基本読書

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不思議な少年/マーク トウェイン

不思議な少年 (岩波文庫)

不思議な少年 (岩波文庫)

十六世紀のオーストラリアの小村に、何でもできちゃうサタン君がやってきたけど彼は人間に対して結構酷いことを言う子だった、という話である。いや、そんな話ではない。人間の本性として残虐な部分がある、良心があるから人間はダメなのだ、などといった各論を展開していく。こういった人間は何をどうしようがダメなのだ、というのをペシミズムという。

本書は単なるペシミズム小説ではない(っていうか、ペシミズム小説ってなんだ?)。たとえば『人間失格』では、主人公がうじうじうじうじと悩み続ける。『不思議な少年』では、サタンという快活に(ここ重要!)人間なんてゴミみたいなもんで、そこらの犬より劣るダメなやつらさハハハ! と笑い飛ばし反対に人間代表の主人公君はそれに対してやきもきしながらも、必死に抵抗する。

ペシミズム的でありながらも、どこか気持ちが良いのはその点だ。『人間失格』は読み終わった後に強烈な精神的ダウンを経験するけれど、不思議な少年ではむしろ浮上した感が強い。その多くは快活に人間がダメだと論じるサタン君の功績だったり、あれこれ抵抗して、結局実を結ばなくても割と立ち直りの早いちゃっかりした主人公のせいでもある。なんといっても、オチの爽快感は素晴らしい。要するに全ては夢だったと。元祖夢落ちである。

「ぼくが君に見せてあげたもの、あれはみんな本当なんだ。神もなければ、宇宙もない。人類もなければ、この地上の生活もない。天国もない。地獄もない。みんな夢──それも奇怪きわまる馬鹿下駄夢ばかりなんだ。存在するのはただ君ひとりだけ。しかも、その君というのが、ただ一片の思惟、空しい永遠の中をただひとり永劫にさまよい歩く流浪の思惟にすぎないんだよ」

なぁーんでこんな簡単なことに誰も気がつかなかったんだろう! とサタンは言う。こんなことを言えるのも実際に作品の中で超越者として存在しているサタンであるからこそで、対比されている存在がただの少年ということも興味深い。みんなが魔女狩りの対象にされている女性に石を投げていて、無罪なのは知っているし、だから嫌だけど自分も投げないと疑われるから、という理由で石を投げる。そんな普通の少年が! 

わたしたちだけは言ってやりたい気もしたのだが、それもいざとなると、やはり怖くて言えなかった。せっかく立派なことをやりたい気はあってもいざとなると、やはり怖くて言えなかった。

最終的にはサタンによって、石を投げている66人中63人は石なんて投げたくないと思っていると暴かれてしまう。このあたりの心理は『ひぐらしのなく頃に』でも見る事が出来たし、世の中に拡散している。また、夢落ちをやったのは誰が一番最初か、なんて知らないけれどマークトウェインは最初から数えた方が早いのはまず間違いないだろう。とにかく色々画期的である。

サタンは正気な人間じゃいつまでたっても幸せになれない、という。確かに正気のままならば、一時的に幸福になれたとしても永久に幸福にはなれない。ただ幸福の定義そのものが難しくて、正気を失ったらその時点で幸福や、不幸などといった概念がなくなってしまう。不幸があるからこそ幸福があるのであり、どちらかだけが存続するということはないのではないかと思うのである。また徹底して人間悲観論を展開していたサタンだが、一度だけ人間の持ちうる武器について語っている。『笑い』である。

権力、金銭、説得、哀願、迫害──そういったものにいくらかずつでも、何世紀ずつでも抵抗していくすべは確かにある。しかしそれらを一度に吹き飛ばすことが出来るのは『笑い』のみだと。そう言っているのである。

ダークナイトバットマンの悪役ジョーカー。彼はいかに世の中を笑いで覆いかぶせるかを、実行した悪役といえるだろう。漫画家の篠房六郎氏は自分の日記で、こう書いている。

ジョーカーは必ず、敗北する運命にあります。
世の中には絶対的に、冗談では済まされない、洒落にならない
深くて広い断崖絶壁が多すぎて、ジョークの皮膜は、
それを覆い尽くすには全然表面張力が足りやしません。

笑いさえも、世の中には通用しない時代である。洒落にならない出来事が多すぎる、確かにそのとおり。死を前にした人間に対して、笑い飛ばすことなんてできやしない。それでもなんとかして、死を前にした相手を笑かそうとしている篠房六郎の試みは非常に重たい。しかしそれだって、病気が本当に重くなってしまったら笑うことさえもできなくなってしまう。最後には笑えない。

だがしかし、あえてそこで、最後まで、相手を巻き込んで笑い続ける事が出来れば、それは革命的であろう。人生悲観的になって、どうせ死ぬんだから、とか人生なんて胡蝶之夢さ、なんて言ってないでガハハハとわらってりゃえーんじゃねーかな。最後主人公はサタンが言う、人生なんて夢じゃけえのお、理論にしみじみと賛同してしまっている。だが、それをはいそーですか、人生夢ですか、とはいかないもんよ。あなたの人生夢みたいなもんだから明日から何してもいいですよ、はいわかりました、早速明日から道端に出て極悪非道を尽くします、なんてならないもんね。

あ、どうでもいいけど作者の顔がアインシュタインにしかみえないよ。