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(面白さ)の研究 世界観エンタメはなぜブームを生むのか (角川新書) by 都留泰作

面白さというのは基本的には主観的なものであり、「何が面白くて」「何が面白く無いのか」と分類するのは脳科学的な研究でもなければ随分難しいことだ。プロット等の構造的な部分については、受け手側の体験から切り離してある程度穴などをチェックできるから、修正や定式化もある程度可能だが、それ以外の部分になるとどうだろうか? というわけでこの手の「面白さの研究」などと謳う本はろくでもない本であることが珍しくないが、本書はなかなかおもしろかった。

ただ防御が甘く、「いや、その言い切りはおかしいでしょ」とか「その論はこじつけでしょ」とか「「気がする」とかいう雑な感想が多すぎでしょ」といった残念な部分が多いが、議題や考えを発展させるネタ元としての価値が高いように思う。

(面白さ)の研究  世界観エンタメはなぜブームを生むのか (角川新書)

(面白さ)の研究 世界観エンタメはなぜブームを生むのか (角川新書)

幾つか基本的な情報の提供から始めると、著者の都留泰作さんは文化人類学の学者にして(今は京都精華大学マンガ学部准教授)、アフタヌーンで四季賞を受賞し漫画を連載している漫画家でもある。作品としては全6巻の『ナチュン』や現在連載中の『ムシヌユン』など。本書は書名にあるとおりに、「面白さとはなにか」「それはどのような時に受け手に伝わるのか」を「世界観」から見ていく本だ。

著者が漫画家だからといって扱う対象は漫画に留まらない。『ロード・オブ・ザ・リング』や『スター・ウォーズ』『となりのトトロ』等の宮﨑駿アニメを筆頭に、上橋菜穂子作品から『踊る大捜査線』『半沢直樹』と物語系エンターテイメント作品全般を「世界観」という切り口でみていく。

世界観エンタメ

面白いと思ったのは「世界観」に注目している部分。ストーリーやキャラクターを分析する本はたくさんあるけど、世界観を語る言質ってあんまりないんじゃない? というあたりを基盤にしている。『問題は、「人間」に焦点を合わせたドラマツルギーの「面白さ」について語る言葉は氾濫しているのに、「世界」をどう「面白く」語るか、ということを真面目に考えている人はまだあまりいないというところにあると思う。』実際には世界観を語る言質は結構あると思うんだけど(この前出た荒木飛呂彦さんの物語論でも語られている)それに注力して語った本は、確かに(僕は)読んだことないな。

空間や時間、人間社会といった世界を構築する要素を一つ一つ取り上げ、作品ごとに分析を行っていく。空間の章ではまずスター・ウォーズが取り上げられているが、『ガチで、非日常の宇宙に観客を上手く誘い込み、ヒットへと導いた特撮ものとしては、『スター・ウォーズ』がおそらくワン・アンド・オンリーであろう。』などといって最初から大いに不安を煽ってくれる(スタートレック……)。

それはそれとして、よくスター・ウォーズ成功の秘訣として語られるプロットの神話的な構造とは別に、あの多様な異種族文化が混在し、宇宙を宇宙として描くというよりかは「見ていて気持ちのよい宇宙空間にしてしまう」作法は独自の世界観構築で作品の魅力に直結しているというのはなるほどなと思わされる。

 タトゥイーンから離れて、一般化して考えると、『スター・ウォーズ』空間は、ルーカスの想像力によって宇宙のスケールに拡散され巨大化した地球そのものである。総面積にすれば、地球の何億倍にもなるだろう。登場人物は、我々が飛行機や船を使って地球上のあらゆるところを旅行できるように、架空の宇宙船を駆ることで宇宙を旅行できるのだ。映画を見ていると、『スター・ウォーズ』の宇宙は、真空どころか、空気が充満しており、摂氏二〇度くらいで快適なのだろう、という気がしてくる。これは無意識的に、アポロ計画に見られるようなシビアな現実の宇宙旅行ではなく、我々のリゾート的な世界旅行のイメージをかき立てられるためである。これこそがルーカスの構想する「音のする宇宙」の正体だ。

上橋菜穂子作品や宮﨑駿作品

他にも著者と同じく元々文化人類学者である上橋菜穂子さんが、作品を描く時に「私の場合、物語は、ある場面から生まれてきます」と語ることから作品内における「世界の匂い、食事、手触り、光の当たり具合」までも書き込まれた世界観を例にあげたりと「世界観構築」そのものが重視された作品の分析が続いていく。

