基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

どうやったら連続性を維持したまま意識をアップロードできるのか?──『意識の脳科学 「デジタル不老不死」の扉を開く』

SFの世界ではよく人間の意識をアップロードして肉体の縛りから解放される、「マインドアップロード」と呼ばれる技術が扱われる。実際、人間の意識とはけっきょく脳内の化学的な作用の結果生まれるものであるという立場に立つのであれば、その作用をデジタル上でも機械上でも再現できればそこに「わたし」が宿るはずである。

今はまだSFの中の話にすぎないが、現実でもBMI(ブレイン・マシン・インタフェース)技術や脳神経科学の進展もあり、徐々に現実味を増してきている──ときて、本書『意識の脳科学』はまさにそうした「意識のアップロード」をテーマにした一冊だ。著者の渡辺正峰は神経科学を専門とする東京大学大学院工学系研究科の准教授で、研究だけでなく自身でも意識のアップロードを目指すスタートアップ「MinD in a Device」に技術顧問として関わっており、不死を現実にすべく奔走する人物である。

僕は著者のことは2017年に刊行された同テーマの前著『脳の意識 機械の意識』で知ったのだが、この本で語られていた意識のアップロードの仮説には驚くほどのリアリティがあった。本当に僕が生きている間にアップロードが実現するかもしれない、とわくわくさせてくれたものだ。本書(『意識の脳科学』)では、その後起こった研究の進展も含めて披露されていて、意識のアップロードに向けて実現可能性のある仮説をあげ、現状の技術的な課題がどこにあるのか、その整理を丁寧に行ってくれている。

著者が目指す意識のアップロード

意識をアップロードする、といった時に手法として想像しやすいのは、脳を頭蓋から取り出してスライスし、そこから電子顕微鏡で読み取って脳の3次元配線構造を抽出するやり方だろう。ただ、現状そこまで高精度な情報の読み取りは不可能だし目処も立っていないことから、この手法については現代では望み薄である。

そのうえ、このやり方だと脳を取り出す過程で対象者は確実に死ぬから、その後に仮に故人と同じような受け答えをする存在が生まれて応答を開始したとしても、「意識が連続している」とは言い難い。「よく似た人」止まりだろう。他の方法として、フィクションなどでは脳の活動を外部からスキャンし、ニューロンの発火パターンなどを学習させてもう一人の自分を構築する方法もあるが、技術的にほぼ不可能な上にこちらも実際には自分のコピーが生まれているだけで、意識の連続性は存在しない。

著者が目指すのはいま・ここにいる「自分」の意識が連続したまま、アップロードされるような真の意識のアップロードである。では、どうすればそんなことができるのか? といえば、その方法として、著者は「分離脳」に活路を見出している。

分離能を活路に連続性のある意識のアップロードに挑む

分離脳は現実に存在する症状で、左右の脳半球を連絡する神経線維束を離断した状態のことを指す。重度のてんかん治療などを目的として意図的に行われることもあるのだが、脳はおもしろいことに分離した状態になってもある程度正常に機能する。

しかし、元のままとはいかない。完全に離断された場合、人は「二つの意識」を持ち、右手ではドアを開けようとしているのに左手はドアを閉めようとする、といった一人の人間なのに矛盾した行動をとる状態になってしまう。逆にいうと真ん中の神経線維束は人間の意識を左右の半球を通して統合する機能を持っているのだ。

そこで、著者が提案しているのは、まずアップロード対象者の大脳を意図的に分離する。その次に左右の生体の脳半球を、それぞれ右と左の機械半球に接続する。そうすると一つの生体脳から、生体脳ー機械脳の半球ペアが二組できることになる。

