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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

『大泉エッセイ 僕が綴った16年』と水曜どうでしょうの面白さの本質について

大泉エッセイ 僕が綴った16年 (角川文庫)

大泉エッセイ 僕が綴った16年 (角川文庫)

2015年も後半戦になってお前は何を言っているんだと思われるかもしれないが最近水曜どうでしょうを延々と観ている。これまでの人生で笑った総量と同じぐらいの笑いを既に水曜どうでしょうから引き出されているんじゃないかというぐらい笑って、この番組に出ているメインメンバー四人のことが愛おしくてたまらない。言わずと知れた大泉洋に、最近は映画監督やドラマ監督としての活躍も著しい鈴井貴之、チーフディレクターの藤村Dにディレクター兼カメラマンの嬉野Dが繰り広げる旅バラエティ番組。四人それぞれまったくキャラが違い(一人はカメラマンでほとんど喋らないが)それぞれに味がある。奇跡的な配役だ。

そろそろ見れる分については見終わってしまいそうだということもあって関連コンテンツを漁り始めたのである。まずは書籍だ、ということでつい最近文庫化されたばかりの『大泉エッセイ』を手にとった。メイン俳優の一人である大泉洋さんの24歳からのエッセイを集めたもので、芸能人本といえば基本的にはゴーストライティングされるものだが(芸人に文章を書かせるとコストパフォーマンスが悪いから)、これはとてもヘタクソなのと売れ出す前から書かれているものなので本人が書いているのだろう。

後述する通り非常に面白いパートもあるのだが、俳優兼テレビマンであるところの大泉さんは文章を書くのは専門ではないから、ここで綴られている大半のことは文章はあまりうまくはない。無理やりひねくりだしたような、バカバカしい身辺雑記が続く。それでも、大泉ファンはそれを読んで満足する、僕だって(2015年に観始めていきなりこういうこともなんだが)大泉ファンだから、別に書かれていることの文章的なクォリティが高くなくたって満足だ。ファンは買って満足するだろう。よって、この本の面白さについては特に書くことはないのである。

それだけでは何なので水曜どうでしょうで僕が一体何をこんなに興奮して楽しんでいるのかを一応書いてみようと思う。*1何しろこの文庫版には2013年に単行本が出た時の書き下ろしでそのままズバリ「『水曜どうでしょう』について」と書かれたエッセイが掲載されているのだ。ここで水曜どうでしょうへの思いの熱さも込められていれば、同時に冷静な分析もあり、僕としてはこれを読めただけでも充分に元がとれたと思った。読んでいて思わず泣いた。*2

水曜どうでしょうとはなにか

その前に水曜どうでしょうがどのような企画なのかについて簡単な説明を入れておくと、基本的には北海道で放送されていた(1996-2002 以後不定期)ローカルな旅バラエティ番組である。最初の企画はサイコロの旅といい、東京から6つの行き先と移動手段が割り振られたサイコロを振って彼らの本拠地である北海道まで帰ろう! というだけのシンプルさ。それが時には8時間もの間深夜バスにのって博多やら四国やらに運ばれたり、ヘリに乗せられたり、東京や大阪になんとか戻ったと思ったらまた四国へと戻されたり──と全てが運任せで進行して、その過程のほとんどはカメラに撮られない、はたから見れば無意味に過酷なロケへとつながっていく。

それでもその道中でおっさん(大泉さんは初期はまだ大学生で、若者)連中がサイコロの目に一喜一憂し、馬鹿笑いをしながら画面におさめられ、過酷な道中に俳優陣の顔が完全に死んでいたりという一瞬一瞬に喜びが生まれてくる。その後企画はエスカレートしてオーストラリやアメリカを縦断/横断してみたり、ユーコン川を160キロ手漕ぎカヌーで下ったり、コスタリカへ鳥を撮影しにいったりと様々な局面にチャレンジしていくことになるのだ。やっているのは旅だけではないのだが、それはひとまず割愛しておこう。

大泉さんはこの番組の面白さを主に次の4つに分類している。①ヒゲ(藤村D)の笑い声。②カメラが演者を撮らない、という手法。③ミスターこと鈴井貴之の存在。④まったく台本がない中で、皆がそれぞれに次の展開を考えているその過程。 であると。中でも最後の④こそが、面白さの本質だという。もちろんこの一つ一つにちゃんとした理屈がついており、そのあたりも一読の価値ありなのでここでは書かない。*3

④が水曜どうでしょうの面白さの本質であることに僕も同意する。筋書きがほとんど決められておらず、その代わり「ゴール」は決められていることがほとんどだ(幻の鳥を撮影する、甘いものの早食い対決で全国を横断してポイントを競う、サイコロの目で旅をして東京から北海道に戻る)。スタートとゴールだけが明確に決められていて、ゴールへ向かっていくその過程で起こるアドリブ劇、ストーリーが即興でつくられていくことこそが水曜どうでしょうの面白さなのだと。

