基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ゾウの時間ネズミの時間/本川達雄

感想 ネタバレ有

む、難しいぞおおおお。サイズの生物学、ということで単純に時間だけをとりあつかったものではなかった。純粋に、大きい動物でも小さい動物でも一生の心拍数は同じなんだぜ、へへんっていう小賢しい知識の補強でもしようかと思い(純粋じゃない)読み始めたのだが、読み終わった今、自分の中に何か知識が残っているかといえば怪しいものだ。ちょっと思いつく限りにあげてみよう。

ヒトデとかはなんか切り離せる自切とよばれる組織がある。ナマコとかは肺を吐き出して新しい肺を作る事が出来る(気持ち悪い)

サイズの大きい動物は、大きいだけに安定度を失っている。逆に小さい動物は安定度が強い。だから高い所から落とされてもなんともない(100g以下限定)

本来、大きい動物も小さい動物も、外敵から身を守るために仕方なく変化した形である。よってもし外敵がいない場所で暮らしていけるならば、進化の過程でだんだんどちらの動物も中庸の大きさの動物に変化していく。

昆虫はなんかよくわからんが凄い

人間はほかの動物と空間にしめるエネルギーとか身体の大きさから占めるエネルギー量をやばい程オーバーしている。

これだけかな。思いのほか残っているじゃないか。一週間後まで残っているかどうかはわからんが。だからこそこうして書き遺しておこう・・。

あと面白いな、と思ったのはこの上で書いたような、大きい動物も小さい動物も外敵から身を守るために仕方なく変化した形というところだ。これを島の規則といっており、日本とアメリカもこれで説明するとよくわかるという。

 
 島国という環境ではエリートのサイズは小さくなり、ずばぬけた巨人と呼び得る人物は出てきにくい。逆に小さい方、つまり庶民のスケールは大きくなり、知的レベルはきわめて高い。「島の規則」は人間にもあてはまりそうだ。

何も日本の過去の大人物たちをけなしているわけではない。ただ、傾向としてこういう事があるというだけだ。カラオケなども、日本はプロは別にうまくないが、一般人がみんな歌が上手いという(関係あるのか?)


 大陸に住んでいれば、とてつもないことを考えたり、常識はずれのことをやることも可能だろう。まわりから白い目でみられたら、よそに逃げていけばいいのだから。島ではそうはいかない。出る釘は、ほんのちょっと出ても、打たれてしまう。だから大陸ではとんでもない思想が生まれ、また、それらに負けない強靭な大思想が育っていく。獰猛な捕食者に比せられるさまざまな思想と闘い、鍛え抜かれた大思想を大陸の人々は生み出してきたのである。これは偉大な事として畏敬したい。しかし、これらの大思想はゾウのようなものではないか? これらの思想は人間が取り組んで幸福に感じる思考の範囲をはるかにこえて、巨大なサイズになってしまっているのではないのか?

人間にも適切なサイズの思想があるというのは非常に興味深い話である。利己的な遺伝子でもいっていたがミームともつながってくるような気がする。情報や思想というのも生き残りをかけて、少しでも長く生き残ろうとするのだ。それが、大陸のような広い場所だと競争相手が多数おり、生き残るために強靭な思想にならざるを得ず、それ故に大陸の思想は太く死にづらくなっていくのではないか。

読んでいて思ったのはほかに、昆虫って凄いな、という話だ。まず飛べるのが凄い。あいつらおんな硬い殻に覆われていながら空を飛ぶ事が出来る。恐ろしい奴らだ。しかもやつら葉っぱを食う。誰もそんなものくわないのに。しかもあいつらなんか変身する。蝶とかに。やばい。

なんだか虫に惹かれる人たちの気持ちが少しだけわかったような気がする。大嫌いだけど。