タイトルで損をしているような気はするものの、面白い一冊である。子供が生まれたら人間に渡したい。全編を通して、どれぐらい触れ合うことが大事なのかをありとあらゆる手段を使って書いている。ゲーム理論を引き合いにだしたり、心臓に記憶が宿っているかもしれないとかいうかなり議論を呼ぶ仮説まで持ってきたりして、最終的にもう触れ合いが大事なのはわかったよとうんざりするような気分であった。とにかく仮説が多すぎる。データをいくつも持ち出してくるが、そのデータがいったいどれぐらい信憑性があるものなのかどうかわからない。キレる子供たちとか、さまざまな原因がほとんど肌の触れ合いをしないことによる結果だとでもいいたげな論調はどうにもムキになっているようで読んでいてしらけてしまう。
文章はものすごく読みやすい。まあ内容が薄っぺらいので当然なのだが。結局いっていたことといえば、いかに触れ合うことが大事かということを延々と説明していただけだ。子供が生まれた瞬間に読めば、そのままの勢いで育児に生かせそうだ。確かにこれを読んでいる限りでは触れ合いってすげー! と感じる。まぁ誰もができる限り触れ合うようにした結果誰もがほがらかで、争いごとが嫌いで、他人を信頼できる人間になったら気持ち悪くてしょうがない。
幼い時に、親とあまりコミュニケーション、触れ合いをしなかった人たちは、成長したあとも他人と触れ合うのを拒絶し、他人を信じられない傾向にあるというがあまりにも自分にあてはまりすぎていてとてつもなくいやな気分になったものだ。そういえば親と何かした記憶が過去に一切ない。常に一人で遊んでいた。
まるでお前は欠陥人間だと言われているような気分になった。いまさらあなたが他人を信じられないのは幼少時に親とコミュニケーションをとらなかったことが原因です! とつきつけられてもどうしようもない。いったいどうすりゃいいんだ。孤独を愛するロンリーウルフが一転、幼少時に親とコミュニケーションを取れなかったただのかわいそうな大人になってしまうではないか。これはいかん、これはいかんぞ。かといって、別に本書ではこの回避型と本書では書かれている傾向が特別悪いことだとはかかれていない。だが直接的には書かれていないものの、全体の傾向として、いかに触れ合うことがよいことで、触れ合わないことは悪いことだと断じているので悪いとはっきり言われるよりたちが悪い。
自分が体験したことから、これは嬉しかった、これは嫌だった。などということを、教訓的な物語にするという形で蓄えたもの、あるいはそれらがたくさん集まってもう少し大きな物語になったもの、それが「心」だというのである。心はさまざまな体験の結果として、あとから生じてくるものなのだ。
心の定義。じゃあ赤ちゃんには心がないのだろうか。
不安な時にセルフタッチつまり口元に手を持っていったり、顔に手を持っていくことが多いという話がある。自分もよく口に手を持っていくのでこの話はなかなか面白いのであるが、自分が口に手を持っていくのは別に不安なときじゃないほうが多い。本を読んでいる時や、相手と話していて退屈なとき大抵、口元に手をやっている。不安なときや嘘をついているときにも、もちろんやっているかもしれないが、実体験としては納得しがたいものがある。