基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

仕事に必要なことはすべて映画で学べる by 押井守

なんだろうなあ、押井守さんが普段の監督業でやってきた中から仕事に使えそうな部分を抽象化した本なのかなあと読む前は考えていたのだが、違った。これは映画評論本なのであった。9本の映画を題材にして映画から組織をどう運営していくのか、中間管理職の悲哀、ひいては人間がどう生きるのかといった教訓を導き出しまくっていく贅沢な一冊だ。組織論、人間論が素晴らしいだけでなく、教訓を引き出していく過程がそのまま良質な映画案内、映画評論になっていてたまらず一本一本本書に載っていた映画を観始めていったぐらい。なるほどたしかにどれも面白い。

目次
【プロローグ】映画は会社員が見るべき最良の教科書【1】飛べ! フェニックス 聞かれていないことには答えるな! ――美しい敗北は無意味 【2】マネーボール 経験と勘で語る人間は信用するな ――ブラッド・ピットの優先順位 【3】頭上の敵機 部下を殺すか、自分が毀れるか ――中間管理職残酷物語 【4】機動警察パトレイバー2 the Movie 使えない部下を働かせる究極の手 ――選択肢は与えない 【5】裏切りのサーカス 「やりたいこと」は「飽きないこと」 ――ナンバー2ほど心地よい 【6】プライベート・ライアン サボタージュこそサラリーマンの最終兵器 ――スピルバーグの詐術 【7】田園に死す できる大人ほど自分の過去をねつ造している ――気合いが入ったデタラメ 【8】007 スカイフォール「親父に一生ついて行く」は使い捨てへの第一歩 ――“お母さん"に愛されたい  【9】ロンゲスト・ヤード 囚人が問う「勝てるチーム」の絶対条件 ――魂の自由を獲得せよ 【対談】押井守×梅澤高明(A・T・カーニー日本代表) 自己実現は社会との関わりでしか達成できない【エピローグ】教養の幅は「虚構」でこそ広がる

映画評論本であると同時にそこから人生の教訓を導き出そうぜという本だと述べた。それはつまり押井守さんはいったい映画評論に何を求めているのか、彼自身が映画を見るときに、何を目的としてそれを行っているのかがわかるのだ。僕にはこれが面白かった。まず「映画を見る」ことについては、次のように書いている。人間が経験することのできる経験は限られたものであり、人間に関する教養も吸い尽くすことは出来ない。故に他人の経験を経験として取り込む物として「虚構」がある。要はは人生で使える教訓を導き出すような見方をするということ。

理屈はよくわかる。人生は短く、一変させてしまうような重大な決断などそうそう出来はしない。金を全部かけて新しく事業をはじめるんでもいいし、何もかも放り投げてやめるんでもいいが、そうした決断というのは何度もできるものではない。僕自身はそうした何か教訓的な物の見方をすることでむしろ得られるものが極度に少なくなってしまうのではないかと疑問に思うこともあるので「虚構」の目的をそこだけに見出すのは違和感を感じるが、でも理解できる。

そして映画評論については次のように書いている。『答え合わせというのは作った監督がするもんじゃなくて、見た人間がしてあげるべきもの。監督はそれを期待して作っています。「優れた答え合わせ」こそ、優れた映画評論というべきものです。』なるほど。これはプライベート・ライアンについての文章で書かれていることだけれども、映画の脚本は興行のために歪められている。たとえば当然の筋からいえば主人公は死んでいなければいけないところを、わざと感動のために復活させたりあるいは奇跡を起こしたりする。

一度だけ作品をとってそれで終わりならいいかもしれないが、今後もずっと撮り続けたいと慣れば本来あるべき形から興行によった形に編集するのも致し方なし、と考えることもある。それを本来あるべき形はどうだったのかをエッセイの中では追究していく。特にプライベート・ライアンでは、これがもうなるほどと思うほかない押井守さんの推測した「答え」が出てくる。

僕などは基本的に出てきたものがてっぺん、最高の形であり、そこからいかにそれが素晴らしかったのか、何がその素晴らしさに貢献しているのかをできるだけ追究していきたいと思うだけだった。でも本来であれば理想型があった、あるいは監督が気づいてすらいないまったく別の映画のあり方があったかもしれない。客観的に横から見られ、好き放題いえる立場から、ありえたかもしれない結果を補完しようという観点が抜け落ちていた。

ある意味僕もこんな文章を書き続けているわけで、ショックを受けたなあ。僕はフィクションから出来る限り何かを得ようとする姿勢が欠けていたと思う。押井さんが言っていることをそのまま真に受けようが、受け流そうがどちらでもいいのだが、僕が一番ぐっときたのは『だから、フィクションには現実以上に価値がある。』と言い切ってくれたことにだった。でもその価値があるのは、それだけの価値を受ける側が引き出そうとしてはじめて現れるものなのだ。

膨大な映画文脈からの引用、技術的な観点からの指摘、プロットからの指摘、アメリカ文化論、日本文化論といったさまざまな分野からの知見を基に、構築されていく映画評論は読み応えたっぷりだ。押井守さんは映画をつくる人ではあるが、同時に長年研鑽を続けてきた「見る」通でもある。しかも彼の場合は見ることから常に反面教師にしたり、あるいは目標にしたり、あるいは自分には無理だなと遠巻きに眺めたりするその「距離感」が独特で面白い。

距離感が面白いといったのは押井さん自身の監督経験から似たようなエピソードがいくらでも引っ張られてくることもあって、ああこの人は確かに映画から常に学んで、自分の実生活でそれを活用させているんだなあと思えるからなのだ。ようは実際に現在活用している技を教えてくれているわけで映画から人生教訓を抽出し、活かすためのサンプル集のようなものになっている。技法だけでなく「なるほど、そうやって活かすのか」と。

で、引き出してみせるその教訓が軒並み面白いんだから困ったもんだ。いやいやこんな引き出しをいくつも持っていたなんてなあ。本もほとんど読んでメルマガも読んでいるが知らなかったこと多数。第一エッセイ『聞かれていないことには答えるな!──美しい敗北は無意味』とか『サボタージュこそサラリーマンの最終兵器──スピルバーグの詐術』とか『できる大人ほど自分の過去をねつ造している──気合が入ったデタラメ』とかとにかく普通は言わない、誰も語らないような教訓をぽんぽんと映画から導き出してみせる。

組織論だけでなく、映画を見る、映画を語るにはどうしたらいいのかについての本にもなっているし、実際に自分の人生に映画を見て、語るということをいかに反映させるかの事例集でもある盛りだくさんの一冊なのだ。押井守さんの書いた著書の中では、僕は勝敗論の本が好きだったのだが⇒押井守は「映画」だ、その理由──勝つために戦え - 基本読書 コピーが増えていくことで、その技術は普遍化する - 基本読書 本書も勝敗論に連なる一冊なのでお好きなものからどうぞ。これが一番おもしろかったかな。

仕事に必要なことはすべて映画で学べる

仕事に必要なことはすべて映画で学べる