通常片側の脳半球を脳卒中などで失ったら半身麻痺や片視野の喪失が起こるが、両者にまたがっていた意識はシームレスに片側の半球に移行する。その理屈で考えれば、生体脳半球ー機械脳半球のペアを使っていたアップロード対象者は、自前の「生体脳半球」が死を迎えた時、同じくシームレスに残った機械脳半球へと移行するはずだ。この時、アップロード対象者の意識はほぼ連続性が保たれていると考えられる。その後、もう一方に残しておいたペアの機械脳半球とくっつけることで、完全な機械脳ペアに移行する。これで、完全なアップロード状態へと到れるわけだ。

現状の課題

とはいえこれも他のやり方より遥かに実現性が高いとはいえ、難しい課題がいくつもある。まず、生体脳半球と機械脳半球のあいだで意識を統合し記憶を共有するためには、当たり前だが生体脳半球同士の神経連絡を過不足なく再現できる必要がある。

ヒトの左右の脳半球を結ぶ神経線維束は3つ存在し、特に太い脳梁では左右の脳半球から1億個ずつのニューロンが神経線維を通している。だったら2億個分電極で置き換えればいけるのかといえば、電極の総体積的にも難しいし(置き換えられない)、連絡するニューロンは大脳の広範囲に散らばっていて補足・置換も困難である。

そこで、著者が考えているのは完全にニューロン個別にを置き換えるのではなく、きれいに切断した神経線維の断面に両面の「高密度2次元電極アレイ」を差し込む新しい方式(2020年に東京大学から特許も出願されているらしい)だ。高密度2次元電極アレイは碁盤の目のように細かく電極を並べたもので、技術的な詳細は僕もよくわからないが、神経線維間の情報のやりとりはこれである程度うまくいくらしい。

また、高精細情報の書き込みの問題も次のように解決される。ある神経線維に着目したとき、最近傍の電極でその活動を計測し、同じ電極からごくわずかな電流を流すことで、その神経線維のみを刺激することができる。そのことにより、情報を読みとるニューロンと、情報を書き込むニューロンが完全に一致し、ニューロン単位での高精細の情報書き込みがはじめて可能となる。*1

脳梁における神経線維の最小間隔は数百ナノメートル程度で、現状もっとも集積度の高いセンサー(スマホのカメラに用いられるもの)のピクセル間隔は700ナノメートルだから、あともう少し(数分の一程度?)その間隔を狭めることができれば一本一本の神経線維にたいして一つずつ電極を割り当てることが可能になる。神経線維を切断した時の脳のダメージが修復できない問題など、無数の課題がまだ残っているが、近年の技術の進歩を考えると、解決可能な範囲の課題ではあるといえる。

そのあとは何が起こる?

その後は何が起こるのかと言えば、機械脳半球との統合である。もちろん機械半球はまっさらなものだから、先述の電極を脳に入れて接続した直後は何も起こらない。しかし、接続が済んだら徐々に機械脳半球と情報のやりとりが行われ、次第に記憶の形成に移行し──と、このへんの細かな描写はぜひ読んで確かめて欲しい。

記憶を機械脳に転送するためには様々なことを思い出してニューロンを活性化させ、脳の記憶のプロセスを再現してやる必要がある(大脳皮質での短期記憶形成からはじまって長期記憶への変換プロセスも行う)。しかし人間の行動や性格には思い出せないエピソード群も重要で、それをどう想起させるのか──といった細かな話まで行われている。この記事では神経科学の話に深入りしていないが、本書中ではそもそも機械脳半球でどうやって脳・意識の役割を代替させるのかについてや意識の定義についてなど、専門性の高い話が展開しているので、そのあたりも期待して欲しい。

おわりに

内容をずいぶんたくさん紹介したように見えるかも知れないがこれでも前半の4分の1程度に触れただけにすぎない。イーロン・マスク率いるニューラリンクの最先端のBMIについての紹介もあったりと、新書とは思えないほどの充実ぶり。

自分もできれば死にたくないなあ、なんとか不死になれんかなあと思っている人(僕もそうだ)にはぜひおすすめしたい一冊だ。

*1:渡辺正峰. 意識の脳科学 「デジタル不老不死」の扉を開く (講談社現代新書) (p.71). 講談社. Kindle 版.