基本読書

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麻雀漫画はいかにして生まれ、発展していったのかが凄まじい熱量と共に語られる、オンリーワンの通史──『麻雀漫画50年史』

この『麻雀漫画50年史』は書名の通り、70年代から現代(20年代)まで約50年の麻雀漫画の歴史を追った、オンリーワンの一冊である。僕は麻雀漫画全般に詳しいわけでも思い入れがあるわけでもないが、本書はとにかくおもしろかった。

「麻雀漫画」という狭いテーマを扱いながらも、作家や作品の関連を深く掘っていくことで小説や実際の麻雀業界、アニメ業界との関連もみえてくる。まず、そうした「麻雀を通してみる」ひとつの文化史としてそれ自体がおもしろい。そして、著者のスタイルは作品の概要を紹介するにとどまらず、作品が現代の鑑賞に耐えられるかといった率直な視点からも評していて、「麻雀漫画ガイド」としても機能している。

僕も知らない麻雀漫画が大量に紹介されていて、手に入るかどうかはともかく読みたい漫画が大量に増えた。たとえば世界を統合することが使命と信じる北島敬を主人公としたトンデモなSF麻雀漫画『ナイトストーン 危険な扇動者』とか、日本刀で首をはねとばされながらも手牌のすべてが東の東一色をツモり(特殊ルールだったため東が5枚以上持てた)1𥝱点以上の点数を叩き出した『ジャンロック』(しかもこれ単行本になってないらしい)など、普通に生きていたら出会わなそうな怪作から傑作、どうしようもない駄作まで、すべてが紹介されているのだ。『ジャンロック』の首をはねられている圧巻のシーンなど紙面の画像も豊富で、ぱらぱらとめくっていくだけでも楽しい。

 本書で記すのは、麻雀漫画という漫画界の辺境ジャンルにも様々な人物がいて、情熱や惰性によって様々な雑誌や作品が生み出されてきたということ、ただそれだけだ。その多くは現在では忘れ去られているし、まあ正直忘れ去られても仕方がないものも少なくないのだが、記録にとどめておきたかったのである。世の中にはそういうことを積極的にやりたがる人間がいるのだと思っていただきたい。(はじめにより引用)

10年ごとの各章の終わりにはその時代に生まれては消えていった各雑誌の詳細、活躍した作家・作画者らの経歴・作品表も細かく記載されている。

著者のV林田にとって初の単著であるが、デビュー作の不安定さを一切感じない、堂々とした歴史研究書だ。歴史書は丁寧に反証を潰していく必要があるのでどんな分野であれ書くのが大変であるうえに、麻雀漫画史のような参考にできる資料が少ないジャンルを書くのは未開拓の荒野を切り開いていくようなものだ。だが、著者は見事にその困難を成し遂げたといえる。その緻密さには頭が下がる。

麻雀漫画はいつジャンルとして確立しはじめたのか

というわけでここからは少し具体的に内容を紹介していこう。まず、そもそも麻雀漫画はいつ頃生まれたものなのか。本書によれば、麻雀をメインに据えた「麻雀漫画」ジャンルが確立しはじめたのはおおよそ1960年代末から70年代にかけてのこと。

たとえば1968年には岡慎太郎の「麻雀と性と死と 青春無惨詩」(『コミックVAN』)という麻雀にふける退廃的な生活を送る若者グループを描いた作品がある。ただこれは麻雀が行われて入るものの闘牌の内容までは描かれていない。続いて翌69年には闘牌の内容もしっかりと描かれ、しかもストーリーとも絡む真崎守の「四角い荒野」という作品が発表、ほぼ同時期につのだじろう「發の罠」も発表され──と、ちょうどこのあたりの時期を境に麻雀を扱う漫画がぽつぽつと現れはじめていたようだ。

なぜこの時期に麻雀を扱う漫画が増え始めたのかといえば、当時は第二次麻雀ブームといわれるブームがきていたから、というのが理由のひとつ。五味康祐による麻雀戦術書『五味マージャン教室』(66年)、阿佐田哲也の連載『麻雀放浪記』(69年)がどちらもヒットし、翌70年には阿佐田哲也、小島武夫、古川凱章とともに「麻雀新撰組」を結成(僕は聞いたこともなかったがマージャンタレント集団だったらしい)し人気に。さらには麻雀牌の製造も安くなって普及が進み──と、ようは麻雀がそもそも流行し、同時に漫画文化も成熟してきた時代が重なったのがこの年代だったのだろう。

