基本読書

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森博嗣の傑作を見事にコミカライズした一冊──『赤目姫の潮解』

赤目姫の潮解 (バーズコミックス スペシャル)

赤目姫の潮解 (バーズコミックス スペシャル)

数ある森博嗣作品の中でも『赤目姫の潮解』は、イメージの奔流のような描写の数々、抽象から抽象へと流れるように話が/視点が繋がっていくスタイル、その詩的な表現の横溢によって多くの読者から難解であるとか、最高傑作であるとか言われている一冊なわけだけれども(でも一番多い言及は「百年三部作の最終作なのにミチルもロイディも出てこないじゃん! かも」)本書はそのコミカライズ版である。

ちなみに、僕は迷わず「最高傑作」派だ。これほどまでに読んでいて心地の良い作品は他に存在しないし、こんな語り、描写のスタイルがあるんだ、やってもいいんだ、と気づかせてくれる、”小説の可能性”を広げる自由な一冊なのである。単行本でも何回も読み返したし、見事なデザインでまとめあげられた文庫になってからもまた何度も読み返した。しかしそれだけに、その内容は小説であることに特化しており、漫画やアニメといった別形式へと移行させるのは不可能であるように思えた。

とはいえこうして、『女王の百年密室』、『迷宮百年の睡魔』に続いてスズキユカ氏によって漫画になっている。そして、ざっと一読して、不可能であると思っていた事業が、見事に達成されていることに感嘆した。抽象的な議論の数々、視点が次々と別の人間・別の場所へと切り替わっていき、夢なのか現実なのか判然としないスタイルをうまいこと三人称視点である漫画に落とし込んでいる。これを描くのはさすがに大変だっただろう笑 非現実的な赤目姫や緑目王子といったキャラクタたちも、底知れない、蠱惑的な魅力を持つ形でデザインされており、それがまた素晴らしい。

小説『赤目姫の潮解』を読んでいるときのあの心地よさ、”自由に触れている”と感じる特異な読み心地を、本作は別の形で再現することに成功しているのではないだろうか。小説の読者にとってはあまりにも嬉しい(原作にはない)オリジナルなシーンの挿入、また漫画にするにあたっての翻案も抜群で、多くの人にとってこちらの方に難解なイメージはつきにくいだろう。まあ僕は原作小説の方も別に難解なわけではないと思っているけれども(描写だけではにわかにはわからない設定が多いだけで)。

というわけで漫画『赤目姫の潮解』、原作読者にも未読者にもオススメです。未読者向けに説明しておくと、赤目姫は百年三部作の最終作なのだけれども、話的には独立しているのでここから読んでOK。漫画と小説は別物なので、原作未読者にもぜひ原作を読んでもらいたいところだ。最後に、僕が書いた解説から一部省略し引用。

 なぜ、僕にとって『赤目姫の潮解』は思い入れが深いのか。現時点で自分なりに導き出した答えは、ここまで語ってきたように極端な「自由さ」にある。それは同時に、森作品を熱狂的に追い続けてしまう理由にもつながっている。ミステリを出発点としながらもSFから剣豪小説まで幅広く書いてみせ、今となってはそうしたジャンルの枠にとらえることが困難なほどに先鋭化し、その全てで、思いもよらぬ新しい挑戦が取り入れられている。新たな作品を読むたびに、これまで自分がミステリとは、SFとは、小説とは、こういうものだと思い込んでいた領域がより広大であることに気がつかされ、自分の世界認識が一度破壊され、広がっていくような興奮が伴うのだ。
 時間的にも空間的にもとらわれず、身体に束縛された意識という枷からも解き放たれた特異な状況を描いたこの『赤目姫の潮解』は、あえて言い切ってしまえば、既存の枠や表現を次々と破壊し再構築してみせる、そんな森作品ならではの自由さが何よりも詰まった小説だ。読み返すたびに、想像によって到達できる領域、その広さ、その底知れぬ可能性に触れることができる。それは小説の可能性そのものなのだ。

赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCE (講談社文庫)

赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCE (講談社文庫)