基本読書

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国家を崩壊に向かわせる要因について、歴史を定量分析することで導き出す「歴史動力学」を扱った一冊──『エリート過剰生産が国家を滅ぼす』

この『エリート過剰生産が国家を滅ぼす』は、もともとカブトムシやチョウといった生き物の個体群動態について研究して生計を立ててきた研究者が、複雑系科学のアプローチを人間社会の研究に応用していった結果をまとめた一冊になる。

この著者らが切り開いた分野は「クリオダイナミクス」(歴史動力学)と呼ばれ、人類史に繰り返し現れるパターンが存在することを発見し、どのような条件が揃うとあるパターン(たとえば、国家の崩壊など)が発生するのか──を歴史の定量分析を通して研究している。「エリート過剰生産が国家を滅ぼす」はたとえ話や主観的な主張ではなく、彼らの研究を通して見えてきた「国家が滅びに向かう」具体的な要因なのだ。

二〇一〇年、各分野の専門家が今後一〇年の展望を予想するという科学誌『ネイチャー』の特集で、私はつぎのように明言した。米国史のパターンから判断するに、二〇二〇年代初頭にふたたびこの国は急激に不安定な状態になる──。悲しいかな、それから現在まで、私のこの予測モデルをくつがえす事実は何ひとつ出てきていない。*1

現時点におけるクリオダイナミクスの精度は様々な変数を用意してその長期的な影響を見るようなレベルにはないが、現時点でもこれが与えてくれる洞察は大きい。国家を破滅へと至らせる要因が見えてきたら、対策をうつことも可能だからだ。読みながら「いやー新しくおもしろい分野が立ち上がってるんだなあ!」と興奮させてくれる一冊であった(既存の歴史学者は懐疑的なようだが)。

エリートの過剰生産が国家を滅ぼすってどういうこと??

さて、著者らが何世代にもわたる歴史的記録を数理モデルを通して『複合的な社会システムの異なる「変動要素」間の相互作用の複雑なつながりを追跡』したところ、すべての複雑な社会は、内部の戦争や不和の勃発で、調和が周期的に中断されることがわかった。ここまでは歴史をみれば誰だってわかることだと思うが、クリオダイナミクスでは「何が」その普遍的な要因として大きいのかを分析してみせる。

で、本書で国家の崩壊をもたらす大きな要因として語られているのが、「エリートの過剰生産」なのだ。エリートとはようするに権力の保持者のことを意味する力で他者を従わせる「武力」や「警察力」。富で政治家や周囲の人間を従わせる「富・資産」。官僚的あるいは行政的な権力(組織の上位者は下位のものにたいして権力を有している)。最後に著名な知識人やインフルエンサーが持つイデオロギー・説得力の権力と、それぞれ性質の異なる4つの権力が存在する。資産家や有名人が政治家になることも多いので、これらは相互に関係しあっている(詳細な定義は本書参照)。

政治家の数が常に限られているように、権力の椅子は志望者の数を基本的に下回っているが、エリートの過剰生産はそうした「椅子のあぶれ」が大幅に増大した時に発生する。たとえば、富の観点から数値をみてみよう。1980年代を皮切りにアメリカでは1000万ドル以上の純資産を持つ超富裕層の数が急速に増え始めた。1983年に6万6000世帯だった超富裕層は、2019年には10倍以上の69万3000世帯にまで増えた。

超富裕層が増大する問題点

超富裕層の数が増えていったいなんの問題があるの? と思うかもしれないが、これがいくつかある。たとえば、超富裕層の一部はいつの世もその財産を使って政治家を目指す。これは超富裕層が自分で立候補することだけを意味するわけではなく、自分に有利な政策課題を推し進めてくれるプロ政治家に資金を提供することも含んでいる。連邦議会の下院や上院の議席を狙う、あるいは州知事戦に出馬させたり。

で、超富裕層の数の増大と政治家の椅子の数が連動しているわけではないから、志望者が落選し、挫折する割合も必然的に増える。実際これはデータにもあらわれていて、自己資金を使った立候補者の数は1980年代から明確に増え始めているそうだ。

超富裕層がただ増えるだけならまだ問題ないが、アメリカのケースではその増大は一般市民の犠牲によって成立していた。1930年代からしばらくの間アメリカ人労働者の実質賃金は着実に上っていたが、70年代に入るとその伸びは止まってしまう。特定の集団の標準的な賃金を一人あたりGDPで割った相対賃金も1960年代までは上がっていたが、その後は減少に転じ、2010年までにはほぼ半減している。大衆の貧困化は当然ながら不満の種となり、やがてそれは怒りへと転じる──。

本当にエリートの過剰生産が問題なのか?

