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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない by pha

その他のノンフィクション

このような人生論的な本は、自分としてはほぼそのコアの部分について考えを決めていることもあってあまり読むことはない。結局のところ自分の幸せは自分の幸せであって、人が語る人生論をそのまま受け入れられるわけではないから、うまいこと自分に適合しそうな部分をちょいちょいっと拝借して自分のものにしていく他ないのだ。ただそうはいっても、たぶん日本一有名なニート(的な文筆業)であるphaさんの文章は内容とは別に語り口が随分親密で、重苦しくなく、だらだらと読むのがなんとも落ち着くので読んでしまう。

内容的にはほとんどは同意というか、同意できない部分があったとしても、前提として「ぼかあこうやってますよ、あなたは別ですよ」という鉄壁の防御壁があるので反論とかも特に無い。そうか、この人はそうなんだなで終わってしまう話だ。自己紹介的に自己の経歴について語ったりもするので、前著である『ニートの歩き方』と重複しているところもあるが、こっちはもう少し射程を広くとられている。「持たない幸福論」というように、「働きたくない」「家族を作らない」「お金に縛られない」それで本当に生きていけるのかについて語っていく、人生全般についての本だといえよう。

言うまでもないことだが仕事とかしていると、お金は稼げるかもしれないけどけっこうしんどい。人間関係はあるし、だいたいみんながやりたくないことをやるからこそ金が稼げるパターンが多いので、まあつらい。だるい。決まった時間に決まった場所に行かなければいけないとか、物凄く難しいことも要求される。もともと対人が好きじゃない人は、それだけで随分生きにくい世の中だろう。それにしても、なぜ働かなければいけないのか。当たり前だがそれは、基本的には働かなければお金が稼げないからだ。お金が稼げないと家も借りれないしご飯も食べれない。死にたくなければ働かざるをえない。

しかし、そうであるならば家を借りれてご飯を食べれて、それ以上を何一つ求めなければいいのでは? と当然のように考える。住居は安く借りられるところへ引っ越せば、ほぼ食事代だけ稼げば生きていける。それぐらいなら、正社員にならずとも、派遣社員にならずとも、アルバイトでもなんでもして月にあまり働かずとも生きていくことが出来るだろう。それじゃあただ生存しているだけで本当に生きているとはいえない? そうであるならば、何をすれば生きているといえるのか? 何をしているのがその人にとって幸福なのか? 都心に一軒家を構えるのが自分にとっての幸福なのだというのならば働かなければ始まらない。逆に毎日Wii Uでスプラトゥーンをやり続けるのが幸せだというのならば、田舎に引きこもって週3でバイトでもすればいい。

 生きるのが苦しくなったときは、世間の価値観や周りの意見にとらわれずに「自分が何が好きか」という感覚をしっかり持つことが大事だ。「自分はこれが好きだ、これをしているときが幸せだ」というものをはっきり持てば充実感を味わえるし、同じような趣味や価値観を持つ仲間もできるし、人との繋がりができればそれが社会の中の居場所として自分を支えてくれる。また、知り合いが仕事を紹介してくれたりだとか、好きなことの延長が仕事になったりすることもある。

金がなくても、家族をつくらなくても、ウマイことやればそれなりに幸せに暮らすことはできる。いってみれば本書の肝はこのあたりで「自分が何を好きか、何をしているときに一番充実や幸せを感じられるかをちゃんと把握すること」、そして孤立すると寂しいしつらいので「一人で孤立せずに社会や他人との繋がりを持ち続けること」の二つをきちんと見定めれば、効率よく幸せになれるでしょうという話だ。ごくごくシンプル。自分が何をしているときに一番充実しているのかさえわかれば、あとは逆算して「その状態を保つためには何をすればいいのか=どれぐらい稼げばいいのか」が明らかになる。phaさんはその欲望が随分低いところに抑えられているから(あるいは自分はそれで満足しているんだと自分に言い聞かせているか、どっちか。)その生活は随分質素なものだ。おかげで働く必要は大きく減じている。今はインターネットもあるから遊ぶ手段もたくさんあるとはいえ、僕にはこの生活はムリだな。

