色々なキャラクター描写を読んでいて、綿密に書かれたものもあれば、さらっと書かれたものも様々であることに気がつく。恐らく多くの小説家または見習いががこの描写に苦心しているのは想像に難しくない。綿密に書きすぎても読むのが面倒くさい。書かなさすぎると逆に頭に入ってこない。たとえば今読んでいる最中である「伝奇集」では登場人物の描写に力を入れるという事はなく、書かれている事といえば鋭い顔つきをし、とか顎ひげを生やしとか黒っぽい服を着ているとかの簡単な記述である。正直これだけ書かれても、どんな人物なのか想像するのは困難だ。読んだ結果ほとんど何も想起できないぐらいなら最初からなくていいのではないか? とも思うのである。パターンがあると思うのでちょっと適当にまとめてみる。特徴のある─なんてものを選ぶつもりはなく、というよりも手元にある本は限られているために完全にランダムである。
ジョーカー清/清涼院流水 より螽欺太郎の描写
額には深く皺が刻まれ、彼がこれまでに乗り越えてきた人生の壮絶な荒波を感じさせる。眼光は未だ鋭さを保っていたが、頭髪のほとんどは、既に九十九髪(白髪)だった。
服のセンスはお世辞にもいいとは言えない。肩口からぶら下げた旅行鞄も、時代遅れの、ひどく地味なものだ。冴えない格好との感は拭いようもないが、それでも、螽欺太郎という初老の男には、何か形容し難い『強さ』があった。体の奥底から生命力を発散しているような、そんな何とも言えない『逞しさ』を備えていた。
顔とか身長などにはほとんど触れられていない。年齢には触れられている物の、全ては相対化しての螽欺太郎の底知れない強さ、の表現である。
麗しのオルタンス より オルタンス
年の頃はほぼ二十二歳と半年であった。身長は平均よりやや高く、目は大きく、びっくりしたようなまなざし、膝は無邪気で、頬はやわらかい。着ているものは決まって、この決まってを特に強調しておくが、露出度のきわめて高い、しかも高価で色鮮やかな超ミニのワンピース、そして歩行にはまったく不向きだが、エウセビオスの目的にはうってつけの靴を履いていた。というのも急いで歩道を進もうとすると、布地と身体のあいだに意図せざる不意の隙間が生じるからである。
後の方でもこのオルタンスの描写は繰り返されており、そこではまた別の部位を描写している。なるほど、描写を一度にしてしまうよりも繰り返しを用いることによって印象を深くするということも考えられる。無邪気な膝とか頬はやわらかいとかいわれても、何一つ想像できない。しかし決まって、と強調されているだけあって超ミニのワンピースというのは強く印象に刻まれる。それはキャラクターの特徴として重要な部分であって、重要な部分だけを強調して書けばそれでいいかというとそうではない。どうでもいい、身長とかまなざしなどを表現した後に持ってくることによってインパクトが増すのだろうか?
ブラック・ラグーン シェイターネ・バーディ/虚淵玄 より だれだかわかんない
淡い星明かりしかない甲板に座りこみ、黒々とうねる夜の海を見つめている男は、さながら海の怪談に出てくる船幽霊そのもののような人物だった。
およそ整髪などという言葉からは縁遠い長い金髪の隙間から、まるで骸骨に皮だけを貼ったような血色の悪い横顔が覘く。一見すると老人のような、いやむしろ死体かと思わせるほどの容貌からは、実年齢など計りようもない。
カラマーゾフやこころなどを参照してみたが、ろくなキャラクター描写が見当たらない。文学では外見はあまり関係ないのかね。その反面ライトノベルの場合、絵をつけなければならないのとキャラクターに重きを押すせいか描写されている確率が高い。上記ではまるで幽霊のような── というところを表現したいのであって、描写もそこに関係するものだけである。やはり描写をする時は何か特徴を用意し、それを引き立てるためにつけ加えていく、というのがいいのであろうか。
DRAGON BUSTER/秋山瑞人 より だれだかわすれた
尿意など、ひとたまりもなく消し飛んでしまった。
長い長い髪の女だった。歳の頃は二十に届くかどうか。道端から拾って来たような布切れで、肝心な所を縛っただけの、遠い蛮国の女奴隷と言われればだれもが一も二もなく信じるであろう風体。肌もあらわなその肢体は何やら得体の知れぬ汚泥にまみれ、左の腿に眼を並べたような模様の刺青があって、力なく垂れ下った両方の手の先にはあろうことか、刀身二尺ほどの双剣が抜き身で握られていた。
語り手の衝撃的体験の根元となる女。これから先この女が見たこともない剣技を使い、人間をばっさばっさと斬り殺していく。人生を変えるほどの一瞬を目の前にしての描写。ライトノベル作家の中で秋山瑞人が一番文章がうまいと思っているが、しかし読ませる文章である。何故かはわからない。ここで表現したかったことはなんであろうか。元々うまいと思っていたが、DRAGON BUSTERはより凄くなっていると思う。判断できる状況じゃないぐらいファンになってしまったということかもしれないが。
グラン・ヴァカンス 廃園の天使/飛浩隆 より ジュリー
ジュリーは白かった。
生成りの麻の服を頭からすっぽり被り、
少年のように短い金髪は夏の陽射しに晒されてプラチナ色に褪せ、
貝殻を列ねた白い腕輪とアンクレットを帯びていた。
ジュールはこのあとその一千年に及ぶ少年時代よりも、はるかに長い生を生きることになったが、その朝のジュリーの姿、赤い瓦と青い空のただなかに一本の若木のように佇っていたジュリーの白さを忘れる事はなかった。
飛浩隆はSF作家の中では一番好きな文章を書く作家である。描写力が神がかっていると常々思っていた。キャラクター描写に関しては大したことないと思いきや、なかなかどうして記憶に残る、ような気がする。たっていた、というのを佇っていたなどと漢字で表記したり、貝殻をつらねたが列ねただったりと漢字の使い方まで普通とは違う気がする。ここで強調されているのはジュリーの白さであって、この白さ、というのはこのあと何回か強調して描写される。
やはり、描写をするならばそれだけの特徴、意味を持たせなければならない。明確なこいつのこの部分を表現したい! という目標があって、全てはそれを表現するために描写するのだ。特にそういった特徴がなかったら描写しなくてもいいか、もしくは簡単な身長着ている服髪の色などをちょろっと書いておけばいいだろう。目標のない描写なんて何の意味もない。