基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

内田樹はこれを読め!

1.内田樹とは何か

 どどーん!! 何か、とか大それたこと書いちまったぜ!! いったいどういった肩書を持った人間で、何をやっている人間なのかということは内田樹─Wikipediaでも見てもらえればわかりますし、もっと詳しいことが知りたければ内田樹の研究室を読んでもらえればええです。まずはぼくにとっての「内田樹とは何なのか」から始めたいと思います。なぜそんなことから始まるかと言えば、短期間で結構内田樹先生の本を読んで、もうあまり書くこともなくなってしまったので一応その総括という形でです。

 さてさて、話は戻りますけれど内田樹とは何か、と聞かれたらたぶん「胡散くさいおっさん」と答えるのではないかと思います。なぜ胡散くさいおっさんなのか→この内田樹先生という方は結構色々なことを書いているのですが、その論の最後の方で突然「論理が飛躍」するのですね。飛躍でも跳躍でも何でもいいですが、とにかく「えっそこに行っちゃうの??」という驚きが巻き起こります。そして、「なんでそーなるの??」と思っていると「根拠はなんとなく正しいような気がするからです」とか言ってくるわけです。なんとなく正しいような気がするってどーいうことだよ!! と思うわけですが、不思議と「あ〜そうなんだー」と納得してしまう。ぼくにとってしてみれば「なぜ納得してしまうのか?」という当たりのジレンマが「胡散くささ」を出すんですね。「結構色々なことを書いている」のもなかなかアレで、憲法9条を論じたかと思えば教育を語りだす、かと思いきや身体論について話し、地球温暖化でもいいじゃないかと言いだし、フランス文学研究家にも関わらず現代哲学をとうとうと書きまくる。著者紹介に「思想家」「哲学者」「フランス文学研究家」という単語が並んでいるのを見た時はさすがに「すげえ胡散クセぇ…」と思いました。まあそういう人です。ぼくの中では。

 さらに言えば、内田樹先生は凄くたくさんの本を出している訳ですが「驚くほど繰り返しの内容が多い」ところもかなり胡散くさいです。繰り返される話の例としては「映画エイリアン論」「ラカンの他我論」「村上春樹のうなぎ論」「沈黙交易論」「小津安二郎映画論」「張良の沓を落とす人のエピソード」「レヴィナスの他者論」「ラカンによる前未来形過去回想論」どの本にも、絶対にこれらのうちどれか一つは出てきます。断言してもいいです。10冊も読んだら、この中のエピソードは絶対に絶対に三回は読む羽目になります。それぐらい繰り返しが多い。ただまったく同じ文章というわけではなく、その都度語り口が違うのでそこまで退屈ではないです。しかし、さすがに何度も同じ話を読まされるのはヤダ、てひともいるでしょーから、今回はあまり内容がかぶらないようにしてまとめてみました。「内田樹はこれを読め!」です。全部読んだわけじゃないので漏れはありますけれど、まあ気にしません。あとブログ本も入れていません。じゃあどぞどぞ

1.「先生はえらい」──師弟論、コミュニケーション論

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

 人が人に学ぶということはどういうことなのか、をコミュニケーションという観点から論じた一冊です。内田樹先生の「先生」の定義はかなり独特で、出会う依然であれば「偶然」と思えた出会いが、出会った後になったら「運命的必然」としか思えなくなるような人のことだといいます。意味がわからないでしょうが、簡単に言ってしまえば「えらいと思った人が先生である」から「先生はえらくない」は成り立たないという話じゃあないかと思います。そういう前提の上に成り立っている故に、本書は「どういう条件を満たす先生がえらいのか」みたいなことは論証されません。「先生=えらい」からです。だから本書では「人間が誰かを『えらい』と思うのは、どういう場合か?」という現象の解明に当てられます。ここではおもに「ラカンの他我論」「村上春樹のうなぎ論」「沈黙交易論」「張良の沓を落とす人のエピソード」「ラカンによる前未来形過去回想論」が語られます。ほとんどの内田樹先生の基礎はこの本で得られます。まず読むならこれかと。

