基本読書

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赤の女王 性とヒトの進化 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) by マット・リドレー

1995年に刊行されたものを(原著は1993年)、今年文庫化したもの。つい最近遺伝子の方もやわらかな遺伝子 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) by マット・リドレー - 基本読書 文庫化していて、まあリドレーだからというのもあるだろうがちゃんと単行本で出たものを文庫化してくれるのは嬉しい。ノンフィクションの場合単行本で継続的に売れてしまうと文庫化されにくいのかなとも思うが。こっちはタイトルからもわかるようにテーマは性。人間の本性(human nature)はどのようなものなのだろうかを解明していく一冊だが、人間の本性なんてものは性を抜きにして把握できるものではなく、結果的に性がテーマになっている。

オスとメスの違いはそもそもなぜ存在するのか、それらは生殖にどのように役に立っているのか、あるいはいないのか。性差による生存戦略の違いとはなにか。戦争の原因、権力や名声もかつては生殖をより有利に進めることが目的だった。人間の歴史をつくってきた人間の本性に性は密接に関連している。そうした性が果たしてきた役割を追っていく、刺激的な一冊だ。出た当時は間違いなく名著だったし、今読んでもそれは変わりない。

問題があるとすれば1995年刊(原著は1993年)の物の文庫化なので、どれだけ情報が新しいのか&信頼性があるのかちょっとよくわからないところだ*1。遺伝子については新刊が出れば読んでいるので、どこが古くなっていてどこが新しいのか把握できていたのだが、性についてはよくわからない。リドレー自身も本書のエピローグで『本書に記した考えの半分は、おそらく誤りだろう』と書いている。その為、本書を今読む場合はそれなりに注意深く読む必要があるだろう。ただリドレーはそれなりに広く認められているものと、仮説段階のものは区別出来るように書いているので、ちゃんと読めば大丈夫だろう。

科学ノンフィクションを読んだところで、実生活で役立つ知識が得られるとは限らない。別に量子力学を知らなくても本業が消火器の営業だったら知らなくても問題ないし、プログラマーの人間が軌道エレベータの技術的な内訳を知っていたところで給料があがるわけではない。ま、せいぜい話のタネになるぐらいか。しかし本書のような「性」についての理解を深めておくと、日常生活でいろいろと役に立つことがあるかもしれない。なにしろ我々はたいていの場合男だけ、女だけで生活しているわけでもないのだし、異性とのコミュニケートする必要が出てくるからだ。生殖行為だってできるならばしたいだろう。「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し。」

結婚生活なんてものに突入しようものなら、日常生活の中で異性と暮らしていかなければならない。むろん家族が父親と母親揃っている場合だってそうだろう。ようするに性への理解を深めることはそうした自分以外の性の相手へのより強い理解──と同時に性システムからくる人間の本性は自分にも当然ながら影響を与えるので、自分自身の把握にもつながる。自分や相手の行動の原因……、たとえば嫁が怒っているのは自分があらゆる場面で相手を気にかけないからだったとして、そうした直接的な原因を本書は教えてくれるわけではない。が、人類という種が生まれ性別システムが出来上がって、否定しようもない男女の戦略差、傾向のようなものが出来てしまったのかを教えてくれる。

男性と女性の戦略差

たとえば男性にとって見知らぬ女性と、その場限りのセックスは病気の感染と妻へ知られることという極僅かなリスクしか伴わずに、子孫を一人増やすという莫大な利益を得られる可能性がある。リスクとリターンでいえば圧倒的にリターンが大きい。一方で女性の場合は既にいるパートナーにバレた場合は子育てを手伝う間もなく切り捨てられ、さらにはパートナーをいくら増やそうが基本的に一人しか妊娠できない為、不貞の利益が著しく低い*2。男性用のエロコンテンツに複数人入り交じるものが多いのに比べ、女性が好むBL系コンテンツがほぼ1対1のパートナー性をとるのもこうした根本的な理由からだろう。

一般的に女性が裕福で地位の高い男性を望み、男性が若くて美しい女性を望むのもある程度はこうした生物学的な理由から説明できる可能性がある。男性は互いに競い合う傾向が強く、したがって男性は権力を行使し、富を支配し、名声を追求するようになる。女性は子供の数と健康を求めた場合に、相手の精子の量や回数のような性的能力よりかは、十分な牛、十分な金、十分な部族内の味方を求めたのはそう違和感のあることではない。一方で男性側のインセンティブとしては女性が子供を産んでくれる数として若ければ若いほどたくさんの子供を産めるので、若さこそが重要になってくる。40歳の女性より20歳の女性の方がより多くの子供を為す可能性が高いのは言うまでもないだろう。婚活で真っ先に女性が年収を聞いてきてもそういうものだという余裕が重要である。

