どうしてか死ぬほど面白い物語を書く作家に限ってやたらと書くのが遅かったり出なかったり完結しなかったりする。秋山瑞人はそうした要素をすべて兼ね揃えている作家の一人だ。原作付きの『E.G.コンバット』で1992年にデビューして以来20年以上のキャリアを誇りながら完結させた作品は3つ……そのうちの貴重なひとつがこの『イリヤの空、UFOの夏』になる。全四巻。
秋山瑞人という作家が「なんなのか」というのは容易に説明できることではない。天才としかいいようがないような、一人の人間が努力で到達できる範囲では明らかにないような、異質な文章を書くことができる稀有な作家だ。僕はそのデビュー作である『E.G.コンバット』の文章をはじめて読んだ時あまりにびっくりして、電車の中で読んでいたにも関わらずそのことを忘れて目的の駅を乗り過ごしたことを今でも鮮明に覚えている。それぐらい一瞬でわかる異常な才能というものがあるというのがまず驚きだった。
何か書こうにもどうにも言葉が出てこない。文章、演出、構成、どれひとつとっても文句なしの一級品で、時間のコントロールは自由自在、ほんの一瞬のごくごく印象的な場面を切り取らせたら天下一、心情描写もこれでもかと念入りに描写してみせ、しかもそれが心底胸をうつ。.文句のない傑作であるのは確かだ。よくもまあエイリアンだとか猫だとかを書いてきた作家、今は中華活劇を書いているような人間がこんだけ真っ当なジュブナイル物を書けたものだと思う。
今回Kindle化にあたり久しぶりに読み返してみて、実はちょっと不安だったところもある。過去の思い出を、激しく美化しているのではないかと。しかし、むしろそのうまさに驚いたものだ。想像していたよりもずっと面白かったし、ずっとうまかった。最新の作品であるDRAGON BUSTERもべらぼうにうまい中華活劇なのだが、文章能力、演出能力自体はこの時点で既に完成の域にあると思う。
話はまあ、至極シンプルなものだ。中学二年生の馬鹿な男の子がいて、そこにこれまた馬鹿な女の子、ただしとんでもなくかわいい──が天から降ってくるのではなく夏休み最終日の学校のプールに突如やってきて、男の子と出会う。日本はどこかの組織と戦争中で、彼女はどうもその関係者で、日常はどんどん崩壊していって彼女と男の子の間の仲もそれによって引き裂かれたりむしろくっついたりしてしかも恋敵がいたりいなかったりして──。
後々セカイ系などというどこかの批評家がうみだしたよくわからない概念でくくられることもある本作だが、書かれた当時は当然ながらそんな枠組みはなかったはずで、そこにこだわるのもどうかと思う。一巻は純粋に出会い、そして男の子の周りの人間と新しく仲間に加わった女の子──まあ当然ながら名前はイリヤなのだが、の日常が描かれる。二巻から日常は不穏さを増していき、三巻と四巻は比率は逆転する。
戦争の季節だ。秋山瑞人作品ではそうした「反転」のイメージが多く用いられる。日常の反転、常識の反転。それらは常に影で進行しているのだが、余程注意深い人間でなければそのことには気が付かないものだ。まあ、現実の地震や戦争といったものもそうなのかもしれない。忘れた頃にやってくるとはよくいったものだ。自然現象の周期は人間の記憶感覚にあわせてくれるわけではないのだから。
印象的な場面の切り取り方
実に印象的な場面が多い。たとえば主人公である中学二年生の男の子、浅羽が最初にヒロインたるイリヤと出会うのは夏休み最後の日の、夜の学校プールである。なんでそんなところで、というところからして面白いのだが、スクール水着をきたイリヤと思いつきできたが為に海水パンツもなく短パンで泳ごうとしている浅羽の姿は読後何年たっても僕の頭のなかに残り続けていたものだ。
そしてライトノベルといえば兄を異常なまでに好いている妹といってもいいぐらい定番のものだが、この作品では妹の兄離れが書かれる。自分が過去に髪を切ってもらった思い出をリフレインさせながら、現在の兄が、かつての自分がいた「髪をきってもらう」場所にいる新しい「女」をみて、自然と「やるじゃん」と実感し吹っ切れていくという流れが好きだ。
夏の空の下、渡り廊下の日陰の中で、兄が、伊里野加奈の髪を切っていた。
ハサミを動かす手を停めて、兄が身体を反らして笑っている。何か笑われるようなことを言ったらしい伊里野加奈が首だけで背後を振り返って、不満気な顔で兄をにらんでいる。ふたりが何の話をしているのかはわからない。
わからなくていいのだ、と思った。
あの手がかつて、自分の髪を切っていたころがあったのだから。
肩に入っていた力が、溶けるように引いた。
笑みが浮かんだ。
「やるじゃん」
そうつぶやいた。
この文章の独特のリズム、人間が考え方を変え、何かを受け入れていく時の描写、そうした一つ一つが秋山瑞人の文章で描かれるとどれもが腑に落ちていく。なんというか、ほんの数行の描写で一人のキャラクタがたしかにいるのだという、「実感」のようなものを持たせるのが秋山瑞人は異常なまでにうまいと思う。
たとえばここから引用するのは四巻にてほんのちょっとだけ出てくる少女、あまり重要な役どころではないキャラクタについての描写だ。
