基本読書

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カラマーゾフの兄弟3/ドストエフスキー

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟1
カラマーゾフの兄弟2
 ↑前回の感想。
光文社版のカラマーゾフの兄弟3には「第7編 アリョーシャ」「第8編 ミーチャ」「第9編 予審」が入っている。第7編ではゾシマ神父が死んでしまって悲しみにくれるアリョーシャが書かれており、残りの二つではどちらもミーチャとグルーシェニカのごたごたが書かれている。おもにミーチャのごたごたであり、この疾走感は他では見たこともないほどだ。疾走感と一言でいってしまうと簡単だがその内実といえば溜まっていくフラストレーションであり衝動であり感情の爆発点とでもいうべき場所に向かって一直線にミーチャとグルーシェニカが全力疾走していることが、読んでいてよくわかるのである。まさに全力疾走とでもいうべきで、あっという間に読み終わってしまった。3巻の中で一番読むのが軽快だったかもしれない。中でも一番面白かったのがグルーシェニカの言動の数々で、アリョーシャの膝の上に座って語り続けたり(アリョーシャは絶対にあれがたっていたに違いない、なにとはいわないけれど)最後ミーチャと再会し気が狂ったかのように宴会をする場面などなど、物凄い迫力だったのである。

 わたし、獣とおんなじなの、そうなの。でも、お祈りしたいの。わたし、葱を一本くれてやった。わたしみたいなワルでも、お祈りはしたいの! ミーチャ、踊らせてておいてね、邪魔はしないで。この世の人はみんなみんな、いい人ばかりなんだから、一人のこらずね。この世は何もかもすばらしいの。わたしたち、汚らわしい人間だけど、この世は何もかもすばらしいの。わたしたち、汚らわしくて、すばらしいの、汚らわしくて、すばらしいの・・・・・・・いいえ、教えてほしいの、みんなに聞きたいの、みんな、こっちに寄ってちょうだい、聞くわね。みんな、わたしに答えてほしいの。どうしてわたしがこんなにいい女か? だって、わたしって、ほんとうにいい女でしょ、ほんとうにいい女なんだもの・・・・・・さあ、教えて、どうしてわたしが、こんなにいい女なのか?」

 読めこの感情の爆発を! このあたりでは全員はっちゃけており、もう何が何だか分からないカオスなことになっている。特にグルーシェニカときたら汚らわしくて、素晴らしいを繰り返したあとに自分がどんなにいい女かを尋ね始めるしどうしようもない。どうしようもないのだがその挙動がどうしても感動的に見えてしまうのは何故なのだろうか。ミーチャにひたすら尽くそうとする彼女はいったい何なのか。この、何もかも素晴らしい、汚らわしくあってさえ素晴らしいというところが感動なのだろうか。そうかな。これはなんなんだ。一人一人が悟りを開いていく物語なのだろうか。

 カラマーゾフの世界の緻密さを見ていると、一瞬これが物語だということを忘れそうになる。会話なんてこれまともに喋り倒したら何分かかるんだよ、というような長セリフばかりなのに、楽しくてしょうがない。カラマーゾフの兄弟の中に現実をみたというよりも、あまりに圧倒的な世界観ゆえにどちらが現実か分からなくなるとでもいった方がいいだろうか。物語を人が造る意味が、叶えられなかった願いを具現化することだとしてここには確かにカラマーゾフの兄弟の世界が構築されていて、そのあまりに高い完成度でなにがなんだかわからなくなる。まあ何はともあれアリョーシャは悟りを開きグルーシェニカも悟りを開きミーチャはふぁびょってる間に逮捕され3巻は幕を閉じるのである。次回はクライマックスの第4巻。