基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

死を受け入れるまでの五段階は死だけではなくもう少し広く人間の行動に当てはまるのではないか

という思いつき。その前に前提条件として死を受け入れる五段階とは何なのか。それについては一度書いたことがある⇒死を受け入れるまでの第五段階 - 基本読書。もう二年も前の記事かあ。クリックするのも面倒くさい人に簡単に説明すれば『死ぬ瞬間―死とその過程について』という本の中でエリザベス キューブラー・ロスが書いていた受容プロセスのことだ。

第一段階/否認と孤立、第二段階/怒り、第三段階/取り引き、第四段階/抑鬱、第五段階/受容、そしてそれとともに常に存在している希望。単語だけ並べてみたがだいたいなんとなくイメージはつくのではないか。最初「いやいや自分が死ぬわけない」と否認し「なんで俺がこんな目に合わなくちゃいけないんだ!」と怒り次第に「もう少し良い行いをするから生き長らえさせてくれ」と取引し無駄だと悟ると鬱になり最後には受け入れる。

もちろん全部が全部このとおりうまくいくわけではないので、一般的な傾向ぐらいに捉えておいたほうがいいだろう。科学や文化が進歩しても人間は変わらないといっても、40年前に出た本だし。また僕は実際死んでいく人間を仔細に観察した経験があるわけではないので、これが如何程妥当性があるのかは正直よくわからない。しかしある程度本当っぽいなと思うのは自分も似たようなプロセスでもって物事を受け入れた経験があるからだろうと思ったのだ。

「死」は誰にでも起こる現象だがこれをもう少し抽象化して捉えると「突然やってくる受け入れがたい変化」といえるだろう。つまりこの思いつきが何なのかといえば「突然やってくる受け入れがたい変化」に直面した時人はだいたいこの死の受容プロセスに似た、受容プロセスを辿るのではないかということだった。

たとえば……前田敦子が引退を発表した時のファンの動揺を僕はネットの記事をちらほら読んだだけだが、まさにこの死の受容プロセスの初期段階を示していた。否認、怒り。当然おとなしくなった前田敦子ファンは取り上げられたりしないから(なんか変な新書が出るらしいからそれを読めばわかるかもしれないけど)どう受容されていったのかはわからないのでその辺りは推察するしかないが。他にも彼女/彼氏にフラれた時などは、死の受容プロセスを辿るのではないか。

ただまあ、だからなんなんだと言われたら、うん、まあ別にどうしようもないんだけど。前田敦子の引退や付き合っている相手から思わずフラれるというのは、他人からしてみればまったくたいしたことのないことに思えるが本人からすれば大切な人を喪ったに等しく(どっちにしろ会えないんだから死んだのと変わりない)、このことを頭の片隅においておくと他人に対して優しく慣れるかもしれない。

余談。思いつきは昨日『闇の国々』というバンド・デシネを読んでいたら、徐々にデカくなっていく正方形の謎の物体が社会を串刺しにしていく中編を読んでいた時に起こった。その時都市を侵食していく謎の物体に対する社会の反応がまさにこの死の受容プロセスに似たものだった。否認、怒り、取引、抑鬱、受容……まあ抑鬱はなかったような気がするが……。だからこの受容プロセスは物語を作る時とかに参考にすると、面白いかもしれない。