互いの手が届く距離まで近づいても、中学生はこれという反応を見せない。ひどく落ち込んでいるようでもあるし、何もかもがどうでもいいと思っているようでもある。伊藤日香梨は中学生の反対側に周り込んで、ずうずうしいとおもわれないように少しだけ距離を取って隣に座った。わざわざ反対側に回り込んだのは、こうすれば中学生からは自分の左の横顔が見えるからである。アタシは左の横顔の方が写りがいいのよね、というのは母がカメラを前にするときの口癖で、写りがいいとはどういう意味かと尋ねると、美人に見えるってことよ、という返事が帰ってきた。母親がそうなのだから自分もきっとそうだと伊藤日香梨は思う。
反対側に回りこむのと、ぽっと出の使い捨てキャラクタの過去の描写をするなんて無駄のような気もするが、こんな何気ない描写一つ一つが積み重なって本来なら一次元的にしか表現されていないキャラクタが立体像をともなって立ち上がってくるものだ。この能力がすべてメインキャラクタとサブキャラクタに向けられるのだから、魅力的にならないはずがない。
軍の人間、恋敵が現れて動揺している浅羽のクラスメイト、浅羽のヒーローであり完璧超人ではあるがオカルトマニアで変人で、理性が勝りすぎているが故に孤独な男水前寺と魅力的なキャラクタが次々と出てくる。E.G.コンバットでも顕著だったが、エリートだがそれ故に心に抱えた葛藤が大きい、といった不意をつく描写がこの頃の作品群にはみられる。
キャラクタについて
キャラクタの誰もが魅力的なのは、弱みと強み、そして自身の心情の変化を先の妹が兄の散髪現場を見たときのようにゆったりと語られていくからだろう。余裕綽々のように見える大人だってつらい現実をたえているものだし──頭がよくてなんでもできてしまうように見えても、まさにそれが故に人の好意を割りきってしまって孤立していくこともある。
中でも水前寺というキャラクタは有名で、この男、科学的な考えを推し進める人間でありながらもオカルトマニアでUFOや超能力を一心不乱に研究しUFOが基地にいるときけばあらゆる手段を用いて潜入捜査しそして少なからず真実へと辿り着く、滅茶苦茶な行動力を持ったやからなのだった。単なる「頭のいい」記憶力が優れているとか、科学的な思考力が強い、といったキャラクタにとどまらない。
むしろ理屈で割りきっていった先に理屈で割り切れない部分、こぼれ落ちた部分にオカルトという要素があり、そこから見えてくる真実があるのだ、という視点に立った造詣だったのが「たんに頭がいい」だけでなく「イカれた天才」としての描写に箔をつけている。秋山瑞人は理屈だてて凄い人間を書くのがE.Gコンバットの頃から以上にうまかったのだが……本作ではそれがまさに開花している。何よりいいのは、彼が誰よりも楽しそうに、自分の思考を嬉々として実行するところだった。
水前寺の、楽しそうな、それはそれは楽しそうな笑顔。
彼が自身の目標に邁進しそのためならあらゆる手段を選ばず、巨大な組織だろうがひるまず、くだらないことに全身全霊をかけ、自分の命が危険にさらされようとも突き進んでいく、しかもそれでいて悲壮感などまるで感じさせずに、最高に楽しそうなその様は、本作のメインプロットにはたいして重要ではないのかもしれないが、本作を本当に楽しい物にしている大きな一因だった。
秋山瑞人のリアリティ
リアリティとは結局のところその人その人が持っている「世界認識」のことである。揺るぎなき世界観として「弓の打ち方」を持っている人は弓の打ち方がてんでなっていないイラストをみて「あれれ」と思うし、弓の打ち方など知らない人間はそれをみて自分自身の世界観は揺るがないから、なんとも思わない。僕は作家が作品を変えても唯一継続されていくものはこの「世界認識」だと思っている。
秋山瑞人が書いていく人間が、能力の多寡に関わらず常に何らかの葛藤を抱えていることも、妹が兄離れをしていく(当たり前のことだが)ことも、世の中には善人ばかりではないのだということも、当たり前の日常なんてものがいかにあっけなく崩壊してしまうのかということも、すべては秋山瑞人の「世界認識」からくるものだ。それは時につらい現実を突きつけてくることになる。
中学生が乗り越えるには思い現実だ。宇宙戦争をやっているE.G.コンバット、もとより殺し合い上等の世界である猫の地球儀、そもそも人類がほぼ絶滅しかけている状況を書いた鉄コミュニケーションとどれもハードすぎる世界観で人が死んだり残酷な目にあうのは半ば織り込み済みだともいえる。そうした認識をただの中学生男子に適用させるのだから──まあひどいことになるよね。
オススメ
もし読んだことがなければ、文句なしにオススメしよう。もう十年以上も前の作品になる。パソコンもそれほど一般的ではないし、そういった意味では時代は古い作品だ。でもそこに書かれている青臭い思いだとか、わりきれない微妙な心情だとか、そして何より男の子が「一人前の男」へと進化をとげる過程が、四巻を使ってそれはもう丁寧に書き込まれていく。浅羽が自分の血を流し、命を賭け、世界を滅ぼす覚悟を決める全四巻の結実ともいえる場面は、涙なしには読めないはずだ。
そして何より秋山瑞人という異才に触れることができたなら──それだけで本読みにとってみれば、これ以上ない幸福な出会いだと、そういえる。
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