基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

τになるまで待って/森博嗣

τになるまで待って (講談社ノベルス)

τになるまで待って (講談社ノベルス)

 次にフェイノメナ〔現象(複数)〕とは、明るみにあるものの、あるいは光のもとにもたらされうるものの総体、換言すれば、ギリシア人が時おり単純にタ・オンタ(存在するもの)と同一視したものの総体です。いまや存在するものは、さまざまの仕方で、かれへの接近の仕方に応じて、自分から自分を示すことができるのです。さらに存在するものは、かれ自身でないところのものとしてみずからを示す、という可能性すら成立するのです。

今回の引用は『存在と時間ハイデガー である。興味深い。まったく意味がわからないけれども。かれが何かわからないから何を言っているのかわからないだけで、ちゃんと読めばわかるのだろうか。それともかれってのはキリストだったりするのかしらん。ハイデガーの引用で全体的に何が伝えたかったのかというと、常識にとらわれるなとでもいうことかね。犀川先生も言っていたけれど。

推理をしてみた。眼のつけどころは悪くなかったのだが、仮説をたてるだけで検証まで至らなかった。いや、問いをたてるだけで仮説をたてられなかったのか。しかしこのトリックはちょっとわからない。まさか壁全体が動くなんて、どうやって想像すればいいのだろう。テーブルを動かすとか、空気が動いたとかの細かい点を考えたら出てくるものなのだろうか、この答は。外部犯だろうという考えだけはあたっていたが、あてずっぽうに近い。
仮説をたてるというよりも、いつも先にこいつが犯人だったらどんな可能性があるかという視点から謎解きが始まっている事に気がついた。恐ろしく効率の悪い考え方である。なにしろ複数犯説まで検証に入れた場合、膨大な数の組み合わせになってしまうためおよそ現実的ではない。ただ、よく考えてみればミステリに限らず、他の物事でも考え方が同じで笑う。まず先に結論を出してから、じゃあどうしようかと考える。これはもう直しようがない。何故なら直そうという気がないから。

解決編にて、海月君がこれこれこうだったんだよーと言っているが一つだけ言っていないことがある。会話が聞こえることについてはスピーカーとマイクがあったとして解決されたが、ペンが同時に動いたことが説明されてねーんでねーの。あんまり重要でなさそうだけんども。

Amazonのレビューは全体的に評価が低いが、あまりミステリらしくないってのが一つのネックなのだろうか。犯人はどっかいっちゃうし、一瞬で解決されてしまうしで。ミステリをあまり読まないので、そういう批判にはめっぽう鈍い。どうなんだろうな。トリックの種明かしなんて、これぐらいあっさりしていた方が余程読みやすい。探偵役などがいちいち出てこないで、要点だけ箇条書きにしてもらってもいいぐらいなのである。トリックもこれぐらいあっさりしていると、もはや何も言う事はない。溶接かー・・・。嵐がウソなのは何でだろう、とずっと考えていたのだが、そういうことかいなあ。

さて、ちょっとずつ事実が明らかになっていく。赤柳が誰かの変装であるらしい、真賀田四季が何かやっているらしい、などなど。ってこの二つしかぱっと思いつく事はないが。前のシリーズの誰かということも考えられるが、名前をほとんど覚えていないので出てきても、きっとわからないだろうな。

登場人物紹介にて、山下&平井二人の紹介が、信者になっている。だがこの二人は実際にトリックを手助けしていたのであって、神居のトリックは知っているはずである。じゃあ何かの思想のもとに集まった人間であって信者じゃないのではないか。真賀田教の信者っていう線は捨てきれないが。あと加部谷な。一巻を読んだ時点では山吹に惚れているのかと思いきや、二巻やら三巻では海月にドキっとしているようなところもある。どちらも眼中にない可能性も勿論ある。よくわからない。この先人間関係がどうなっていくのかも、少し興味があるところだ。よく喋る加部谷と、まったく喋らない海月と、ほどほどに喋る山吹。喋る頻度だけを比べてみてもいい感じにバランスが取れている。しかし海月君はまたしても見せ場を犀川先生に持っていかれてしまって、内心怒っているのではないか。メタ的な視点でもって。まるで戯言シリーズ哀川潤のように、さっとあらわれて一瞬で謎を解決されてしまったら立つ瀬もないだろう。
まあこれぐらいで。