基本読書

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ホームズがクトゥルーの古き神々と遭遇する大胆不敵なマッシュアップ──『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』

映画も含めたシャーロック・ホームズ関連作品はコナン・ドイルによる正典の他に数多くのパスティーシュ、クロスオーバー、二次創作で溢れかえっているが、その流れに新たに連なっているのが『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』だ。ラブクラフトによって打ち立てられた巨大な世界「クトゥルフ神話」、そしてそこに現れる古き神々とホームズが出会う様を描き出す、大胆不敵なマッシュアップである。

ホームズの持ち味といえばその鋭い観察眼と明快なロジック、腕っぷしが必要になるときはバリツによって事件を解決に導いていくところにあるが、クトゥルーの神々には当然ながらロジックもバリツも通じない。理屈が通じない神々と出会った時、ホームズとワトソンはどのような反応を返すのか──!? と、正直座組を聞いた段階でワクワクせざるを得ない作品だ。著者のジェイムズ・ラヴグローヴはミリタリーSFにホームズ・パスティーシュにと多くのジャンルを手掛けるベテラン作家で、一見したところ話の展開が難しそうな座組の本作を手堅くまとめあげている。

物語の導入

物語は本書の著者ジェイムズ・ラヴグローヴのもとにある手紙が届く場面から幕を開ける。手紙に書かれていたのは、ジェイムズ・ラヴグローヴが実はクトゥルフ神話の祖H・P・ラヴクラフトの遠縁の親戚にあたる事実と、ラヴクラフトの遺産の引き取り手がいなかった3つの原稿の束を引き渡したいという申し出だった──。

というわけでその引き取り手のいない3つの原稿が本作『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』を含む三部作なのだ。原稿は正典と同じくワトスンによって書かれている。老境に入ったワトスンが、あまりに信じがたい事実のために正典には書くことのできなかった「ホームズの人生のすべて」をさらけ出すという覚悟の前置きからはじまり、その(ワトスンとホームズの)出会いの時から実は二人がクトゥルフの世界と関わっていたことが明かされていく。彼らは最初から人智の及ばぬ世界に触れており、正典として知られている事件はすべて虚実織り交ぜた〝フェイク〟なのだと。

ホームズと私は二人で結託して、読者を誤認に導く壮大なミスディレクションを図った。一般大衆を安心させ、彼の扱う事件が実は不穏な性質のものではないかという疑義を抱かせないようにするためだ。罪悪感はない。しかるべき配慮であり、より大きな善のためにした、ごまかしなのである。

この二人が捜査にあたった嘘偽りのない最初の事件が、シャドウェル地区で発生した連続怪死事件である。

シャドウェル連続怪死事件

シャドウェル地区で起こった連続怪死事件の特徴は、犠牲者が誰もかれも「極度にやせ衰え」、「絶望的な恐怖の表情」を浮かべた状態で死んでいる点にある。最初の犠牲者4人は誰も彼も極端に身体が縮んていて、その現場周辺地区では得体のしれない、異様な動き方をする”影”が発見され──など不可解な現象が確認されている。

物語開始時点ではホームズはクトゥルフのことなど知らないから、正典のホームズのように最初は超常現象を前提としない”現実のロジック”でこの不可解な連続怪死事件に立ち向かっていく。起こっていることとしては、ロンドンの人口過密なうえに病気と不摂生のはびこる一画で、一見して同じ状態で4人が死んだという現象である。特に超常現象を前提としなくても、ありえないというほどのことではない。

たとえば、ホームズは調査を進めてひとつの推理を披露してみせる。殺人に関与しているのはアヘン中毒の医師スタンフォードで、いくつかの状況証拠から彼は何か強力な新種の麻薬を試していた。さらってきた人間に対してその麻薬を試すも、それは有望な結果が出るどころか劇的な死をもたらした。それが餓死のような症状であり、定期的に死体が出るのは(毎回新月の翌朝に死体は発見されていた)、麻薬の改善のために実験を繰り返していたからだ──というのがその概要である。もちろん、無茶な推理ではあるが、それでも現実的制約の範疇で説明がついているとはいえる。

だが、第一容疑者であった医師スタンフォードは発狂し(『「フタグン! エブムナ・フタグン! ハフドルン・ウガフン・ングハ・ングフト!」』)、自身の前腕を噛みちぎり出血が止まらず死亡。最後の言葉は『あの場所には関わるな。二度とあそこに近寄るな。力がはたらいている……人間以上の人間たち……連中は、〝グレイト・オールド・ワンズ〟と手を結んでいる。禁断の力を求めている。やつらが力を手にしたらおしまいだ。神よ……われらを助け……たまえ……』だった。

ホームズの導き出す現実的なロジックにたいし、それに反する──超常的な、〝古き神々〟の存在を匂わせる事実が次々と明らかになり、ついにホームズは〝それ〟と遭遇し、異常なものが実在する世界を学ぶ必要に迫られていく。

「その点については、いろいろ考えていた。ぼくらが問題を解くには、真剣に考える必要がある。ぼくらはもう一度学生に──異常なものを学ぶ学生になり、まったく新しい研究分野全体を勉強すべきだ。学寮も教授ももたない大学がぼくらを招いている。そこへ学生として入学するんだよ」

おわりに

クトゥルフ神話好きではおなじみのあの神とかあの神、ホームズ好きには外せないあのキャラとかいっぱい後半部分では出てくるので、ホームズ好きもクトゥルフ好きもどちらも満足できるはず。三部作の一作目ということもあってめちゃくちゃおもしれー!! というほどの作品でもないのだけど、ホームズ✗クトゥルフとして期待しているものがちゃんとお出しされてくる。二部、三部が続けて翻訳されていくのかはまだわからないが、続きが楽しみ。