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スティーヴン・キングがホラーについて語り尽くす──『死の舞踏: 恐怖についての10章』

死の舞踏: 恐怖についての10章 (ちくま文庫)

死の舞踏: 恐怖についての10章 (ちくま文庫)

名著というのはだいたい何度も版を重ねるばかりか関係類者による新・序文がついた新版が出まくって、序文1、序文2、序文3みたいな「序文とはいったい……」状態になるものだが本書もその系譜に連なるものである。つまり名著にして序文が3つも連なる一冊だ。現在「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」も上映しているホラー作家のスティーヴン・キングによる、恐怖とホラーについての覚書である。

原書刊行は1981年。邦訳は93年に出た後、今回ちくま文庫からは再々刊となった。そんなわけで今さら長々と紹介する気もないのだが、完全におもしろい本である。

映画、小説、テレビとさまざまな分野に関わってきた(自作が映画化される、自身が脚本を書くなど)経験談がまずおもしろいし、自身の幼少期の恐怖体験をはじめとした自伝的ホラー論は微笑ましく、ホラーの演出としてのテクニカルな技術は素晴らしく役に立ち、くだらないと世間一般でみなされる作品への愛情の注ぎ方を知り、傑作をさらに深く知るための知識と見方を教えてくれる。その語りは縦横無尽、饒舌で、無闇矢鱈と切れ味がよく読んでいるだけで実にウキウキとさせてくれる。

 私が本書でいおうとしているのは、ホラーは牙を生やしてびっくり髭をつけていても、じつはピンストライプの三つ揃いを着込んだイリノイの共和党員そこぬけに保守的であるということだ。ホラーの最大の目的は、タブーの国に足を踏み入れた人間がどんなに恐ろしい目にあうかを見せて、普通であることのありがたみを再確認させるところにある。ホラーという枠組みの中には、ピューリタンの口もとさえほころびそうな厳しい道徳規範が隠されているのだ。(……)われわれは最後には必ず悪人が罰せられて復讐が遂げられることを知っており、劇場の明かりが消えるときも最初のページを開くときも心穏やかでいられる。

上の段落で書ききれなかったことをもう少し書くと、作家論も抜群に素晴らしい。ホラー作家とは一般的にはみなされないであろうレイ・ブラッドベリやハーラン・エリスンへの愛情ある的確な評は心躍るものだ。『ホラー小説を書く者の目は、そういうものを映す。レイ・ブラッドベリは夢見る子供の目をしている。分厚い眼鏡の奥のジャック・フィニイの目もそうだ。ラヴクラフトの目も同じ──(……)ときどき彼がふっと口をつぐんで目をそらし、あらぬ方を見つめる。それでなるほどと思う。ハーランは寄り道をしている。今もちょっと回り道をしているところなんだな』

各章を概観する

第一章でキングはホラーとは何かを語り(『それに対しては、現実の恐怖と折り合いをつける手助けをするためにホラーを作るのだ。』)、第二章ではホラーを成立させる感情の三つのレベルについて概観してみせる(第一レベルはドアをノックする音のような仄めかしの戦慄、第二レベルはスライムのように不定形だが実体のあるもの〈恐怖〉、第三レベルは〈嫌悪〉)。第三章では『ジキルとハイド』『吸血鬼ドラキュラ』『フランケンシュタイン』の超有名古典を用いて構造、〈吸血鬼〉、〈人狼〉、〈名前のないもの〉などなどのモチーフ・テーマについて語り尽くす。

第四章は創作にも繋がる自伝としてのホラー体験で、五章ではリアリティの演出について語る。ドアの向こうから何かをひっかく音がする。開けるまでは存分に怖がれるが、中から"何か"が出てきてしまうと「怖いけど、これならなんとかなるな」と逆に安心してしまう状況について語っている。一つの解決手段は決してドアを開けないことだが、キングはそれを支持しない(理由は自分で考えるか読んで確かめて欲しい)。

六章「現代アメリカのホラー映画──テキストとサブテキスト」、七章「ジャンクフードとしてのホラー映画」では、ホラー映画とは何を目的としているのか、何が喜びなのか、傑作から世間一般には駄作と思われている作品まで、愛情たっぷりにホラーとしての楽しみ方を教えてくれる。八章はテレビにおけるホラー論だ。この時(1981年の刊行時)すでにキングは脚本仕事などもしていたので、実体験を踏まえた苦々しい筆致が笑える。『テレビはほんのひと握りのホラー番組に、じつは不可能なことを要求している──視聴者を本当に怖がらせることなく怖がらせ、本当にぞっとさせることなくぞっとさせ、ステーキではなくジュージューという音を売れというのだ。』

九章「ホラー小説」はキングの専門であることもあってか、一番長く220ページ以上ある。もちろんそれだけのページ数を費やしても書きつくすことなどできないが、吸血鬼、人狼、幽霊と幽霊屋敷など無数のトピックについて語り、キングの自作解説としてもおもしろく、ハーラン・エリスン、レイ・ブラッドベリ、シャーリー・ジャクソン……などなど、他作家らの作家・作品評論としても珠玉の出来だ。

おわりに

本書を締めくくる最終章「ラスト・ワルツ──ホラーと道徳、ホラーと魔法」はラストに向かうにつれてほとんどキングの小説を読むようにしてドキドキしながら読み進めることになり、最後の1ページまで至るともはやノンフィクションであることも忘れてジーンと感極まってしまう。最初にも書いたとおり、端的にいえばおもしろい本、ただの傑作なのである。『じつをいうと、ホラーは死の舞踏などではない。ここにもやはり"レベル3"がある。最下層では、それは夢の舞踏だ。心のなかの子供を、死んではいないが死よりも深い眠りについている子供を、揺り起こす手段だ』