70年代前半で麻雀漫画シーンを牽引していたのは「發の罠」を掲載した『プレイコミック』(版元は秋田書店)だった。ここではおそらく日本初の連載麻雀漫画である阿佐田哲也の短篇集『牌の魔術師』のコミカライズが連載。その作画担当だった北野英明は自身がもともと麻雀好きであったこともあってか麻雀漫画を連発し(『雀ごろブルース』『天和無宿』、『必殺のマージャン』など全部原作付き)ブームを作っていく。

その他にも70年代はいろいろと重要なイベントが多いがその最たるものの一つは「麻雀をメインジャンルとする出版社」、竹書房の誕生だろう。これは72年の10月に誕生し、12月には雑誌『月刊近代麻雀』(ただこれは漫画誌じゃなくて活字誌)を創刊。その竹書房が75年12月に『漫画ギャンブルパンチ』という、実質的に日本で初めての麻雀漫画雑誌を立ち上げ、他所の出版社も麻雀漫画単行本を刊行しはじめたあたりから、麻雀漫画というジャンルはしっかりと確立していくことになる。

通史でみるおもしろさ

通史で麻雀漫画をみていくと、それぞれの年代に大きな変化や時代を変革する作家が現れるので、栄枯盛衰がありながらも歴史としては飽きることがない。

たとえば麻雀漫画雑誌としての最盛期は80年代だが(多い時は15誌あった)この時代を引っ張ったのは、麻雀漫画史で最も重要な漫画家と本書で語られる『ぎゅわんぶらあ自己中心派』(『ヤングマガジン』というメジャー誌でのヒットになった)の片山まさゆきや、『哭きの竜』といった作品群。90年代に入る前に麻雀漫画誌の多くが休刊するが、その時代は福本伸行(ただ、福本のデビューは80年)や少年漫画誌で大ヒットになった『哲也』が牽引(僕も記憶にある限り最初に読んだ麻雀漫画はこの『哲也』)。

00年代に入るとさらに休刊が進み勢いが衰えた面もあるが『天牌』(連載開始は99年)や『咲-Saki-』(2006~)といった新時代の麻雀漫画が現れ──と、数十年にわたるジャンルの変化が一望できるのは、こうした通史を読むことの醍醐味といえるだろう。

あの作品はどう評されているだろう

実際にある程度の麻雀漫画を読んでいる人にとっては、自分が知っていたり好きだったりする作品がでてくる箇所は盛り上がる。たとえば僕が読んでいるのは有名どころだが、先述の片山まさゆき作品にくわえ、決め台詞が仲間内の雀卓で飛び交う『哭きの竜』や『むこうぶち』、福本伸行の『アカギ』や『天』、本書の表紙もつとめる小林立『咲-Saki-』、青山広美『バード-砂漠の勝負師-』など、こうした作品は麻雀漫画史的にもエポックメイキングなので文字数をとって紹介・批評されている。

最終的にはそうした批評・描写が積み重なって「麻雀漫画のおもしろさ、魅力はどこにあるのか」にまで迫っていて、批評的にもずいぶんとおもしろい一冊に仕上がっていると言える。また、作品をただ肯定的に評・紹介しているだけではなく、当時の評判や現代の視点からみてどうか、という観点での批評も行われているのが良い。先に70年代でブームを作った北野作品にしても、『どう評価するかは現在では難しい。はっきり言ってしまえば、作品の多く、特に人気絶頂だった70年代のものは、現代の麻雀漫画に慣れた人間が読んで面白いものではないのだ。』(p.34)とばっさり。

大ヒットになった『哲也』にしても『コアな麻雀漫画ファンからの評価はあまり高くない』(p.338)とし、時代考証や闘牌シーンの質、イカサマのロジックが時に雑だったりと、問題点も指摘している(無論、その功績を否定しているわけではない)。

おわりに

著者にとっての「麻雀漫画ベスト」は91〜94年連載の『麻雀蜃気楼』であると熱く語ったりと、本書のもとになっているのが同人誌であることも関係しているだろうが、とにかく「これについて書きたいんだ!!」そして、「この凹凸だらけの麻雀漫画をそのまま記録したいんだ!!」という熱が随所から伝わってくる一冊だ。

その熱をもっとも感じたのは本書の表紙に『咲-Saki-』のキャラクターである龍門渕透華を小林立先生に描いてもらうことになった経緯(普通は他社の漫画のキャラを表紙に使おうとしないというか、難しい)なのだけど、その驚愕の真相については最後の「謝辞」を読んで確かめてもらいたい。電子書籍は今はないが、いずれ出る模様。