基本読書

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富豪刑事/筒井康隆

富豪刑事 (新潮文庫)

富豪刑事 (新潮文庫)

あらすじ

 キャデラックを乗り回し、最高のハバナの葉巻をくゆらせた富豪刑事こと神戸大輔が、迷宮入り寸前の五億円強奪事件を・・・・・・・次々と解決していく。湯水のように金を使い、この世で万能の力を持つ金の力を見せつけていく。

感想でも

 金を使って事件を解決しろと言われても、すぐにはどうすればいいのか思いつかない。うーん、すぐに思いつくのは、犯人と思われる奴に金をやって吐けばこれがお前のものだ、とか。金で人を雇いまくって人海戦術で犯人を捕まえるなどなど。想像力の貧困な自分には、それぐらいを考え出すのが関の山である。

 筒井康隆の凄いところはまさに上記の問いに対する答えを出す時の『想像力』であって、自分が考えもしなかった金の力をまざまざと見せつけてくれる。本書は四編からなる連作短編になっているのだが、中身は強盗、放火、殺人、誘拐、暴力団の抗争、密室、と種類に富んでいる。どれ一つとして同じパターンはなく、様々な種類の短い作品を連発した手塚治虫のような、想像力の発散を感じ取ることができる。時系列がバラバラに入り乱れ、捜査員が各地に散らばったのを見事にまとめあげた傑作があるかと思えば、密室殺人事件を短編で見事に仕立てあげたどこまでもまともなミステリィもある。とにかくこの一冊の中に筒井康隆の技巧がふんだんにちりばめられていて、唖然とする思いで読み終わった。

筒井康隆の文章で世界を構築する能力

 本読みは二種類いる。状況を思い浮かべながら読む人と、文字だけを認識して読む人。読書家は文字だけ認識する人が多い。なぜなら読む速度が圧倒的に早いから。まれに早く文章を読みながら、映像を認識できる人がいて(たとえば筒井康隆とか)例外なく大作家になっている。確か森博嗣が言った言葉だ。自分は文字だけで認識するタイプの人間なのだけど、うまい表現を書ける作家の場合は簡単に想像することができる。筒井康隆こそがそれで、読んでいると適当に書いているように思えるが、実際のところ的確で必要なことしか書いていない非常にスマートな文である。バスケットやサッカーの司令塔に必要な空間把握能力のようなのを小説家におきかえるなら、文章で世界を構築する力とでもいうのか、筒井康隆はそれが凄い。
 
 たとえば、本書の174ページ、大助が紆余曲折あって新聞記者から走って逃げている場面なのだが、ごちゃごちゃした描写が本来なら続いているはずなのに、短い文章で明確に頭の中に入ってくる。これ以上の説明、つまりどこがどう凄いのか、というのはもう読んでもらうしかない。長いので特に引用はしないが、一度読めばハっとするような凄い描写の連続である。恐らく現場が見えているのだろうなーと感じる。

 カラマーゾフの兄弟では、同時多発的に色々な事件が進行して、時系列が入り乱れて語られている。本書でも時系列が入り乱れる場所があるが、それをまとめあげるのがどれだけ凄いことなのか読者には良く分からないと思う。なぜならそれを読んでも、違和感をあまり感じないのであってそこには特に努力の跡を見る事は出来ない。時系列が入り乱れているのにも関わらず、違和感を感じないのが凄いのだ。努力のあとを見る事が出来ないから凄いのだ、とはなかなか思えないものだ。想像してもらいたいのだが、『チームバトル』を書く事が出来る漫画家がそんなにたくさんいるだろうか? 多くの漫画家はそれが出来ないからこそトーナメントを使用し、試合形式に当てはめる。もしくは出来る限り一対一の勝負になるように全力を傾ける。チームプレイをやる場合、一人が動いている場合は、もう一人も確実に動いているわけであって考える量、把握していなければならない量は単純に考えて二倍である。筒井康隆のこの能力を空間把握能力にたとえたのはこの辺のことがあるからだ。空間把握能力とは、平面の地図を見たとき、脳内で立体化でき適切にその場所を認識・判断できるというような能力である。これを文字で出来るのが筒井康隆なのだろう。