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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

魔術×ミステリ──『魔術師を探せ! 』 by ランドル・ギャレット

魔術師を探せ! 〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

魔術師を探せ! 〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

本書『魔術師を探せ!』はランドル・ギャレットによる魔術が当たり前に存在する世界での殺人事件を探偵役が解決していくファンジックミステリだ。翻訳は1978年が初出なので実に40年近くの時を経て新訳で復活した。長篇ではなく、「その眼は見た」「シェルブールの呪い」「青い死体」の3篇を集めた中篇集となる。

それにしても、魔術が存在する世界でのミステリって、自由度が高くていろいろ実験的なこともできそうだし、もっとたくさん数があってもいいと思うんだけれどもあんまり数がないのはやっぱりその理論的な構築が難しいからだろうか。

たとえば、問答無用で遠く離れた相手の首を魔術でひねり潰せるのであれば殺人犯の捜索などはなから不可能になってしまう。であればこそ「人間が道筋をつけて推理可能な」ミステリの形式に落としこむのであれば、まずは魔術の禁じ手と、それが読者にもわかるように明快なルールを構築しなければならないんだろうが、まあ面倒くさいよね。でも本書はそれを明快にやってる。凄い。

時代とか舞台とか

物語の舞台は架空の歴史を辿った19世紀後半あたりの英仏帝国である。架空の歴史といってもどこか一つの歯車が狂ったとかじゃなくて、産業革命は起こってなくて電気は普及してないし、自動車も飛行機もなく移動は馬車や汽車だ。「産業革命以前のヨーロッパ」に魔術が導入されて、第一次、第二次世界大戦も起こっていないし人々がのほほんと暮らしているある程度は平和な世界のように見える。

魔術があるといっても制約が多く、限定的な効果を発揮するもので産業革命の代わりになるようなものではない。たとえばゴキブリを殺そうとしてゴキブリの糞を埃ごと集めて鍋に入れて、抹殺の呪文を唱えて煮たら自分の汗が紛れ込んでいてゴキブリもろとも死ぬことになったとかいう恐ろしいことが平然と起こるので使い勝手が悪い。ただ、理論的に魔術は構築されており、一部の"タレント"を持った選ばれし者しか使えないといっても、その効力は広く社会に浸透している。

魔術、その理論的背景

故に、殺人が起これば当然"魔術"の関与が疑われることになる。本書は同一人物を中心とした連作中篇集なので、非魔術師だがその類まれな観察眼と推理力によって探偵のようなことをやっているダーシー卿と、凄腕の魔術師であるマスター・ショーン・オロックリンがコンビを組んで事件にあたる。第一の中編「その眼は見た」では、女好きの伯爵が寝室の中で射殺されている事件を追う。下調べの段階から魔術は度々使用されるのだが、そのディティールは実に細かく書き込まれていく。

たとえば魔術でできることの一つに、「関連性を辿る」がある。一つの服からボタンが飛んで、それが地面に落ちているのであればどのローブにくっついていたものなのかはすぐにわかる。しかしその力を使って放置された銃の持ち主を辿ることはできないのである。なぜなら銃の持ち主、「だれが引き金を引いた」とか「なにを狙って発泡された」とかは「銃自体との直接的関連性を持たない」から。だが、弾丸と銃、また発射された弾丸が何に当たったのかは服と同じように直接的関係性によって結ばれているので、判断することができる。

こうやって「魔術でできること」と「魔術でできないこと」が明確にケースごとに区別され、定義付けされていくので、「銃で打たれてる! 犯人を魔術で探そう!」とか、逆に「犯人が銃を魔術で発射させたのだ!」という極端なショートカットができないことが実に説得力を持って描き出される。しかもその社会的な背景──人口のわずか数パーセントしか魔術の"タレント"を持っておらず、持っているものも不断の研鑽と努力を続けなければ大したことはできないし、魔術師にもそれぞれ専門分野があって──と明かされていくと、小さな殺人事件とかいいから、魔術大戦とか起こりませんかね? とミステリそっちのけで楽しくなってきてしまう。

魔法使いの夜 通常版

魔法使いの夜 通常版

シェルブールの呪い

そのあたりはまあ、TYPE-MOON作品に任せるとして……。中篇一作で魔術の全容が明かされるわけでもなく、たとえば第二篇目の「シェルブールの呪い」では<ギアス理論>、心霊代数学の理論と呼ばれる人間の精神・行動をある程度強制することのできる魔術の存在が明かされる。話も面白く、下働きの男の死体、侯爵の疾走、エージェントの行方不明と怪事件が続く中隣国ポーランドが怪しげな行動を起こしており……と国際情勢が絡んでくる少し規模のデカイ話になっている。

さて、ここで重要な提示は「人間の精神を操作する魔術がある」ということだが、これにも当然厳密なルールが存在する。そもそもこの世界の魔術理論に重要な原則の一つに「相似」がある。これは要は「似ているものは感応させやすい」ということだ。たとえば像を使って対象の死を誘導する、というように。その前提は既に最初の中篇「その眼は見た」で明かされており、きちんと読んでいればちゃんとこの中篇の殺害方法にも気がつけるようになっているのが凄い。

青い死体

最後の中篇「青い死体」はそのタイトルのまんまで、青く染められた死体が思いもよらない所──別人のために用意された棺の中から出てきた! なぜ棺に? なぜ青く? という謎を解き明かす作品だ。相似の法則、防腐呪文での死後経過時間の隠蔽とこれま判明している魔術を使いながら、アルビオン協会らが使うまた別種の魔術の存在も明かされ謎は魔術と「魔術が存在する世界」であることを逆手にとったような見事で明快な結末が訪れる。

おわりに

謎解きは魔術という用意に理不尽な思いをするであろうアイディアを中核に埋め込みながらも明快で納得感が高い。その上、「魔術が存在する架空史」として書き込まれていく背景、魔術それ自体の理論的背景はほんのり情報が明かされていくだけで想像が広がっていく面白さがある。ランドル・ギャレットはこの三篇以外にも『魔術師が多すぎる』という長篇と、解説によれば他に7篇の中短篇作品を発表しているらしい。本作はかなり面白かったので、売れて新しく出されないかなあ。