2.寝ながら学べる構造主義──現代思想全般

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

 ここで語られるのは現代思想全般です。具体的に書くとまず最初にフロイトマルクスニーチェが語られ、次にソシュール言語学、最語に構造主義四銃士として、フーコー、バルト、レヴィ=ストロースラカンの思想が非常にわかりやすく書かれています。わかりやすく書かれすぎている為に、言い落としも多々あるのかとは思うのですが(別に言い落としを指摘できるほど知っている訳ではない)、まあ入門書ですので。ここで語られている哲学者たちの説話は、他の本でも大量に繰り返されるので一度に「現代思想」としてまとめられてしまっているこの本を一冊読んでおけば、他の本を読むときはよりわかりやすく、読まない場合はそこそこの把握で終えられることでしょう。ソシュールフーコーなどについては他の内田樹本ではあまり語られていませんので、その点でも貴重です。

3.映画の構造分析──映画論

映画の構造分析

映画の構造分析

 内田樹先生による映画論です。これの新しいところは、普段は「ラカンフロイトを使って映画を分析する」ところを、「映画を使ってラカンフロイトを分析した」部分にあります。「映画」というキーワードは内田樹先生を語る上で外せないワードであり、繰り返し出てくる「エイリアン論」や「小津安二郎におけるコミュニケーション論」などはすべてここで学ぶことができます。映画系の本だと他には「映画は死んだ」などもありますけれど、そちらは共著なので純粋に内田樹を楽しみたいのならば断然こちらです。内容は寝ながら学べる構造主義と半分ぐらいかぶってます。

4.他者と死者―ラカンによるレヴィナス──レヴィナス

他者と死者―ラカンによるレヴィナス

他者と死者―ラカンによるレヴィナス

 内田樹先生は常々「私には師が二人いる」と言っており、一人は合気道の師匠である多田先生、もう一人は哲学者の「レヴィナス」です。そんな師匠の一人であるレヴィナスを、ラカンの哲学を使うことによってわかりやすく読み解こうとしたのが本書です。内田樹先生の言うことは基本的にレヴィナスの受け売りであるそうなので、だったら大元を読んだ方がいいじゃないかということになるのですがとても難しくてそうはいかない。だからこういう解説本は、とてもありがたいものだと思います。おもに「他者」とは何か? 「死者」とは何か? などなどが語られます。特に「他者」というやつは考え出すと答えがなかなか出ない問いであって、コミュニケーション論としても読めます。「隣人愛は正しい」ということが論理的に納得できる形で語られていた…ような気がします。

5.死と身体―コミュニケーションの磁場──身体論、コミュニケーション論

死と身体―コミュニケーションの磁場 (シリーズ ケアをひらく)

死と身体―コミュニケーションの磁場 (シリーズ ケアをひらく)

 なんとあの井上雄彦の本棚にも置いてあるという一冊。これを読めばバガボンドの理解もさらに深まります。しかしそれはまあ置いといて、内田樹先生の二人の師匠のうちのもう一人、多田先生の話などが含まれる「身体論」そして「コミュニケーション論」が本書の肝です。ここでも「ラカンの他我論」「沈黙交易論」「小津安二郎映画論」「張良の沓を落とす人のエピソード」「レヴィナスの他者論」「ラカンによる前未来形過去回想論」などが繰り返されますが、それに追加して「時間を割るとはどういうことか」という身体論と「死者を語り合うことが出来る能力を獲得した時に人間は人間になった」という死者論が追加されています。これらはどちらも正しさはともかくとして、面白さについていえば必読の論ですので是非一度読んでみたらいいかと思います。

 まあこんなところで。五冊あげましたけれど、この五冊の中でも相当話はかぶっています。なのでてきとーにどれか一冊でも読んでみたらいいんじゃないかな、と思います。ちなみにこの中だと「先生はえらい」が一番色々なものが凝縮されているので、内田樹入門としてちょうどいいかと。ではでは。