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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

自殺をしてはいけないのは、その人だけの記憶が消えてしまうから。

15×24 link three 裏切者! (集英社スーパーダッシュ文庫)

15×24 link three 裏切者! (集英社スーパーダッシュ文庫)

 15×24三巻はどんどん加速していく物語でとても面白かったのですけれども、いかんせん全6巻のうちの三巻目なのでとくに感想もないのです。何やら色々衝撃的な事が起りましたけれども、それらがどういった意味合いを持っているのかどうかといったところも次巻を読まないとちょっとよくわからないので。そんなわけで話はガラっと変わりますが、「どうして自殺をしたらいけないのか」ということについてうーんうーんと考えていたのです。15×24には「自殺? したっていいじゃない」という意見が出てきて、ぼくもまあそーかなーとも思うのですがしかし友人が自殺しそうな時に「そーだねー」とは絶対に言いたくないものです。だからといって「まわりの人間が悲しむからヤメロ!」という説得も何か違う、と思う。それは結局何も変わらないじゃないかと。

 で、「マイマイ新子と千年の魔法」という映画を見ていたら、なんだかとても面白い場面があって「ハッ」としたのです。ここからちょっとネタバレなので気を付けてください。マイマイ新子の主人公である新子は凄く想像力豊かな女の子で、ことあるごとに想像をしてついには想像上で千年前のお姫様を作り出してしまいます。そして同じ学校に引っ越してきた都会のお嬢様貴伊子ちゃんにもその想像を共有させようとして、あちこち連れまわします。しかし想像力があるというのはいいことばかりではないのです。それは現実ではない、現実は現実としてちゃんとあるんだ、と気が付く=大人の階段を上ろうとする時に、そんなもので友人の貴伊子ちゃんを振り回してしまった、無駄なことをしてしまった…もう想像で遊ぶのなんてやめた方がいいのかなあ、と新子は貴伊子ちゃんに心情を吐露する。そんな新子に、貴伊子ちゃんは「想像するのをやめたら、想像の中のお姫様も消えちゃうんだよ」というようなことを言うんですね。これと同じようなことについて、第九回文学フリマにて配られた片渕監督のコピー本にはこう語られています。

 企画が水に流れる度に痛みを感じる。生まれ、育てあげられようとしていた登場人物たち。それが、まるではなから存在などしていなかったように、空中に消え失せてしまう。彼らに申し訳がない。『失われた企画の記憶』として、いったい何人の登場人物たちを、自分は墓まで連れてゆくことになるのだろうか。

 想像とはあくまでも個人的なものです。それは誰にも伝達不可能な情報で、さらにはそれが人に話す機会も、どこか公の場に発表する機会もなくなってしまったら、それを知っているのは生み出した本人だけになってしまう。それは何も「想像」されたものだけに限らないですよなあ。たとえばあなただけが知っている「記憶」「情報」「物語」っていうのは、生きていれば絶対あるもので、あるんだったらそれを保持する為には、死んではいかんのではないかなあと思うのです。まあもっとも世の中にはほんとにほんとの「詰み」状態みたいなものもあるので、どうしようもない時には「自殺」を選択できる人間はある意味凄い、とも思うんですけれどね…。(というなことを森博嗣が言ってました)(といえば許されると思っているのか。)「あなたにはあなただけの記憶があるのだから、あなただけの記憶を守るために死んではいけません」という結論は、自殺をしない理由、ではなかったかもしれません。どちらかといえば「生きていく意味」なのかも。でもどっちにしろぼくらは「死んじゃう」んですから、つまり記憶は消えちゃうんですから、ぼかぁ「なんか書けばぁ?」と思います。もしくはいっぱい人と話をするか。そう言えばこんな話は「この世界の片隅に」にも存分に繋がってくる話ですよなあ。じゃまた。