基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

荒木飛呂彦論: マンガ・アート入門 (ちくま新書) by 加藤幹郎

優れたジョジョという漫画シリーズについて大ファンである著者がその魅力を解き明かしていく構成。あらかじめ言っておくと、完全な本ではない。いちいちここで一つ一つ指摘していくこともしないが、取り上げられるポイントにどうも納得いかないところがあるしこじつけか著者の妄想じみているところも多い。全体的な割合でいえば面白いと思ったのは2割ぐらいで、あとは疑問が浮かんだり2割の部分の繰り返し部分だったりで占められている。紹介するか迷ったが、「もっとこういう作家論が出てほしいな」という思いがあったので、一応書いておこうと思った。以下目次。

はじめに
第一章 波紋とは何か、スタンドとは何か
第二章 差異と反復の主題系
第三章 「奇妙な」杜王町空間
第四章 革新的な漫画スタイル変様
第五章 美術史観点から芸術漫画を読む
第六章 岸辺露伴と荒木飛呂彦
第七章 二元論を超えて
おわりに
あとがき

第一章では親子関係やスタンド、波紋をざっと振り返りながらジョジョとはいかなる話であるかをざっくりと語っていく。二章で初期の二部などで展開された「波紋」がその姿をスタンドに変えて展開していったあとも作品内で「波紋」のイメージが繰り返されることを指摘し(ここはどうもこじつけじみているが)、各部ごとに「小移動」と「大移動」が繰り返されていることなどを提示する。ああ、これはたしかにそうだねえと思った。パート6はフロリダ州の一部、パート7はずっと馬で移動、3部も移動して4部は定点、8部も定点か。

三章は和洋折衷な建築物が立ち並ぶ杜王町についてのお話で、四章はコマ割りの変遷とそれと同時に起こった絵の表現の変化の話。とまあこのあとも美術史の観点からみたお話とか、二元論の体裁を持っていながらも様々な配置の転換によって二元論を超えた表現をしていることの解説などが続く。それでも「全然足りないなあ」と思ってしまうあたりが「一人の作家を語り尽くすこと」への困難さを物語っていると思う。

映画と荒木作品の関係性は切っても切り離せないだろうし(本作ではほぼ言及なし。あるにはあるけど)、先行する漫画から荒木飛呂彦自身が受けてきた影響といったものもほとんど抜け落ちている(そもそもほぼジョジョにしか言及がない上に、一部二部への言及があまりない)。コマ割り表現についての変遷は基本的に「ページの中での割り方」つまり長方形に割るか斜めに割るか、丸く割るかといった解説があるだけでコマ割りの動きについての言及はないし、あの特徴的な台詞の仕組みについても突っ込んでいかなければといくらでも掘るべきところが出てくる。

ほんとは荒木飛呂彦さんに限らず、語ってもなかなか語り尽くせない作家って山ほどいると思うのだが、そういう市場がないのが残念だ。読む側が思いもしないほど、創る側は情報を込められるし、創作過程では本当に多くの「盛り込まれなかった情報」や「ありえたかもしれない未来」といったものが生まれているはずで、そうした芳醇な作品が高速で消費されて消えていくのはとても悲しい。

本書につづいて、荒木飛呂彦論もどんどん出たり、他の作家、漫画家についてもこうした全体を語ろうとするタイプの評論が出てきたらいいと思ったし、その先駆けとしてこういう新書が出てきたことを祝したい。

荒木飛呂彦論: マンガ・アート入門 (ちくま新書)

荒木飛呂彦論: マンガ・アート入門 (ちくま新書)