「ガラスの地球を救え!」
マイベストは田中啓文氏の「ガラスの地球を救え!」で、題名の元ネタは手塚治虫のエッセイ集「ガラスの地球を救え、二十一世紀の君たちへ」からとっているらしいのですが、これが非常に笑える。最後の場面などは、ぼかぁ笑い転げておりました。何がどーしたというのを、まったく語れないのは非常に残念です。ただSFファンならば、涙なしには語れないでしょう。出来れば最後のページなど、全文引用してしまいたいぐらいなのですが、これはやっぱり本を買って読んでいただきたいのです。SFファンならば、読んでしかるべきです。
「忘却の侵略」
いつもの小林泰三でした。とってもスピーディーで論理的で量子力学が重要になっています。「いかにして自分に有利な状況を観測するか」を焦点にして、異星人との「観測」バトルを繰り広げるなんてーのは、小林泰三ぐらいしかやらんです。説明しづらい面白さでした。
七歩跳んだ男
山本弘氏が作者です。物語としては非常に面白いのです。SFミステリィという、あまり人が挑戦しないジャンルなので物珍しさもあります。ただぼくは彼がブログでしきりに訴えているような、アポロ13月面着陸はアメリカの陰謀だった! みたいな、どーしようもない陰謀説に怒りまくりながら反抗しているのが、これがまったく好きではないのです。そして、その好きではない主張が、物語の中に当然のことのように鎮座しているのに嫌悪感を抱いてしまう。そう主張するのはいいのです。世の中に広まった誤解を解こうとするのは、ぼくもアポロ13陰謀説を、さもそれが真実かのように言う人を見ると「ケッ」という気分になりますから。しかし、これだけ長いこと怒りが持続するというのは尋常じゃないというか、すでに目的と手段がごっちゃになっているのではないかと思うのです。と学会みたいなものを作って、とんでも本をけらけらと笑い飛ばすのと同じように、陰謀論者をけらけらと笑い飛ばしているのではないかと思ってしまいます。
「Beaver Weaver」
千年後に目覚めたという夢から覚めて百年後にいる。
いや、いーですね。この一文から始まるのですけれども、これだけで円城塔だとわかります。たぶん。このひねくれ方というか、一読して「んんん?」と首をひねってしまうこの感じ、相変わらずよくわからないんですが、なんだかとってもよかったです。短編のタイトルに入っているビーバーとは、そのまんまビーバーです。海狸です。あのかわいいやつ。そのビーバーがなぜか、世界の論理構層をかじって、集めているそうです。だから、わけがわかんないんですけれども、色んな論理が出来上がったりできなかったり消えたり現れたりする世界みたいです。よくわかんないですけど。
「自生の夢」
飛浩隆。グーグルから始まった一連の情報革命を、いち早くSFに落とし込んだ作品といえるのではないでしょうか。ここでは文学を自動記述するシステムみたいなの(結構違うけど)とか、グーグルブックをネタ化したりとか。でも内容はとってもハードです。グーグルブックのように、世界中の本がデータとして電子の渦に落とし込まれた時に、それらの内容を勝手に「崩壊」させてしまう<忌字禍>が表れて──そして、それを打倒する為に73人もの人間を「言葉」だけで殺害した希代の天才殺人者がこれまたSF的手法で召還される・・・。ラギッド・ガールを読んだ時も思いましたけれども、飛さんて「凄い人」を書くのが異常にうまいですね。あと「可愛い女性」も。ほんと、素晴らしいと思います。これだけ色んな事がつたわってくる、感覚まで伝わってくるような文章には、なかなかお目にかかれない。
「屍者の帝国」
伊藤計劃氏が生前書いていた、長編の最初の部分がこの「屍者の帝国」です。死者をよみがえらせる科学技術が発展している世界です。何も死んだ人間がそのまま蘇るというわけではなく、死んだ人間にソフトか何かをインストールすることによって、半強制的に動かす、そういう蘇り方をします。これが非常に新しいというかなんというか。たとえばグレッグ・イーガンなんかはSFで初めてかどうかはわかりませんけれども、「人間を改造」するわけです。様々なMODを脳に入れたり、もしくは寿命から開放したりといった手段をとって人間をさらに別の存在、階梯へ押し上げる。大抵の場合「死」は無視される、あるいはすでに乗り越えたものとして語られるのですが、伊藤計劃氏がとった「人間の改造」の仕方は、「死んで」からに限定されている。人間が人間のまま何か別のものになるのではなく、人間がいったん死んでから別のものになる。というのは、これどういうことなんだ? 何か言いたいことがあった気がしたんですけど、わすれちまいました。しかし、きっと完結していれば傑作になったであろうというのは序盤だけでも十分に伝わってきます。悔しいです。