基本読書

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『繁栄』のマット・リドレーによるイノベーション論──『人類とイノベーション:世界は「自由」と「失敗」で進化する』

『繁栄──明日を切り拓くための人類10万年史』や『進化は万能である──人類・テクノロジー・宇宙の未来』で有名なマット・リドレー最新作のテーマは「イノベーション」だ。リドレーは科学ジャーナリストで、『やわらかな遺伝子』や『赤の女王―性とヒトの進化』など生物学・遺伝子関係の本をずっと書いてきているが、世界は時間が未来に進むたびにどんどん良くなっていることを論じた『繁栄』以降はそのテーマから飛躍させ、遺伝子を軸にした人類史それ自体を扱うようになってきている。

『進化は万能である』は、世界で起こっている発明や繁栄のほとんどは「進化」そのものの力のおかげで起こっているのであって、誰か天才的な一個人の発想、発明や、トップダウンの押しつけで発展したものはほとんどないという大上段の論をうってみせた。世界の所得の増加も、感染症の消滅も、70億人への食料供給も、うまくいったことは偶然で予想外の結果であり、それを意図した誰かや組織の行動の結果ではない。むしろ、意図したデザインやトップダウンからの押しつけは、ロシア革命、世界大恐慌、ナチス政権などうまくいかない事例ばかりである──というのである。

 したがって、現在のような人類史の教え方は、人を誤らせかねない。デザインや指図、企画立案を過度に重視し、進化をあまりに軽視するからだ。その結果、将軍が戦いに勝ち、政治家が国家を運営し、科学者が真理を発見し、芸術家が新しいジャンルを生み出し、発明家が画期的躍進をもたらし、教師が生徒の頭脳を形成し、哲学者が人々の思考を変え、聖職者が道徳を説き、ビジネスマンが企業を引っ張り、策謀家が危機を招き、神々が道徳を定めるように見えてしまう。『進化は万能である』

続く本書『人類とイノベーション』は、『進化は万能である』の発展型といえる。世界には様々なイノベーションがこれまで幾度も起こってきたし、今もまた起こり続けている。そうしたイノベーションはいつどこで、なぜ起こるのか、そして、イノベーションが起こるためには何が必要なのか。本書は、蒸気機関や検索エンジン、ワクチンや電子タバコやコンテナといった多種多様なイノベーションの事例を通して、そうしたイノベーションの本質的な特徴について縦横無尽に語っていく。

イノベーションは必然で個人は重要でない

『進化は万能である』の発展型なので、本書もその主張を引き継いでいる。たとえば、一人の天才的発明家やイノベーターがいなければ発明されなかったものなど存在しない、ということにここでも触れている。ワット、エジソン、スワン、ライト兄弟など、彼らはみな歴史に名を残した偉大な発明家/イノベーターだったが、実際には彼らはたまたまその場所におさまっているに過ぎず、「連続体の一部」でしかない。

ライト兄弟が仮にいなかったとしても、20世紀初頭の10年のうちに、誰かが飛行機を飛ばしたことは間違いがない。ダーウィンがいなくてもウォレスが1850年代に自然淘汰を理解していたし、アインシュタインがいなくてもヘンドリック・ローレンスが数年以内に相対性原理を導いていた。ワトスンとクリックがいなくても、ウィルキンスとゴスリングが数ヶ月以内にDNAの構造を理解していた。イノベーションにおいて、個人は重要な存在ではない。それはただ起こるべき時に起こるのだ。

じゃあアインシュタインもダーウィンももなんでもないやつだとリドレーは言っているのか? といえばそうではない。『長期的には個人はあまり重要でないが、だからなおさら短期的には並はずれている。(……)したがって、イノベーションは必然で個人は重要でないという私の指摘は、侮蔑どころかじつは賛辞である。何十億人のなかで、新しい装置、新しいメカニズム、新しいアイデアの可能性を最初に理解する人間であるのは、どれだけ素晴らしいことか。』

イノベーションは「偶然」からはじまる

本書にはいくつものイノベーションにおける法則が導き出されていくが、その一つは「偶然からはじまる」ということ。たとえば、パスツールは実験的に作られたものとしては初のワクチンを作り出した人間だが、これが生まれたいきさつは偶然だ。コレラ菌の特性を理解するための実験として、培養菌をニワトリに接種しようとしていたのだが、自分は夏休みに入り、頼んだ部下もすっかり忘れて休暇に入ってしまう。

休暇から帰ってきて、風にさらされ古くなった培養菌をニワトリに接種したところ、そのニワトリは病気にはかかるが死ななかった。おそらくそこで直感が働いたのだと思うが、次に、通常ニワトリをすぐに殺す猛毒のコレラ菌株をその生き残ったニワトリに接種したところ、病気にさえならなかった。そこではじめてパスツールは、毒性の弱い微生物が毒性の強いものに対抗する免疫反応を引き起こし、だからこそワクチン接種は効くのだと理解しはじめた。これは完全に偶然がもたらした結末である。

似たところでは、世界初の抗生物質であるペニシリンも、アレクサンダー・フレミングがブドウ球菌を培養中、偶然にも青カビの胞子がペトリ皿に落ちたが、そのときにカビの周囲のブドウ球菌が溶解していることに気づいたことが最初である。

「発見」を「イノベーション」に変える必要がある

実際には、ただそれを発見しただけで世界が変わるわけではない。ペニシリンは大量生産や保存が難しく、初期の頃の製薬会社は殺菌薬としての販売や生産は実際的とは思えないとして10年以上にわたって関心を失われていた背景がある。状況が変わったのは1940年、ドイツから亡命した二人の科学者がフレミングの研究成果を見つけて負傷兵のための新たな治療法に使えるかもしれないと実験をはじめてからだ。

「発見」が「イノベーション」に発展するには、社会の状況の変化を待つ必要もある。たとえば、重いカバンについているキャスターは1970年代まで発明されなかった。普及した転がる旅行カバンの特許が申請されたのは1972年のことだ。カバンにキャスターをつけるぐらいいつ思いついてもよさそうなものである。実際、特許の歴史をみてみると、1969年にも、1949年にも、1947年にも、1925年にも、類似の特許は申請されている。なぜそれが広まらなかったのかといえば、駅や空港の構造の問題だった。段差が多く、ポーターは大勢いる上に仕事熱心、キャスターは重くて壊れやすく、思い通りに動かない。70年代に飛行機の利用が拡大し、乗客が歩かなければいけない距離が増大し、はじめてキャスター付きケースが真価を発揮したのだ。

おわりに

イノベーションが生まれるために必要なのは、副題にも入っているが「自由」と「失敗」が可能な環境だという。交換し、実験し、想像し、投資し、何度でも失敗することができる環境でなければ革新は起こり得ない。なぜならそもそもイノベーションとは計画的に起こせるものではなく、偶発的に、状況が整った瞬間にしか起こすことができないからだ。『イノベーションは自由から生まれる。なぜなら、それは自由に表現された人間の願望を満足させようとする、自由で独創的な試みだからである。』

そうした前提から、特許と著作権はイノベーションを阻止する要因であるし、原子力発電のような何度も失敗を繰り返し設計をやり直していくようなものはイノベーションが起こりづらいなどさまざまな分野にまたがる論が展開していくことになる。相変わらず卓越した読みやすさもあるので、おすすめだ。