- 作者:N・K・ジェミシン
- 発売日: 2020/06/12
- メディア: Kindle版
話題作だったので期待して読み始めたのだけれども、いやはやこれは期待にたがわぬおもしろさだ! 巻末の設定資料・用語集だけで20ページ近くあり、「数百年ごとに文明が破壊される世界の国家・社会システム、歴史はどのようなものになりえるのか」が練り込まれた世界観。この過酷な世界で特別な力を持つがゆえに自由を失い差別を受ける能力者の人々の人生の描き込み、類まれなるセリフまわしにそのすべてを統合するロジックと、読了時は優れたファンタジイを読んだ時に湧き上がってくるような、「何か巨大な構造物に触れてしまった……」という驚きがまずは訪れた。
三部作ものの第一部なのでここだけでは多くの謎が明らかになっていないのだけれども、これだけで十分におもしろいので興味を持った方はぜひ読んでみてもらいたい。
第五の季節
書名にもなっている〈第五の季節〉というのは、この世界に数百年ごとに訪れる、地震活動や大規模な天変地異──帝国による定義では六ヶ月以上に渡る──に渡る冬のことである。この世界ではこれが何度も繰り返されており、そのたびに多くの人間が死に、文明が滅んできた。ただし、その度にすべての人間が死んだわけではない。
スティルネスの住人はいつか第五の季節がくることはわかっているのだから、日本人が地震に備えて家を作るように、食料を備蓄し壁を築き井戸を掘り、その時に備えることができる。また、オロジェンと呼ばれる熱や運動エネルギーを操作する特殊な能力者たちが存在し、彼らの活躍もあって一部のコミュニティ、国家は生存を勝ち取ってきた。だがしかし新たな〈第五の季節〉は今回の変動による冬が数百、数千年も続く可能性があるという。はたしてその時には、いったいなにがおこるのか。そもそも、なぜ今回に限ってはそこまで破壊的な〈第五の季節〉がおこったのか?
これだけは忘れてはならない──ひとつの物語の終わりは、べつの物語のはじまりだ。けっきょく、前にもこれとおなじことが起きていたのだ。人は死ぬ。古い秩序は消えていく。あたらしい社会が生まれる。「世界が終わった」といったりするが、それはたいてい嘘だ。なぜなら惑星は無事だからだ。
しかし、世界はこうして終わる。
世界はこうして終わる。
世界はこうして終わる。
つぎはない。
上記の意味深な引用部は謎の人物による物語冒頭の語りだが、物語自体は終わりに至る直前、この新しい季節の始まりから、三人の視点を通して描かれていく。
三人の物語
一人は息子を父親に殺され、娘を連れ去られたエッスンという40代の女性。なぜ父親が? と疑問に思うが、エッスンは熱や運動エネルギー操作能力を持つオロジェンの一人であり、その性質が子どもたちに遺伝していて、父親にバレてしまったのだ。
オロジェンはの強大な力は時に意図せぬ暴走を引き起こし、周囲の人間を殺し尽くすことがある。それゆえに、必要とされながらも同時に恐れられ、隠れオロジェンは見つけ次第殺されてもおかしくはない状況が続いている。父親の行動・判断はこの社会では決して異質なものではなく、むしろ称賛されうるものだ。
続くダマヤは、一般家庭に生まれたオロジェンの少女であり、両親からその力を恐れられ〈守護者〉と呼ばれるオロジェンを保護し、導く人々に引き渡される。その後の彼女のパートは、この呪われし力を制御し一人前のオロジェンになるまでが描かれていく。最後のパートは、帝国に所属するオロジェンで、指示に従って任務を実行するサイアナイトの視点で、彼女は上の命令に従って自分より高位の能力者であるアラバスターと新たなオロジェンを生み出すための子作りを半ば強制されながら旅に出る。
三人の物語はみなそれぞれ異なる形で差別され、自由を奪われたオロジェンの女性を中心にしている。エッスンは子供共々迫害され、ダマヤは両親からも見捨てられた。サイアナイトは帝国に所属してはいるものの、自由とはほど遠く、自分の地位を押し上げるために、望まぬ妊娠も受け入れるざるをえない。彼女より高位のオロジェンであるアラバスターさえも、自由なわけではない。本作は破滅的な状況を生き抜こうとする人々の物語だが、ただ「生き延びること」と「生きていく」ことは違う。
身体を道具に、心を武器にされ人生を縛り付けられているオロジェンたちが、自由を手にすることはできるのか。生き残ることだけではなく、そうした「差別と自由」の物語、「生きていくこと」の物語が、オロジェンを中心にして展開していくことになるのだ。三つばらばらの物語がどう繋がっていくのかは(この構成の巧みさは素晴らしい)、今巻だけでもわかるようになっているので、そこは心配しなくてもいい。
ファンタジイとかSFとか
ちなみに、「破滅SF」と書いているし創元のリリースにも書いてあるが、著者の謝辞では「ファンタジー」と書かれている。実際、オロジェンや国家、世界観の存在などをみてもらえればわかるように世界観・設定面ではファンタジーに近い。
一方でその能力にははっきりとした理屈が存在している。たとえばオロジェンが地殻変動をおさめるような凄い力を持っていて差別が嫌なら、オロジェン以外の普通人を皆殺しにすればいいじゃん、と思う。実際、過去にはそれを試みて国家をゆすったオロジェンもいるのだが、熱エネルギーや運動エネルギーを使って攻撃・防御をする関係上、周囲の物がすべて死に絶えていた場合操作することができずにほぼ無防備になってしまう問題があり、住民をすべて移動・建造物を灰にされて対処されたなど、わりとロジカルな戦いが展開される側面は、SFらしさを感じさせる側面である。
インタビューで著者は、本作で『魔法という言葉を使うつもりはなかった』(The idea was that I wasn't going to use the word “magic.”)*1と語っている。それは彼らの世界に当然あるもの。いわば物理法則と同じもので、魔法といって特別視をしない。彼らはそれをできるかぎり定量化して、機械的に扱い、訓練する。他所からの神話の援用ではなく、『彼らは自分たちの神話を生きている』(They are living their own myths.)というあたりが、この世界独特の構造・構成に大きく寄与しているように思う。
また、天変地異が基本的に大陸規模であること、最初の引用部にもあるように、常に枠組み、思想が「惑星」規模であることのスケール感もSF感を増している。ファンタジーでここまで「惑星」を中心に捉えて語っている作品は珍しいだろう。
おわりに
紹介しきれなかった要素として、人類とは異なる種族であるとされる「石喰い」という存在だったり、失われた文明による遺産である宙に浮かぶ「オベリスク」の存在であったり、〈耐性者〉、〈強力〉などのカースト制度が存在してることだったり、とにかく投入されている要素・文脈は数多い。
とにかく独自の世界であり、設定の量は膨大でにわかには飲み込みがたいかもしれないが、時間をかけるだけの価値がある作品だ。じっくり、楽しんでもらいたい!