ランダム性についての話

もちろん脚本こそないものの、随所随所で面白いこと、沸き立たせることを起こすようにとアドリブ劇の中で繰り広げられるディレクター陣の「仕掛け」が発動していくのも水曜どうでしょうの面白さの一つだ。でも本書で書かれていない、もう一つ重要な要素が「即興」「非予定調和感」「予測不可能性」を最大限生み出すために「ランダム性」を積極的に取り入れていることだと思う。

一番最初の企画であるサイコロの旅から顕著だが、水曜どうでしょうの企画はほとんどの場合とてもゲーム的だ。目的=ゴールがあって、そこに到達するためにRPG的なレベル上げ(地道に車を運転する、地道に歩く、といった地道な作業)をする時もあれば、サイコロを降る、ランダムなカードから一枚ひいて次に行く場所を選ぶというランダム性を取り入れていることも多い。コスタリカやカナダでユーコン川をくだろうという時には当然サイコロなんかふらないが、そういう未知の環境では「ただ歩くこと」「ただカヌーを漕ぐこと」が予測不可能な自体を引き起こす。

「こうくるだろうなあ」という「予想」を外した時に受け手側は「あれ?/おっ?」と思い、その結果が予想とは違っても期待に沿う/期待を超えるものであればそこに「面白い」という感情が生まれる。水曜どうでしょうの企画に設定されている「ゴール」と「何が起こるのかわからないランダムネスを意図的に発生させる仕掛け」が常に画面へ予測不可能性と非予定調和性を生み出し、その作品を一人なり複数人なりの「製作者」からそれを受容する側のもの「みんなすべてのもの」の元へ引きずり下ろすような効果があるんじゃないかと思う。*4

これはランダムネスを意図的に作品に取り込まない作品には生まれようのない面白さだ。それはつまりほとんどの作品のことでもある。小説、マンガ、アニメ、実写映画とそれらは全て設計の(当然製作途中に起こる意図せぬランダム要素は入るにせよ)上に成り立っているのであり、我々はそれら作品を受容し、「すごかった」「予想外の展開だった」と思ったとしてもそれは「製作者はすごい!」という特定の誰かの手のひらで踊っていることを常に意識させられる(もちろんそれが面白くないわけではない。別種の面白さだとここではいっているのだ)。

意図的にランダムネスを導入した水曜どうでしょうのような作品は、もちろん編集を加えた「製作者」が我々の目の前に存在してはいるものの、それとは別に神さえも予測のつかない「超越的なもの」に「製作者らと同じ目線で」対峙することになる。『水曜どうでしょう』のような、非予定調和型の意図的にランダムネスを取り込んだ作品を受容するとき、我々は超越的なものと対峙している。これが僕が水曜どうでしょうという類まれなテレビ番組を延々と見続けて得た一つの結論である。

次から次へと予想もできない方向と事態へと連れだされ、その度に俳優陣やディレクター陣がそれを相乗効果的に伝えるリアクションをしてくれる。ようは「まったく台本がない中で自然発生的にストーリーが展開する」ことが面白く、本質であるというのは確かだが、その行き当たりばったりさにしっかりとした面白さを生み出すロジックが組み込まれているのがいい、ということがいいたかったのだ。『水曜どうでしょう』は僕にとっては衝撃以外の何物でもなく、この記事ではその面白さの本質的な部分の一旦に触れたに過ぎない。

まだ役者の話もしていないし、ディレクター陣が仕掛けた「面白くなる環境整備の力」にも触れていないしどの企画のどの部分が面白かったとかそういう話を全然していないのでまた全て見終わってから何度か記事を上げることになると思う。それぐらい素晴らしい、僕にとってはエンターテイメントの本質が詰め込まれた破壊的なテレビ番組だ。

そういえば僕が突然水曜どうでしょうにハマったのはニコニコ動画で無料公開されていたこのベトナム動画がきっかけなので気になった人は見てみてね。

*1:もうスタート自体は20年近く前の企画のものを今更みて、先行の感想など一切読まずに書いているので「こいつは今更何を言っているんだ感」があるのは重々承知している。

*2:※ちなみに2015年文庫版には娘と家族との話を綴った文庫版書き下ろしエッセイがあり、これもまた大泉さんの家族愛がみえてじんわりときます。

*3:もちろんこれを書いているのは大泉さんであり、ここには当然ミスターの存在と同じく大泉洋の存在が大きいことは抜かされているが、それはあの番組を見た人誰もがわかっていることだろう。

*4:連想した作品として、石ダテコー太郎関連作品、特にみならいディーバがある。みならいディーバという奇跡 - 基本読書 最近はこうした「意図的にランダム性/予測不可能性を作品内に取り込むことの利益と限界について興味がある」