それって、国家の崩壊の原因って格差が問題なんじゃないの? と思うし、実際大きな要因ではあるのだが、それ以上に大きな要因が「エリートの過剰生産にある」というのだ。というのも、挫折したエリート志望者の一部は急進的なカウンターエリート(既存の政治体制に寄与している支配エリートにたいして、正反対の目標や体制の樹立を目指すエリートのこと)へ変貌し、不公平な社会秩序を破壊しようとするからだ。

そもそも少ない席をエリート同士が奪い合い極端な競争が行われると、「最適な能力を持つもの」ではなく、ルールをハックしたものが勝つようになる。極端な競争は協力を破壊し、少数の勝者と理不尽な大量の敗者を産む。それはいずれ大衆の暴動や蜂起だけでは成功しづらい内乱や革命につながり、その結果エリートの数が減少し、社会の不安定化も抑制される。だから、エリートの過剰生産が国家崩壊の大きな要因なのだ──というのが、「エリートの過剰生産が国を崩壊に向かわせる理由」である。

こうして大雑把にまとめてしまうとほんまかいなという印象が湧いてくるが、イギリス・フランス・ロシア・中国など、様々な革命の事例を通してみていくと、たしかに説得力があると思う。

本当にエリートの過剰生産を誘発する仕組み

エリートの過剰生産を誘発させる要因それ自体もいくつもあるが、その代表的なものとして本書で紹介されているのは、アメリカに代表される「金権政治体制」(金の力で政治権力を掌握すること)だ。2021年のアメリカでは、1万2000人のロビイストが連邦レベルでの政策に影響を与えるために37億ドルを費やしたという。

この影響があまりに強いため、アメリカの権力ピラミッドの頂点に位置するのは企業コミュニティーだといわれる。これについては政治学者マーティン・ギレンズによる興味深い研究がある。この研究では1981年から2002年のあいだの政策に関する2000件近いデータセットを収取し、政策変更と世論調査の結果を照合し、政策変更と政策に対する貧困層(所得分布下位10%)と典型層(分布の中央値)、富裕層(上位10%)の好みを区別した。その結果、実際に貧困層の好みは政策変更になんら影響を与えていなかったという(もちろん、貧困層と富裕層で政策の好みが一致することもあるとかいろいろと注釈は必要な研究だが)

驚くべきは、平均的な有権者からの影響さえなかったという点だ。影響力はゼロ、皆無だ。変化の方向をおもに動かしたのは、富裕層の政策選好だった。くわえて利益団体からの影響も大きく、なかでも強力なのは業界系ロビー団体だった。*2

金権政治体制が維持されていれば、超富裕層向けの政策が優遇され富豪の富そのものも人数も増え、大衆の貧困化を悪化させ、エリートの過剰生産を増大させる。そしてこれこそが、今アメリカの状況を悪化させている要因なのだ。

おわりに

内戦のような暴力的状況に陥らない形で、エリートの過剰生産を止め社会に安定を取り戻す方法はあるのか──? というのがもっとも聞きたいところだが、本書終盤で語られているので、そこはぜひ読んで確かめて欲しい。中国からウクライナまで幅広い歴史の検証も行われている刺激的な一冊なので、興味を持った人はどうぞ。

*1:ピーター ターチン. エリート過剰生産が国家を滅ぼす (p.10). 株式会社 早川書房. Kindle 版.

*2:ピーター ターチン. エリート過剰生産が国家を滅ぼす (pp.167-168). 株式会社 早川書房. Kindle 版.