- 作者:ケイト・マスカレナス
- 発売日: 2020/09/10
- メディア: Kindle版
時間旅行はウェルズの『タイムマシン』以降SFではありふれたギミックだけれども、大抵の場合、時間旅行をして「何をなすのか」が重要になる。最近だと歴史改変合戦で自陣の勝利に導くことが目的のアナリー・ニューイッツ『タイムラインの殺人者』が出ているし、ジョディ・テイラー『歴史は不運の繰り返し』は、時間旅行を用いることで歴史的事件の調査を行う人々が中心の物語である。一番よくあるのは、『STEINS;GATE』のように、大切な人を守るためや、死や世界の破滅のような悲劇のルートを回避するために時間を移動するものだろう。だが、本作(時間旅行者の〜)の場合は、時間旅行で何をやるのか、というのは話のメインとなっていない。
本作の主題となっているのは、時間旅行を繰り返すことで、人間にはどのような価値観の変容が起こるのか──たとえば、人の死を幾度も見る、さらには、死を目撃した人と過去で自由に出会えることによって、死生観がめちゃくちゃになるなど──、その歪みを詳細に描き出すことだ。時間旅行者に特有の事情(時間移動酔い)などを作中に取りこんでいる作品自体は数多いが、そこに徹底的にフォーカスした作品は最初にも書いたようにかなり珍しく、新鮮でおもしろかった。
プロットとか
ただ、世界観や心理学的な描写だけで間をもたせている作品ではなくて、きちんとプロット部分も魅力的に作り込んである。舞台はタイムトラベルものなので何年も前後するが、最初にタイムマシンが発明されたのは1967年のイギリスでのこと。
研究所に属する4人の女性科学者が、アトロポジウムと呼ばれる放射性物質を用いることでタイムマシンの実現に成功するも、その華やかな発表会見の場で、人一倍タイムマシンの使用を繰り返していたバーバラは躁鬱を発症させ支離滅裂な言動を繰り返し、タイムトラベルを繰り返すことで精神に深刻なダメージを与えるという最悪のイメージを与えてしまった。その後、バーバラはチームから追放され、残りの3人の主導によって時間移動を管理すべく、国家からも独立した〈コンクレーヴ〉と呼ばれるタイムマシン運用組織が設立される。それまで世界に存在しない時間旅行の概念ゆえ混乱もあったが、次第に統制もとられ、組織は安定しているかのようにみえた。
といったところで物語はメインの二人に引き継がれていく。一人は、2018年に不可解な死を遂げている女性の第一発見者だとなったオデット。その遺体は身元が明らかではなく、おもちゃ博物館の地下のボイラー室で倒れていた。銃弾を身体にいくつも撃ち込まれているが、殺人現場は密室状況であり、大きくなったら謎を解く人になりたい、と答える根っからの探偵タイプのオデットは事件解決のために動き始める。
もうひとりは、バーバラの孫である心理学者のルビー・レベロだ。2018年にオデットのカウンセリングを担当するが、2017年において彼女はバーバラやタイムマシンを最初に研究していた3人の科学者らとの対話を通して、〈コンクレーヴ〉全体を蝕む──というよりは、タイムトラベルに起因する精神的な病理の存在へと気がついていく。それは謎めいた殺人事件と繋がっていて、ミステリ的な解決がおもしろい作品というわけではないけれども、ラストまで緊迫感は持続している。
タイムトラベラーの心理学
本作の魅力的なポイントは、先に書いたように時間旅行者に特有な変質が描かれていくところにある。たとえば、経験をつんだタイムトラベラーは、海馬がおかしくなっているという。タイムトラベルを繰り返すことで、記憶の時間軸がぐたぐちゃになり、ある出来事がいつのことなのか判別するのが難しくなる。自分がおかしくなるだけならまだいいが、人と会話をしているときにある出来事を言っていいのかどうかを判断するのが難しくなることが、極度のストレスとなって積み重なっていくのだ。
もう一つ、重要な変質が死生観にある。タイムトラベラーは、ある時代では元気なのに、別の時代では死んでいる人たちと数多く出会うことになる。死を目の前にしても、過去に戻れば出会えるのだから、そうなると、死は彼らにとって絶対的なものではなくなってしまう。『そこでほとんどのタイムトラベラーは、他者の死と自分の死を相対化し、いい意味で無関心になっていきます。』これ自体は適応の一つの形だが、タイムトラベラーの中にはスッキリと死ってそういうもんだよねと割り切れないタイプの人もいて、不安神経症や抑鬱症を発症してしまう。コンクレーヴでは、なので事前に死に対して強い不安をいだいている候補者を排除する傾向にある。
それ自体は正常なプロセスといえるのかもしれないが、コンクレーヴのやり方はそれ自体が一種の病理に犯されたようになっている。たとえば、見ず知らずの少女に対して、あなたの母親はもうすぐ死ぬと伝える役目を突然負わされる新人の通過儀礼が存在する。そうすることで、真にコンクレーヴの仲間たちに認められ、コンクレーヴの一員は自分が失ってしまった感情をそこに見出し、安心を得る。死に対する不感症患者のような様相を呈していて、おかしな事態なのだが、長年タイムトラベルにどっぷり使っている人たちは、その異常性に気づかなくなってしまっている。
心理学者のルビーは同性愛者で、時を超えた関係性がいくつか描かれていくのも魅力の一つ。たとえば、ルビー自身はたびたび未来の出来事なんて知りたくはないと語る。大切な人の死を知ってその日を待つのではなく、突然死んでほしいのだと。ただ、彼女の恋愛相手の一人は経験豊富なタイムトラベラーで、ルビーの身の回りで起こる死、その死因も日付も、すべて知っている。未来を知っているうえで、知らない人と関係性を構築することの非対称性、その苦悩が二人の仲を悪化させる。
おわりに
「時間旅行が存在する世界のルールや用語」が細かく決まっているのもおもしろい。たとえば、発生するのをあらかじめ知っていた出来事を実際に体験することは〈完了体験〉。その逆で、すでに体験した出来事の再体験は〈反復過去〉。未来の自分と性交することは〈予測行動〉、逆に過去の自分との性交は〈古物喰い〉。
各時代を自由に飛び回るタイムトラベラーたちを裁く法律はどう制定したらいいのか、収入はどのように与えたらいいのか、年齢をどのように設定するのかなどなど。タイムトラベルが日常に存在する世界での設定をかなり細かいところまで詰めているからこそ、精神病理のような複雑な部分を描くことに説得力が立ち上がってくる。僕はかなり好きなタイプの時間SFなので、趣味が合いそうな人はぜひどうぞ。