基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

手紙/東野圭吾


あらすじ

犯罪者と、その親類がその後どのような扱いを受けるのか。

感想 ネタバレ無

東野圭吾は、白夜光とエッセイしか読んだ事はないが、印象が変わった。

これは東野圭吾版デッドアイ・ディックだ。もしくは日本版というべきか。デッドアイ・ディックがアメリカ的な、人生だったのに対してあくまでも手紙は日本版だろう。

デッドアイ・ディックが深刻な話をあくまでもエンターテイメントとして、笑いを取り入れていたのに対してこちらは暗い。暗すぎる。

そして何よりも、伝えたい事ありきで書いたのか知らないが、イベントの配置が思わせぶりすぎるのではないか。こういう事もあるよ、こんな事もあるよ、とそれはわかるのだが、また登場人物にひどい状況を味あわせて、それを乗り越えさせるのが小説というものだというのも、わかる。だがあまりにもあからさますぎるというかなんというか。自然な流れというものを全く無視していると感じられた。

ただ、作品の質を落とすようなものでは決してない。伝えたい事は痛いほどに伝わってきた。

また解説が秀逸である。ジョン・レノンの例は思わず感心してしまった。

タイトルにある通り、手紙が重要な要素となっている。思い返せば、手紙というのは感動させる要素の一つだよな。遺言がメールだったら締まらない。思えば手紙にはいつも泣かされてきた気がする。現実に手紙なんてめったに来る事なんて無いのだが・・・。

手紙で泣かされた例といえばLAST KISSだろうか、あれもあまりにもテンプレートすぎる話だったが、それ故に泣いてしまった。あれを読んだ時に、人間を泣かせるってのは簡単なんだなと思ったのだ。

つまり死んでしまった人が今までの感謝を手紙で伝える、とか、罪を告白する、みたいなのは泣くテンプレートみたいなものではないだろうか。
死んでしまった人のパソコンを見ていたら感謝の文があったーなんていうパターンもあったが、パソコンよりも断然手紙の方が破壊力は上だった。何故だろうか。やはり手で書く、というのが大きいのかもしれないな。

ラストシーンは良かった。思わず泣いてしまった。言っている事は全く本当にバカだなぁという内容なのに、シュチュエーション的にここは泣かないと嘘だろ!と頭の中で勝手に考えて泣いてしまった。あれは卑怯だな。

泣かせるのは簡単だと何度も書いたが、どんな感情が一番湧かせづらいだろうか。怒り?悲しみ?喜び? 悲しみは結局泣く方と同じベクトルだろうか。微妙に違うような気もするが・・。喜びっていうのは、登場人物が何かを達成したりする時に普通に湧き上がってくるような気もする。

そう考えると怒りが湧いてくる小説というのは、非常に少ないのではないか。嫌悪感を与えるようなキャラクターはそれだけよく練り込まれている、というような話があるが、怒りも似たようなものかな?

怒りで変換しようとするとなぜか最初に碇になるので碇シンジについて考えてみよう。最初エヴァンゲリオンを見た時にあまりに碇シンジがへたれすぎて怒りが湧いて来た記憶がある。そう考えるとやはりエヴァンゲリオンは凄いというべきか。ただ改めてエヴァンゲリオンを見返してみた時に、あまりにも碇シンジの置かれた状況がひどすぎて同情的になってしまったのは少しショックだ。

もう全く怒りなんて湧いてこない。ただのかわいそうな運のない少年だ。

ネタバレ有

手紙では決して、差別や偏見がいけないことという事を書いたわけではない。作者の意見を反映しているのはあからさまに社長だろう。というかある種どうとでもとれるセリフというべきか。

差別や偏見があるのは当然だという前提の上で、ならばどう生きるのかというのがこの作品の一歩進んだところだ。

それにしても、社長が言う絆の数、結局由美子の分しか増えてないんだけどこのあと増える予定、あるんですかね。正直いって主人公のとった道は、間違ってはいないが、正しくもない、という感想しか持てないのですが。

まぁそれが社長のいっていたことなのだが。ならばどう生きるかに正解も間違いもない。だから正直にいえば、何もかも話してあけっぴろげに生きていくのもありだ。ただそれは、最終的にやっている事は剛志と同じだ。

自分はこういう人間だ、本当に自分はだめなやつだ。本当にすまない。確かにそれを言えば、言った方はどれだけ満足か。だが言われた方はどうだろうか?そんな事言われたって、迷惑だと思うかもしれない。あるいは思わないかもしれないが、それによって何かが変わる事は確かだ。勝手に話して勝手に満足して、それで全部解決っていうわけには何事もいかないのだ。相手にそれを押し付ける行為だというのを理解しなくてはいけない。

私の兄は強盗殺人をおかしました、と正々堂々と言って回るのもいいだろうがそれは上のような事を覚悟していかなきゃいけないのではないか。それによって避けられたり、ありとあらゆる事が起こるだろうがそれは全部受け入れていかなきゃいけない。できなかったら直貴がやったように逃げるしかない。


 「差別や偏見のない世界。そんなものは想像の産物でしかない。人間というのは、そういうものとも付き合っていかなきゃならない生き物なんだ」


上で書いた事だけれども、なんだかわざわざ直貴にバンドさせて挫折させたり、わざわざ頑固な親を持つ娘と交際させて破局させたり、あまりにもわざとらしすぎるイベントの配置が多少気に障った。もっと集中というか、違和感なくやってくれればよかったのだが。何故違和感を感じたのかはよくわからぬ。

直貴の苦しみがよく伝わってくる凄い文章だったと思う。剛志は何も悪くないのだ、少なくとも直貴に対しては。直貴の学費を稼ぐために毎日身体を壊すまで働いて、働けなくなり、最終的に強盗に入り殺人を犯してしまう。
直貴がそれに対して、どうこう言えるはずもない。手紙も直貴に対して優しい事ばかりが書かれている。愛に満ち溢れている。

それに遠慮して、強く書く事ができなかったのは直貴の罪だろうか、自分たち家族を守るためと今まであったことを全部書き記して、相手に贖罪を迫るのはいったい正しいのか間違っているのか。いやもちろん正しくもないし、間違ってもいないのだろうが。ただそれってやってる事は剛志と同じじゃない?と読んでるときは思ったものだったが、読み終わるとそうもいえないっていうか優柔不断ですからぐだぐだしてしまうんですがね。

 解説より


 ほとんどの人は自分は差別などとは無縁だと考えている。世の中に存在する差別に対して怒りを覚え、嫌悪を感じることはあっても、自分が差別する側に立つ事は断じてないと信じている。
 この小説は、そんな我々に問いかける。
 では、この鏡に映っているのは、いったい誰なのだ、と。


知らず知らず差別しているのだ、と。そんな事言われなくてもわかっとるわぼけぇといいたいところだがそうも言えないな。ただ少なくとも、たとえ相手の家族が何をしていようが、それによって相手を差別したくはないと常に考えている。だが多分そうやって意識する事が、すでにその相手を差別している事と同じなのではないか。でもそんな事言いだしたら家族が犯罪をおかしたら、その親類は一生差別に悩まされるという事になる。否定したいが、ここで書かれているのはそのまま、そういうことなのだ。