自分のパターン

本書を読む前からほぼ同じことをずっと考えていて、いろいろと試してもいる。三年企業で勤めて働いたが、なんか通勤はダルいし、上司とは話があわんし、僕はだいたい本が買えて文章が書けたら幸せなんだから、月に必要な額はこれぐらいだな。だったら会社に勤め続けている意味は無いな。やめよう、と思ってやめた。そんでもって次のことをやる前に、三年も働いたんだから一年ぐらい休暇をとろうと思ってだらだらしていた。本を読んで文章を書く以外にもいろいろと趣味はあったから、いくらでも時間は潰せると思っていたのだが、それが意外とやる気が湧いてこない。ずっと暇なんだから、あれもこれも今やらなくてもいいかと思ってしまうと、なんだか何もやる気が起きなくなってきてしまう。

結果的に昼ぐらいにもそもそと起きてきて、何もやる気がしないから犬を3時間ぐらい撫で続けてぼんやりし、起き上がってニコニコ動画でたいして面白くもない実況動画を延々と見続けて、飽きたら犬の散歩を一時間ぐらいして時間を潰すみたいな生活を送り続けた。最終的には、「これはラクだが、こんな生活を続ける意味はないぞ」と思ってしまった。一年ぐらい休もうと思っていたのに、このまま面白くもねえ実況動画を見続けるぐらいだったら働いてお金を稼いでそれを無駄遣いした方がマシだぜ、と思ってまた労働をはじめてしまったのだ。どうにもニートに向いていない性分といえる。

懸念点

また、同時に懸念点も一つあった。「このままだらだらと過ごすことは恐らく可能だし、現時点で自分はそれを楽しんで受け入れられるだろう。しかし40代、50代になった時どうか?」確かに自分が何を好きで、何をやっていれば楽しいのかを把握するのは大切だ。そしてそこに射程をあわせて生活を設計するのも恐らく正しい。しかし、それが変わった時のリスクはどの程度あるのだろう? 僕は文章が書くのが好きだし、本を読むのが好きだ。だからといってそれだけを享受できるように生活を設計し、五年後に突然文章を書くのも本を読むのも嫌いになってしまったら、その時僕は幸せではいられないだろう。

週3日ぐらいでバイトをして、たまに大きな買い物をするときは、単発の大きなバイトを入れる。そういう生活で五年十年楽しく過ごせるかもしれないが、40代50代になった時に「自分は何をしてきたんだ、何も積み上がるものがない」と絶望するのではないか? phaさん的な考えは常に魅力的にうつるが、もしいったん絶望にハマりこんだ時に後戻りできないリスクがあるし、自分個人としてはそのルートは選べないなというのが今の結論である。たとえば、人が子供を産むことが幸せだと感じる理由の一つは「確実に自分は正しいことをしたんだという確信が積み上がっていくもの」だからだと思う。

だからといって仕事をしていれば積み上がっていくものがあるかというのも別の話だが。変化が速いので積み上げたスキルが無駄になる場合も多く、結果的に仕事をしていても40代50代になった時に同じような無力感にとらわれる可能性はある。ただあらかじめ金を稼いでおくというのはあらゆる意味で保険になりえるので、僕としてはその保険は欲しいというところだ。結局、先のことなんてわからない以上どれが正解かなんてわからないんだから。そう考えていくと最初に『内容とは別に語り口が随分親密で、重苦しくなく、だらだらと読むのがなんとも落ち着くので読んでしまう。』を書いたが、もう一つ目的があったことになる。

「現代においてphaさんのような生き方は行き詰まる時がくるのか? くるとしたらどう行き詰まって、こないとしたらどのように回避するのか?」という観察を続けているのだともいえる。で、本書を読む限り、年齢を重ね30代の半ばを過ぎても、将棋をはじめたり園芸をはじめたりしてそれなりに楽しくやっているようだ。意外と暇があればいろいろやって、そのうちのどれかはぐっときて遊び続けられるものなのかもしれない。まだ40代にもなっていないから、今後の経過を見守りたいところだ。人生のロールモデルの一つとして、参考にするところは参考にするために。