その筆頭として扱われているのが、宮﨑駿作品だ。たとえば『となりのトトロ』の世界観について語った部分では、宮﨑駿さんがトトロ作成当時中尾佐助さんの「照葉樹林文化論」にハマっていたことが関係して(実際、おおいに励まされたとの記述が多数あるらしい)結果、トトロの日本描写に徹底的な植生描写が持ち込まれるようになったのだろうと話は展開する。

たしかに何も知らずにトトロを語り始めると、『となりのトトロ』においてまず目をみはるのはあの古きよき日本的な風景に、自然と違和感でしかないトトロが調和している姿だ──と言いたくなってしまうが、その「古き良き日本的な風景って、なに?」といわれると、「なんかそんなかんじよ」としか言いようがなかった。『となりのトトロ』を懐かしくしたのは「植物」だと言われるとそうかもしれないと思ってしまう。

 宮崎は「日本の土俗性や、その内側に僕たちをひきずりこむ重力を嫌悪し、そこから観客を遠ざけたいと考えた。そこで、これまで意識はされていたが、当たり前過ぎて逆に無視されてきた、「日本らしい」植生を用いて、日本の風景をニュートラルに、だが劇画化には逃げずに徹底して本物らしく描き出した。このことの校歌は絶大で、日本の田舎がイメージとして付着させてきた土臭いローカルな雰囲気を、魔法のように消し去った。宮崎は、『トトロ』において、無国籍化した、どこにもありそうでどこにもない、懐かしささえ感じさせる新たなふるさとのイメージ、要するにある一つの「人間的現実」を生み出したのである。

ちと行き過ぎな部分

ただ、ちと行き過ぎだなと思う部分もある。トトロ語りの締めの部分である

つまりは、「異世界」としての「日本の田舎」を創造することによって、宮崎は国民的作家になりえたのだった。

とか、その要素があったことは否定しないが、そこまで話を広げる意味ある? と疑問に思ってしまう。こうしたちょくちょく「それは議論を拡張させすぎでわ」というところがあるので、手放しに褒めることができない。またこの後は時間間隔と社会空間についての話が始まるのだが、そこはもっとあやふやな話が展開する。千と千尋の神隠しとくらべてハウルが時間間隔として劣っている点として、チャージという言葉で説明しているのだがこれとか意味がよくわからないし(僕の理解力がないのかもしれないが)。

『ハウル』でも似たような「チャージ」を施そうとしている形跡が感じられるのだが、なんとなく「燃料不足」の印象を受けるのだ。

と殆ど説明なくいわれてもこっちからしたら「なんとなく」とか「燃料不足」とかなんのことを言っているのか理解不能だ。もっと酷いものとしては

僕の印象では、この『千と千尋』と『ハウル』の興行収入のスケールの違いは、時間間隔の違いによってもたらされているような感じがしてならない。

時間間隔がハウルはなってないからつまらないぐらいならわからないでもないが、ろくに説明もないままにそれを興行収入の話に繋げるのは理解不能。「なんとなく」とか「感じがしてならない」とか、要するに感想レベルの話だ。まあ僕は千と千尋の神隠しもハウルの動く城も観たことがないから意味がわからないだけかもしれない。というかそもそも家にテレビがなかったし今もないから、宮﨑駿アニメってほとんど観たことがないんだけど。それは余談だった。

まとめ

一部分を切り取ってみせたに過ぎないが(批判部分も一部分を切り取ったものだけだから、気になるようなら読んで判断してほしい)世界観それ自体を正面から取り扱って見せていて、行き過ぎな部分はあれど楽しく読んだ。世界観エンタメについても著者からの明確な定義が与えられており、それはそこそこ使い勝手のよさそうな考え方でもある。『世界観エンタメ。それは、擬似的に「住める世界」「住みたい世界」を与えることにより、繰り返しの消費に耐えることができる。非常に耐久性の高いエンタメを現代社会に提供するものなのだ。』

もちろんわざわざ「世界観エンタメ」なんてくくらなくてもいいのかもしれない。「世界観エンタメ」と「非世界観エンタメ」の境目はどこにあるの? と聞かれても困ってしまう。ただこのあと語られていくワンピースや進撃の巨人など、「世界観の魅力」それ自体に注目して見るのは、面白いね、っていう単純な話。シナリオの粗を探し、修正を加えるスクリプトドクターという存在がいるけれども、世界観全体の構築を行う世界観コーディネーターみたいな存在がいてもいいのかもしれない(実際にそういう役職が作品に使われているのも何作品か観たことがあるけれども、あまり一般的じゃないように思う)。