基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

忌憶/小林泰三

忌憶 (角川ホラー文庫)

忌憶 (角川ホラー文庫)

雑感やら

 ホラーを得意とする小林泰三のホラー短編集。大分前にdaenさんにオススメされて、読んじゃう読んじゃう、と気軽に答えながらもこんなに長いこと放置してしまったのには理由がある。本書には奇憶、器憶、垝憶、といった三つの短編が入っているのだが、そのうち奇憶だけは、一冊の本として出版されているのである。

 読んじゃう読んじゃう、と答えた後に、うきうきと自分が借りてきたのは『奇憶』の方だったのである。しかし冬木君、その時はまだ自分が間違えたことに気が付いていない。表紙がなんかパっとしなかったり、薄いわ一ページあたりの文字数が少ないのが気になったものの満を持して読み始める。しかし、フロの中で読み終わってしまった! 風呂での読書タイム…というよりかは、ページ数で決めていて、大体普通の小説だったら50ページ読んだら風呂を出る。ライトノベルだったら100ページ。それぐらいの曖昧な基準である。だけど、読み終わってしまった! これには冬木君、怒り心頭である。なんだこれは! daenさんが言ってた前向性健忘症の話なんか出てこないぞ! とわけもわからず暴れ散らす(もちろんウソである)。内容自体は別に悪くなく、いつもの小林泰三だなあといったぐらい。凄いダメ人間描写だったことは覚えているが、それ以上は記憶にない。そう、つまり何がいいたいのかというと、みなさんは騙されて奇憶だけの本を買うんじゃありませんよ。ということだ。勝手に騙されておいて人様に忠告するとは何様だ、なんて言われても困る。

各編感想『器憶』

 『奇憶』は今回読んでないので飛ばそう。『器憶』は、腹話術師の話…と見せかけて、なんだかよくわからない話である。まあ、器という字があるのだから、身体と精神の器がどーたらこーたらという話だ。お前が俺で俺がお前で、的なこの感じ、要するにいつもの小林泰三なのだが、この表現でわかる人は小林泰三をすでに知っている人に限られるだろう。しかしこのいつものような感じ──。というのが、小林泰三の力点というか、力が入っている点というか、読者である自分が勝手に注目している部分なのである。ここ、とっても小林泰三を語る上で大事な点でなので、後述する。口述ではない。ちゃんとタイピングしている。出来としては、オチが大変気に入った物のそれ以外は特に何とも思わなかった。器という観点から見ればやけにごちゃごちゃとした話だった。こんなのでいいのだろうか。よくわかっていないのかもしれない。

『垝憶』

 前向性健忘症の人の話である。メメント』という作品がやたらと引き合いに(本書の中で)出されているが、視聴したことがない。ただ、『博士の愛した数式』は読んだ事があるので、どういう症状かは常識的な範囲では知っている。要するに、短い間しか記憶を保持できない症状のことだ。全ての記憶が失われてしまうわけではなく、その症状が始まってしまったところまで巻き戻るのが一般的らしい。何分間隔で起きるのか、とかそういったことが決まっているのかどうかはよくわからない。まあ、主人公はその前向性健忘症患者なのであるが…というところからストーリィは始まる。あるが…というところが、非常にそそるではないか。その症状だけでも充分に大変なのに、そこから更に厄介なことが待ち受けていることがわかる。

 主人公は、記憶が消えるたびに手元にあるノートを読む。『博士の愛した数式』でも同様に、体中に覚えておかないといけないメモを貼り付けていた。まあ、普通そうするだろう。さてさて、そのノートには、決して自分の名前を書かないこと、とか、決して人に見せないこと、とか書いてある。妖しさエクスプロージョンである。まあそうやって、何でだ? 何で自分の名前を書いたり、人に見せたりしてはいけないんだ? と悩む。のちに、その事実を明かされた所から、またガラっと物語の雰囲気が変わるのだ。これが非常に素晴らしい。小林泰三を読んでいて良かった、と思わせる瞬間。つまりここが、力点である。以下略

小林泰三の書く、薄氷の上の世界

 氏の書く物語は、たったの一言で今までの雰囲気をがらりと変えてしまう。今まで読んできた世界が、実は薄氷の上になりたっている砂上の楼閣だということを突きつけてくる。(薄氷の上とか砂上の楼閣だとか、すげえかっこわるいです)こういうところが、自分は好きなのである。たとえば『垝憶』。曖昧なままの、記憶が保てないというだけだった主人公が実は『殺人を犯した』罪を隠すために、面倒くさい、自分の名前をノートに書かない、とか人にノートを見せない、というルールを作った、ということが明かされる場面がある。

 そこまでの物語の原動力、つまり謎といえば、何故そんなことをノートに書いたのか? それから記憶が長期間保てないという状況をいかにして克服するのか?(博士の愛した数式)だったのだ。それがここにきていかにして博士の愛した数式をやりながら、殺人事件を隠ぺいするか?(つまりどのようにして死体を遺棄するか)といったところに、物語が転換した。今まで味方だったはずの医者、他人が一気に敵になる。こういった価値観の揺さぶり、それこそが小林泰三のお家芸ではなかろうか。小林泰三の得意技として量子論を軸に現実に揺さぶりをかけてくる展開も、上のような流れを組んでいると思う。

 僕らが今こうして過ごしている現実はほんの少し力を加えてやるだけで、たわいもなく壊れてしまうんだぜ。