生まれた女奴隷のラカム人生を綴った一篇。ラカムは最初所有者の女性の性的な付き人になっていたが、所有者の夫婦が死に、その権利継承先の息子が奴隷の権利を解放したことから一転自由の身になって──と、「奴隷が自由を得ていく過程」が描き出されている。
プロットだけ語るとそうおもしろく見えないが、実際は細かな演出がおもしろい。たとえば所有者の息子は奴隷たちに自由を与えた、”良い人”だが実際には彼は親たちに押さえつけられ現実を何も知らず、ラカムからは自分の妄想の中で生きてきた人物として語られている。事実、農園の経営について彼は何も知らず、解放された奴隷たちの農園には周囲の農園の所有者らが援兵を送ってきて多くの奴隷は殺され、女は別の農園に送られて奴隷に舞い戻ることになる。息子のおかげで自由の権利書こそあるが、奴隷について法が機能しているわけではないからそんなもの無駄なのだ
解放前、所有者の息子はラカムの身体に触れることはなかったが、それもラカムからしてみれば「お情けに預かった」だけなのだ。彼のおもうままに触れうか触れないか、相手が自由に選択できる状態なのは何も変わらない。あらたな農園で奴隷生活を送るラカムはなんとか逃げ出し、奴隷が解放されたというイェイオーウェイを目指すのだが、そこは本当に奴隷を暖かく受け入れてくれる新たなユートピアか、それとも──というあたりは、自由な北部を目指して農園から逃亡する黒人奴隷たちを描いたコルソン・ホワイトヘッドの『地下鉄道』のようなおもしろさがある。
おわりに
「ある女の解放」は書物、知識がいかに人の思想・行動を変えていくのかという話でもあり、ぐっとくるんだよね。どれも重い話なだけにさらっと読み通せるわけではないが、この記事で興味を持った人にはぜひよんでもらいたい。