基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

(読書)日記のおもしろさについて

最近noteで読書日記的なものを書いている。
note.mu
なぜ突然日記を書き始めたのかといえば、フリースタイル的な文章に憧れがあり、これまで何度も書いてきた(何度もやめた)延長と、noteで書き心地を試してみたかったから、という状況が噛み合ったにすぎない。なのでこの日記もいずれ止まるとは思うがとりあえず今はぬるぬると続いている。で、そもそもなぜ憧れがあるのかといえば、ひとつは森博嗣さんの日記が十年以上好きだからというのがあり、もうひとつは「書評」的なスタイルから離れた形で書いてみたいという願望があるからだ。

すべてがEになる I Say Essay Everyday

すべてがEになる I Say Essay Everyday

「書評」は一冊ないし複数冊の本について書き、記事なり書評原稿なりには必ずその本の書名が入る。なので、その本に興味がある人はクリックするだろうし、興味がない人はまずwebではクリックしない。だが、仮に日記のような形で、だらだらと誰でも読める形で日常が綴られていて、その中に今日はこんな本を20%ぐらい読んでこんな事を考えたとか、こんな本を買ったと書いていくことで、書評スタイルでは出会うはずのなかった本と出会うこともあるんじゃないかと思うのである。
殊能将之 読書日記 2000-2009 The Reading Diary of Mercy Snow

殊能将之 読書日記 2000-2009 The Reading Diary of Mercy Snow

そういう意味で言えば森博嗣さんのは読書日記ではない(森氏は最初期の日記を除けば読んだ本の書名すらあげない)から、僕の理想は殊能将之さんの読書日記に近い。昔の記事(殊能さんの読書日記についての)を読み返してみたが、その頃からこれこそが自分の理想なのだと書いていて、ずっと変わっていないことがわかる。大森望さんの本の中でも『狂乱西葛西日記20世紀remix』が特別に好きだし、phaさんがnoteで書いている日記も好きだ。phaさんの文章の最良の部分が現れているのは、この日記なんじゃないかと思う。それは要するに世界の見方と切り取り方の良さなのだ*1
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どこまで私生活を明かすのか。どこまでエッセイに寄せるのか、毎回の日記の中にテーマ仕込むのか仕込まないのか──「日記」と一言でいってもそうした一人一人のスタイルの違いがあり、それがまたおもしろい。Twitterでやればええやんけ、と言われると、うーんあんま違わないかも知れないけれど、やはり強制的に日記を流すというよりかは、プライベートな話が入るわけだから、私室に入るまえにドアをどんどん叩くみたいに明確に「クリック」して毎回入ってきてくれ、という気持ちがある。

個人的な経験上書き続けられるかどうかは自分に最適な(書くのが難しくなく、自然に書き始められるような)文章スタイル(情報をどこまで明かすのかとかまで含めて)を構築できるかにかかっているので、そのへんのいい塩梅を見つけられるときがきたらいいなと思って、ぬるぬると書いている次第である。

*1:そもそもnoteで日記を書くかあと思ったのはphaさんの日記があるからだった