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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

宇宙生物多様性保存SF──『砂星からの訪問者』 by 小川一水

砂星からの訪問者 (朝日文庫)

砂星からの訪問者 (朝日文庫)

見果てぬ宇宙へ、まだ見ぬ生物を求めて宇宙へとさまよい出た人類を描いた前作『臨機巧緻のディープ・ブルー』の続編が、今度はノベルスから文庫へとその形態を変更して出た。前作同様未知の異星生物と出会い、その生態を辛抱強く見て、知って、最適な関係性構築をはかっていく「宇宙生物多様性保存SF」。

前作主人公の石塚旅人とサポートAIのポーシャ等も引き続き中心人物となるが、基本は一巻ごとに独立した話なので本書から読んでもいいだろう。僕個人の好みとしては(文庫ということもあって)本書の方が好きだな。huyukiitoichi.hatenadiary.jp

前回までの簡単なあらすじと今回のあらすじ

もともと一介の艦隊付きカメラマンに過ぎなかったタビトが、ひょんなことから命令に背いて無断で部隊を離脱。その後接触が確立していない異星人の集団に潜り込み、結果的にそれは大きなごたごたを通して「良かった良かった」的な結末へとたどり着いたものの(それが前作の物語にあたる)当然命令違反は問題となり、一週間もの幽閉を喰らっているところから本書ははじまる。

独房にぶちこまれながらも彼の行動は確かに大きな成果をもたらしており、それ相応の評価を受けていた。そんな彼の元へ、「人類がいまだに見つけていないけれども、存在するに違いない未知の異星生物」を撮りにいってくれないかとダーウィン機関から依頼が入ることになる。その文明は、存在していたのは確かだが、それは既に滅びてしまって、今存在しているのか、そもそも敵対的か友好的かどうかすらわからない。そんな危険な状況に、ただ「撮り」にいくのかと問われ、タビトは有無をいわさずこう答える。

「バチス族を撮れと言われたら?」sAI天鵝に聞き返してすぐ、タビトはうなずいた。「やりたい──と思うよ。なぜ?」
「なぜ、とはこちらの台詞だ。君は前回、何度も死にそうな目に遭ったはずだ。それでもまた同じようなことをやりたいというのか。そんなに異星生物に興味があるのか?」
「うん。──というのは、つまりさ」タビトは片足を組んで、身を乗り出す。「僕は、バチス族の女性を、まだ撮ってないんだ。」

見たことがないものを、見たい。撮ったことがないものを撮りたい。未知があるのであればそこに危険があったとしても、行動を抑制することにはならない(人がいる)のが人類だ。さあ、それでは物語はこのバチス族をめぐって展開するのだろうな──と思いきや、バチス族関連の話題はわずか四行ほどで解決してしまいう。事件はそのすぐ後、敵に本拠地を知られぬ為一旦前線基地「沖ノ島星系」へと停泊したところで「未知の敵の急襲」を受けることで起こることになる(スルーされるバチス族)。

突発的に現れた1000隻以上の「未知の艦船」は不可解な行動をとる。星系侵略にきたのであれば、到着と同時に索敵、防衛戦力の無力化を図るのが常道だがそうした行動は一切見られず、ただ場当たり的に攻撃と逃走を繰り返し端的にいって「何がしたいのか理解できない」存在だ。その姿は表紙に描かれているように大型の猫を思わせるような形をしていて、たまたまタビトが遭遇した個体は翻訳機みたいなものを使って言語を操っているように見える。

この不可思議な生物はいったいどのような意図をもってこの宇宙にさまよい出て、しかも人類艦隊を攻撃するに至ったのか──未知の異星生物の行動原理を解き明かしていく過程は、「地球生物」とはまったく異なる論理・理屈・歴史を辿った「異星物史」をたどり直すようなもので前作に引き続きスリリングな試みだ。果たして、地球とはまったく異なる生物が作る星史とはどのような光景なのだろうか──「いままで見たことがないものを見てみたい」純粋な好奇心が、人類から非人類まで含めてこのシリーズに充満している視点と駆動装置になっていく。

宇宙生物多様性保存SF

本書の設定として面白いのは、こうした「突発的に遭遇する未知の異星生物」に対して、徹底的に「知は力なり」を綱領とするダーウィン機関が「異星生命体を知ること」を第一にして最終の目的とすることで、それが一般的なスペオペとはずいぶん違った展開を引き起こしていく。

 機関の目的は宇宙の生物種を見いだし、その減少を防ぐことである。仮に星系ミリマシンなどという広域攻撃兵器を用いて、惑星フクの生物に悪影響を与えてしまったら、一大事である。本末転倒もはなはだしい。装置の安全性はしっかりと確かめられなければならない。

そう単純にいっても「じゃあ襲われても無抵抗でやられ続けるのか」といえばそうもいかないし、危険な宇宙生物がいたらそいつを放置していてもいいのかという問いかけに対する答えもまあ、ノーなわけだ。武と知、危険と知ることの喜びといったシーソーゲームが「見ること、その意味」を中心として展開していく本シリーズには本質的に存在している。

この先の展望

まだ展開として迎えていないが、「見る」ために宇宙を駆け巡った末に遭遇するのは文明的に現在の人類文明と釣り合いのとれる=交戦可能が相手だけではないことも示唆されているのも今後のシリーズで期待させられるところだ。果たしてあらゆる意味で人類を超越した「なにものか」に出会い、知ろうとした時に、そこで何が起こってしまうのか。ある意味ではSFを超えた宗教的な問答にもなりかねない問いかけではあるが、本シリーズはここまで射程に捉えている。

「その『ターゲット』に決して膝を屈するわけにはいかない。生命の価値に貴賎も貧富もないということから考えるなら、知識や知性や徳性によってすらも、どちらが貴いかは量られるべきではない。無垢の花にも、卑劣な赤子食いにも、生は等しかるべし。おのれよりもあらゆる意味で高格の存在が現れたら、むしろそれを撃ち破り乗り越えることこそが、生命知性の生きる方途、生きた証となるだろう。」

ハヤカワなどの「ど真ん中」レーベルからではなく朝日新聞出版の朝日文庫から出ていることもあってか、小川一水作品にしては言及が少ないような気がする(本当に気がする、レベルなんだけど)が、キャラのやりとりは軽く展開は早く読みやすいものの、その実どっしりとした射程を感じさせる骨太な作品なので、今のうちにおっかけておくといい(突然打ち切りになったら困るし)。

臨機巧緻のディープ・ブルー (朝日ノベルズ)

臨機巧緻のディープ・ブルー (朝日ノベルズ)