たとえば今は職場の人間関係に対するマニュアルなんか存在しない。「毎日隣の人と会話しなさい」なんて言われても「ふざけているのかこのクソが」としか思わないだろう。職場の人間関係は「飲みにはいったほうがいい」とか「上司のいうことには逆らわない方がいい」とか暗黙の了解があるだけで明文化されていないことがほとんどだ。本書はそこにデータ分析を持ち出す。たとえば「毎日職場の人間と会話する機会をつくる」とストレスが大いに軽減され退職率を削減することに成功したという事実を持ち出してくる。
これは何もマニュアル的に上司から「君は隣の人と毎日話したまえ」と命令がくだったわけではない。そうではなく、実験対象であるコールセンター職場でチーム休憩の構造を変え、全員が同じタイミングで一日十五分間のコーヒー休憩をとれるようにしただけ。その際に本書で一貫して重要な役割を担うのがバッジ型の行動記録センサーだ。このセンサーによって会話の量や抑揚、どういったタイミングで会話が発生するのかといった「内容以外の情報」を取得していく。メールの頻度分析などもあわせて「職場をより効率化させる種」を見つけ出していく。
コールセンターは元々高負荷な職場だ。相手は問題を抱えた人達であり、そのすべてが人格者なわけもない。怒鳴りこんでくる相手もいれば、相手のいっていることの意味がわからないこともある。こっちも怒鳴り返すわけにはいかず辛抱強く相手の言い分をきかないといけない。だからか、離職率はもともと高く、コールセンターとはそういうものだと諦められている部分がある。離職率が高いとまた一から従業員を雇い、教えなければいけないし、人間が固定しなければ仲の良い関係もうまれない。士気も下がる。いいことはほとんどない。
しかし、たとえば単純に休憩をとるだけよりも、愚痴を吐き出すことができ、あるいは苦痛を共有でき問題があった場合は相談できたとしたらそれだけでもストレスは大きく軽減されるのではないか? そしてその仮説は少なくともコールセンターでは実証されているように思う。実験によりでばらばらだった休憩時間を統一したらコミュニケーション頻度が増加し、離職率は低下した。チームは以前よりずっと密になり、当然ながら入れ替わりのコストなどは大きく削減されたことだろう。
これはいかに顔をつきあわせてのやりとりが重要かという一つの実証でもある。顔を突き合わせてのコミュニケーションが大きな効果をあげるとすると、最近大きな潮流となりつつあるリモートワークにも当然影響を与えてくるだろう。⇒強いチームはオフィスを捨てる: 37シグナルズが考える「働き方革命」 - 基本読書 リモートワークは、それができる仕事ならば何からなにまで素晴らしいように思える。出勤する時間がそのまま自分の時間になり、他人の余計な雑談に時間をとられることもない。自分の空間で、自分のペースで仕事をすることができる。やりとりなんて今のネット時代、いくらでも無料アプリで行うことができる。
リモートワークがどう実績を変化させるかについては、分散されたチームの業績低下を考えるための実験が一つのせられている。顔をつきあわせて仕事をするチーム、完全にリモートワークで一度もあったことのないチーム、いったん全員に顔をあわせてもらってそのあとで解散して別々の場所で仕事をするチームでそれぞれ実績をはかる。すると一番業績が高かったのは顔つきあわせチームだが、僅差で最初に顔合わせて次にリモートに移行したチーム、一度も顔をあわせたことがないリモートワークスチームはぶっちぎりで最下位だった。リモートワークが必ずしもすべてダメなわけではないが、ひとまず一度は顔を合わせて置いたほうが良さそうだ。
もちろんただただ無造作に「多くの人間と交流できる環境」が正であるわけもない。目標は効率的な仕事と役立つ人脈の構築のふたつで、たとえばまったく違う部署、開発部門と総務が隣り合っていてもあまり意味はない。また言われてみれば当然だが、重要なのは距離だ。距離が隣り合っていれば当然交遊頻度は増す。距離が近ければ近いほど一般的な傾向として交遊は増す一方、距離が遠くなれば遠くなるほど対面での交遊が減る。だけでなく、メール・コミュニケーションまで減るのだ。まあでもたしかにいわれてみればメールも基本はよく会う人とするからなあ。あらためて言われてみれば何の不思議でもない結果だが、それがちゃんとデータとして現れてきているのが面白いし、役に立つところだろう。
本書に書いてあることは基本的に対面コミュニケーションは仕事の能率をあげ創造力も高めるという前提で書かれ、実験もその仮説を肯定するものばかりがあげられているが、違和感のあるものもある。たとえばアリゾナ州立大学のチームで行った実験で、1.チーム・メンバー同士が活発に交流した時は創造力が高まっている。2.創造力の高い日には身体の動きがずっと活発になる、の2点の仮説を実験で実証したといっている例が紹介される。身体を動かし、チーム・メンバーと交流した時間は創造力の間には強い正の相関がみられると。
だがどうやって創造力を発揮したかを数値化してとらえるんだろう? ちょっと笑ってしまうのだがアンケートの質問として「今日はどれくらいクリエイティブでしたか?」と聞いたり、日々の活動記録を創造力の観点から分析したりするらしい。うーん、でもそんなの「何を創造力とするか」で一変しちゃわないか? だいたい今日はどれぐらいクリエイティブでしたか? って人と話した時はなんとなくクリエイティブなことをした気分になるだけじゃねーの? と思ってしまう。実際話しただけじゃ作業なんて何ひとつ進まないんだから。さらにいえば手が動いている時間は真に創造的な時間じゃないんだよ。それはただのアウトプットの時間だ。真に創造的な時間というのは手も何も動かさずにタバコでも吸ってぼんやりと考えている時ではなかろうか。そのあたりを捉えられるかというと無理なんじゃないのと思うが。
疑問がいくらかあるとはいえ、しかしこの人間関係分析が今までマニュアル化されていなかった部分に及ぶのはおおよそ間違いのないことだろう。離職率の改善などは大企業ほど関わっている人間が大きいので効果が高い。まずはオフィスや休憩時間の変更といった形でそれは行われていくはずだ。決して直接的に命令されたりするわけではないが、環境によって自分の行動が誰かの望む方向に誘導させられているわけであって、あまり心地よい経験ではないかもしれない。だが環境が人間の行動を誘導するなんてことはこれまでいくらでも行われてきたことであって、今更だともいえる(ほんとかどうかわからないが、マックの椅子が長時間座っているにはツライ構造になっているみたいな話)。
もっと事がその先に進んでいったらどうだろう。たとえば本書では職場だけでなく、短時間の顔合わせでお互いの連絡先を交換したりする合コン(スピード・デート)の場でデータ取得をした際に、デートにこぎつけるか否かを、声のトーンや声量、話の途切れなどから85%の制度で予測することができる事例が紹介されている。内容は関係なくトーンなどの周辺情報でそれだけできるのだから、出会いなどもこれからはデータロガーをつけて一定期間過ごしたらビッグデータが相性ぴったりの相手を連れてきてくれてもおかしくはない。
この問題はすぐに管理される人間だとかの問題に発展していってしまうが、ひとまずそこまでは本書で扱う範囲ではない。まあ、いろいろ想像の広がる分野(Peaple Analytics)だ。※本書の原題はPeaple Analyticsという 結構面白いよ。
職場の人間科学: ビッグデータで考える「理想の働き方」 (ハヤカワ・ノンフィクション)
- 作者: ベン・ウェイバー,千葉敏生
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2014/05/23
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