なぜ我々は性を二つ持つのだろう

とまあ全10章を使って、このようにさまざまな観点から性のシステムについて見ていくわけだけれども、中でも個人的に面白かったのは「なぜ我々は性を二つ持つのだろう」という問いかけだった。たしかに! なんでだろう? 一見したところ性を二つ持ち、二人揃わなければ子供ができないなどというふざけたシステムはない。出会う人間の半分は生殖相手にならないのだ。もし我々が雌雄同体であれば、出会った人間すべてが潜在的なパートナーとなり、より簡単に繁殖することができるだろう。非リアなんていなくなったかもしれない。実際そうした動物は多いし、植物もほとんどは雌雄同体だ。

長い間これは議論になり、時には「単なる偶然なんじゃないの、理由なんかないんじゃないの」説まで飛び出したぐらいだが、これには理由が──というよりかは利益があることがわかっている。性別を二つ持つのは人間だけではなく、動物全般に広く見られる現象だ。理由はなかなか複雑なのだが、かなりシンプルに説明してしまおう。わからないかもしれないが、まあ本書の第四章をちゃんと読めばわかるからわからなかったら読んで欲しい。まず受精時の説明から始める必要がある。精子は卵子に受精する時、核と呼ばれるものだけを卵にわたし、それ以外は卵子の中に入り込めない。父方の遺伝子のいくつか、核に入っていない部分はこの時自動的に切り離されるのである。

そうした切り捨てられた方(以後オルガネラの遺伝子と呼ぶ)はじゃあどこからとってくるのかといえば、母親から完全に遺伝する。このオルガネラとはなんなのか? オルガネラの代表的なものには、ミトコンドリアと葉緑体の二つがあり、前者は酸素を用いて食物からエネルギーを抽出、後者は太陽光線を用いて空気と自ら食物を作り出す。こうしたオルガネラはほぼ間違いなく細胞内に住んでいたバクテリアの子孫であり、宿主細胞が飼いならしてきたペットである。こいつらは置いていかれるのだが、なぜ置いていかれるのかといえば、こいつらを連れて行くことによってオス側とメス側で生存権をかけた争い、どちらかが消滅するまで繰り返される殲滅戦がはじまり、オスの核にとってさえも著しく不利に働くからである。

つまりオスとメスといった性差は、両親の細胞質遺伝子間に生じるであろう闘争を解決する手段として生き残ったものであると考えられる。生殖時にこのオルガネラの遺伝子を両者が持ち合い、殲滅戦を行い受精率を大幅に下げるぐらいであれば、片方からは受け継がないという協定を結んだ生物の方が多く生き残ったのである。また別種の利点として、父方からは受け継がないという協定を結ぶことにより、父方の配偶子は小さくなることができ、数が多く、可動性が高く、特殊化することもできるようになった。『性は、反社会的な習性に対する官僚的解決策なのである。*3

実はこれだけだと性が二つあることの説明にはなっても、両方の性を同時に持つことが出来ないのかという説明にはならないのだが、そこまで説明するとまた面倒なのでここらでやめておこう。しかしなかなか「なぜ我々にはオスとメスが分かれているのか、雌雄同体だったらもっといいじゃないか。あるいはそのまま分裂すれば面倒もないし」とは思わないものであるし、思ったとしてもそこに何か利益がある、仕組みがあるとはわからないだろう。我々はそうした自分がどのようなデザイン意図(神が設計したわけではないからこの表現は不適切だが)そのものを知ることができる時代にいるのだと、これを読んで生命の持つ機能の奥深さに大変に興奮したものだ。

我々人間とはいかな生物なのかという問いかけはまだまだ掘り返すべきところのある終わりなきものにも思えるが、その行動原理やそもそもの身体的なデザイン(男とか女とかどのような異性を好むとかどうして性差による行動傾向の違いがあるのかとか)の多くが子孫を残し遺伝子をいかに拡散させるのかを目的とする生殖目的論によって説明がつくと実感できる、名著である。我々はそうした性差への理解と納得を経ることによって、そうした違いを踏まえた社会と制度から個人的な付き合いまでもを構築する手がかりになるだろう。

赤の女王 性とヒトの進化 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

赤の女王 性とヒトの進化 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

*1:訳者あとがきによると、2003年にリプリントが出版され、研究の進展が多少反映されているのだが翻訳はこれを参考にして多少手を加えたようだ。それでも10年以上前である。

*2:もちろんだからといって女性が不貞を働くインセンティブがないわけではなく、安定して子育てをしてくれそうな男性を捕まえておきながら、子供はより能力的に有望そうな(然しそれ故に子育てには参加してくれなさそうな)男性との間で成そうとすることもある。

*3:p.175