基本読書

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性のアウトサイダー

性のアウトサイダー (中公文庫)

性のアウトサイダー (中公文庫)

 さて、どこから書いたものだろうか…。本書は単行本が出たのが1989年だけれども、2008年5月に文庫化されました。つまり内容は二十年前のものなのですが、これがまるで古びていない。今でも十分に通用するものばかりです。内容的には、タイトルの通りに、性についてのアウトサイダー、特殊な性癖を持つ人だとか、同性愛者であるとか、そういった人々を数多く取り上げその都度あるテーマから事例を見ていきます。そのテーマとは人生普遍のテーマともいえる『退屈な日常からの脱出』であるといえます。

面白かった点1つ目──変人観察日誌

 本書の面白い点のひとつ目としては、まず奇怪な性癖を持つ人間たちが大量に書かれること。それは日常とのギャップのせいで時にひどく笑えるものとなっています。反面強く感じさせられるのは、そんな状態にならざるを得ない悲哀です。たとえば毛むくじゃらの犬を愛撫しながらマスターベーションに耽る男、娼婦に泥のついた指でマスターベーションをしてもらいたがる男、老人の肛門を舐めたがる少女、娼婦がウサギをいじめるのを見物したがる男、などなど。ここであげた例も相当ですが、中には引用をためらってしまうほど悲惨な性癖を持った人間もたくさん出てきます。これは悲劇なのか喜劇なのか、そんなことを考えるといたたまれない気持ちになるのですが、そんなことが起こってしまうのは、人間の想像力のたくましさ故です。『退屈を抜けるために危険を追い求める』

 小説が生み出され、物語が生み出されるようになって人間の想像力は飛躍的に増大したといいます。小説はあらたな想像をうみ、数が増えるにつれ物語のパターンも増えていきます、それにつれて人間の想像力も進化していったんですね。↑であげたような奇怪な性癖が生まれてしまったのはその想像力故である、といえます。それは想像力が、性的満足を与えてくれる物を自由に選択できるようになったからです。そういった『想像力の使い道』を考えてきたのが、いわば本書でも文章を尽くして語られるアウトサイダー達です。

面白かった点2つ目──性という一本槍で持って人々を括る。

 普通ならば一度に語られはしない存在、つまりはサド侯爵と三島由紀夫であるなど、本当に様々な分野から(といっても主に文章家でありますが)『性のアウトサイダーという観点から並列に語られているのですね。これがまず面白い。本来なら関係のない二人が性のアウトサイダーである、という点で共通していた、ということがです。アイデンティティゲームでも書きましたけれど、人間はマイナスがあった方がアイデンティティの確保のために、他者の評価を獲得しようと通常よりたくさんの才能をみせることがあります。

 同じようなことで、性のアウトサイダーであるというマイナス要因を持っており、なおかつそれにどこまでも自覚的である場合、他の要素でもって自分を他者に認めさせようとする傾向が非常に強いことが読んでいるとよくわかります。不便さこそが進化の要因なのだという事が出来るでしょう。歴史上の偉人や文学者に性倒錯者が多いのはそう言った理由からであるといえます。また、中には自分が性のアウトサイダーだと絶対に認めない人間もいて、そういう人間は思想の上では『他者と同一』なのですから努力も人並です。

 終章ではそこまでのすべてを踏まえて、ある種人生論的な語りになっていくのですが『生きているっていうのはそれだけで楽しいことなんだぜ』という結論で終わります。『性のアウトサイダー』達の話がいったいどこをどうやって通っていったら、そんな結論になるんだ? というそういう細かいところは読んでみないとわかりません。これはオススメ。