基本読書

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天下無敵の意味とは、「敵を作らないこと」

BRUTUS特別編集井上雄彦 (マガジンハウスムック)

BRUTUS特別編集井上雄彦 (マガジンハウスムック)

 ブルータス特別編集、一冊まるまる井上雄彦で埋まっています。井上雄彦のインタビューが入っていたり、井上雄彦最後のマンガ展で展示されたマンガが載っていたり、仕事場の写真が載っていたり、内田樹の「身体を追求するということ」という短いお話が載っていたりとなかなか豪勢です。特にインタビューと、内田樹の文章は読んでおいて損はないでしょう。日本のトップを走っている漫画家が何を考えているのか、という部分に触れられることはそう多くない機会でしょう。中でも「色んなことから自由になりたい」と井上雄彦が語っていて、それがバガボンドを描いた動機の一つになっているというエピソードにグっときました。SLUMDUNKはバスケ漫画ですから、バスケのルールという枠の中に囚われてしまっている。そこから抜け出したいという欲求があったと。自由になりたいの意味はしかしバスケットのルールに縛られたくないということだけではなくて、話は「マンガ」という形式の内部にまで入って行くわけで。マンガという枠さえも取っ払った時に、井上雄彦が何をするのか。マンガの先とはいったいなんなのか。本年度でバガボンドは終わらせる発言が出ましたけれども、終わった後に何があるのか、そのヒントはこのインタビューの中にあるかもしれないですね。

 そういえば内田樹さんの「身体を追求するということ」では、「天下無敵」の意味についてほんの少しだけ触れられていますけれども、これのもっと長くちゃんと説明されたバージョンが「日本辺境論」には書かれているので、そちらを要約して終わりにします。

天下無敵の意味

「天下無敵」。この言葉は世間一般ではこの言葉は「天下の敵という敵をみんな倒してしまって、敵がいない状態」だと捉えていると思います。でも、よく考えればわかることですけれどもそれってありえないですよね。

「敵」という言葉の意味を広義において私たちの心身の機能を低下させ、生きる力を損なうすべてのもののことと解釈するのならば、すべての敵を倒すということは不可能だからです。たとえば突然風邪をひくかもしれない。あるいは、雷に打たれるかもしれない。親しい友人に裏切られて激しく落ち込むかもしれない。それらは防御不可能、気をつけることは出来ても、しかし世界中に存在するありとあらゆる障害を排除しようとするのは実際不可能です。

 世界的なアスリートの中には、ツアーにトレーナーや栄養士だけでなく、弁護士や広報担当者や真理カウンセラーまで連れている人がいますけれど、それは彼らが契約上のトラブルや心理的なストレスが自身のパフォーマンスを損なう恐れがあると考えているからです。それらのトラブルはアスリートにとっては「敵」なわけで、だから彼らは「敵」をリスト化してすべてに対処しようとする。

 しかし、それがむなしい行為であることはすぐにわかります。というのも、すぐにそのリストには「嫉妬心」であるとか「抜け毛」だとか「睡眠不足」だとかいったものまでが記載されるようになるからで、たしかにそういった事象はパフォーマンスを低下させるかもしれない。しかしそこまで行ったらいきていることが加齢と老化の積み重ねである以上、自分自身がいきていることそのものが敵であるという結論に行きつかざるを得ない。「敵」という言葉の矛盾はこのあたりにあって、「敵」のリストを作ろうとすると世界は自分自身を含めてすべてが敵であるという結論に辿り着くことになる。だから天下無敵の本当の意味とは、いかにして敵を作らないかというところにあるわけです。

 敵を作らないとはどういうことか。一体どういう時に敵が生まれるのかというところから考えていくとわかりやすいです。たとえば自分には「無傷な、完璧な状態にある自分」が存在するとした時に、そうじゃない状態(今あるような自分のこと)を「敵による干渉の結果」として説明するような方法をとる、これが敵を生みだすロジックです。

 自分が今あるような状態(歯が痛かったり、太ってたり、性格に気にいらないところがあったり)にあることを「かくあるべき状態からの逸脱」ととらえずに、「まあこんなものでしょう」と涼しく受け入れられる。これが敵を作らない精神状態の一つの形です。老いや痛み、嫉妬心などを「私」の外部にあって「私」を攻撃するものととらえず、「私」の一部であり、つねに「私」とともに生きるものと考える。それと反対の形となると、ベストコンディションの「私」がもともと存在していて、それが「敵」の侵入や関与や妨害によって機能不全に陥っているという風に考えてしまう。だから敵を特定し、排除しさえすれば原初の健全さが回復される。そう考える人の世界は「敵」で満たされる。「敵」のせいで「私」はこうなのだ、と説明する人は、常に「敵」に囲まれてしまう。そして、そうなった時の「私」にとっての理想状態はこの世界に「私」以外誰もいないこと、つまり絶対的孤独のうちに引きこもることを意味するようになる。それは寂しい。だから、やめたほうがえーんでねーかなー、っていう話・・・かな? 

 その結果武道の理想の形とは「強弱勝敗を論じない」ところに帰結するわけです。

日本辺境論 (新潮新書)

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