- 作者: 押井守
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/08/06
- メディア: 単行本
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繰り返し若い人へ向けてのメッセージが〜恋愛が〜 と語っているが、正直そのあたりのことは映画を見ていて全く記憶に残っていない。正確には記憶には残っているけれどメッセージ的なものは何一つ受け取っていない。熱く語っていたのでなるほどなあ〜そうだったのかあとは思うけれども、だから何なんだという気持ちもある。言葉として伝えられるよりも、映像の細かい表現で受け取った言葉にならないイメージそのものを言葉にされてしまったといういらだちかもしれない。あやふやな言葉にできないイメージのままが良かったと自分から進んで読んでおいていうのもなんだが、そういうこともあるものだ。恋愛映画は行く末を書かなければ恋愛映画といえないということを書いている場所があったけれどなるほど、確かに。どこか足りないと思っていた恋愛ものに足りなかったものは行く末だったのだろうか。といってもカップルが成立して終わりなんて作品がパっと思い浮かばないのでただのキノセイかもしれない。ただなるほど、と思ったことは確かだ。覚えておきたい。
なによりも興味深かったのは表現について語っているところだろうか。映画やらアニメやらの知識は皆無なので、出てくる言葉や手法の一つ一つがとても興味深く読む事が出来た。特に空戦場面のCGと普通の絵としての地上風景の対比や、通常の映画よりもかなり少ないカット数で作られたことによる意図など読まなければ絶対にわからないところの話は面白い。押井守はスカイ・クロラの中でいかに単調ではなく確実な時間の流れを表現出来るかにこだわったという。それは確かに何も考えずに見ていた自分でも感じ取れた部分であって、まったく何も知らない人間にも伝えることができる凄みを感じる。また、キャラクターデザインのこだわり。たとえば最近のアニメはやけにとげとげした髪が目立つが、スカイ・クロラのキャラクター達はみんな平凡な髪型をしているのかという点。また髪型だけにとどまらず、意志を主張しないキャラクター造形にされたのは何故か。まず髪型に関してはより表情がわかりやすく見えるようにした。次に意志を主張しないキャラクター造型は現代人の心の空白を映しだす鏡として表現されているらしい。ただ映画を見ていて思ったのは、風景と同化するためにはこの透けるような存在感をアピールしないキャラクターであるのが最善であるということだ。キャラクター造型は文句なしだし、声優も大して気にならなかったし音楽は言うまでもなく最高だし、空戦は泣けるしでまったくもって文句のつけようのない映画であった。ぞろぞろ書いてもしょうがないのでここらでお終い。