基本読書

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"人間性の限界を受けいれる"か、"可能性の力を歓迎する"か──『ネクサス』

ネクサス(上) (ハヤカワ文庫SF)

ネクサス(上) (ハヤカワ文庫SF)

ネクサス(下) (ハヤカワ文庫SF)

ネクサス(下) (ハヤカワ文庫SF)

科学技術の発展によって人間の在り方が大きく変わりつつある。たとえば今年の6月に出た『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』は失明した人の視力回復など失われた機能の復元だけではなく、記憶力強化、臓器の代替、認識力の強化などエンハンスメントの領域に踏み込みつつある状況が語られている。
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ブレインマシンインタフェース技術を使えば、脳で考えただけで外部アームを動かしたりすることも可能だが、仮にそれが一般的に普及した場合、念じただけで動かせるものまで含めて人間なのだろうか? 臓器がすべて人工の物に入れ替わっても人間なのだろうか? などなど、「超人類の時代」に向かうのと同時に「人類はどこまでが人類なのか?」という問いかけが浮かび上がってきているのが現状である。

『ネクサス』はそうした状況を真摯に捉えたSF小説である。著者のラメズ・ナムは技術者であり、サイボーグ技術に関するノンフィクションがあるが、小説の出版は本書がはじめて。ただ、処女作とはいえ、本書は読んでいる最中にそんなことが頭に上らないぐらいに小説として出来がよく、純粋におもしろい。その上、本書に出てくる技術の多くは、著者の経歴を反映して現時点ですでに研究されている科学を下敷きにした、納得度の高い内容に仕上がっている。日本では藤井太洋さんの作風が近い。

簡単にあらすじとか世界観とか

紹介したい部分がたくさんあるのだけど、まずは簡単にあらすじからはじめよう。

舞台となるのは2040年のアメリカ。神経科学研究の進歩は著しく、体内に取り入れたナノ構造物によって他者の脳と通信する「ネクサス」など無数の世界を変革する技術が生まれている。だが当然ながらそうした革新的な技術は恩恵だけでなく被害をもたらすものであり、特に危険なもの(ネクサスとか)については規制を受けている。

中心人物となるケイデン・レインは神経科学者で、新世代のネクサスの研究・開発を進めている──だけではなくて、それを用いた違法なパーティを開いている。大勢で特別なネクサスを服用することで、感情、興奮、記憶が混交する、それ以外では達成しようがないような深いレベルでの"一体感"を得ることのできるパーティだ。

 十一の精神が、サムの精神の十一ヵ所に同時にふれる。ブライアンが友人たちと精神をつないで遊ぶときの強い歓喜。その遊びはときに無茶で、ときに思索的で、ときに常軌を逸している。サンドラの深い池のように静謐な境地。長年のヨガと、落ち着きをまわりにもたらす平穏な雰囲気。これは彼女にとっての瞑想だ。イワンは物理学者で、周囲の精神とのダンスや調和や不調和のなかに、数学性や音楽性を見ている。

だが、そのパーティに国土安全保障省の捜査員が紛れ込んでおり、レインは強制支配技術の開発と使用など無数の罪によってお縄をかけられてしまう。一発アウトの状況だが、ネクサスを基盤として洗脳技術を構築しようとしている先駆的な研究者への潜入調査を要請され、これを受ければ仲間ともども許されることになるという。

仲間を守るためにも渋々国家権力に屈することを選ぶレインだが、スパイ先の研究者とのやりとりの中でポスト・ヒューマンを生み出す思想を語られ『決めなさい。進歩の陣営につくか、それとも……停滞の陣営に残るか』と選択を迫られることになる。

"人間性の限界を受けいれる"か、"可能性の力を歓迎する"か

この「進歩か停滞か」という問いかけは、技術の発展と共に現実でも常になされてきたものである。新技術は危険なものだ。安定せず、急な変化は何かを壊す。とはいえ、インターネットが世界を大きく変え、進歩を加速させたように、良き面も存在する。だから、「進歩か停滞か」という、この問いかけには終わりがない。

「これは兵器じゃない。新しいコミュニケーション手段だ。人と人をつなぐ。見ただろう。感じただろう」
 たしかに感じた。すばらしいものだった。しかしそのあと恐怖を思い知らされた。自分が自分でなくなることを知った。サムは話をそらせた。
「人を苦しめることに使える。あなたがやらなくても、他の使用者はやる」
「ちがう。これは人と人との隔絶を埋めるものだ。ばらばらでいるよりも賢くなれる。集合集合感情を実現できる。イリヤは……」

ページ中に仕込まれた最先端テクノロジー

所狭しと本書の中には最先端のテクノロジーが、社会や人間の生活をどう変えたのかという状況が記述されており、それがまたおもしろい。たとえば、一部の人達は体内に取り込んだネクサスをOSとして活用することでいくつもの人体制御アプリを展開できるようになっており、レインがつくった「明鏡止水」アプリを使えば感情から発汗まであらゆる状態をコントロールでき、「ブルース・リー」アプリを使えば、敵の認定、攻撃・防御といった白兵戦をほぼオートマティックにこなしてくれる。

こうしたアプリを入れていない者でも、軍人は軍用コンタクトを用いており危険性の勧告、推奨行動の提示などが行われ、遺伝子技術のおかげで耐久力、筋肉強化、有機カーボンファイバーによる骨の強化などゴリゴリに盛られている。そのためなのかなんなのか、非常に格闘シーンが多いのだけど、数々のテクノロジーに補助されながらの格闘が進むので描写を読んでいるだけで"スゲー戦闘だ!!"と感動してしまった。

テクノロジーと仏教の結合

最後に、個人的におもしろかったのが、テクノロジーだけでなく"宗教"(仏教)の要素が取り入れられていること。たとえば上巻では、タイ国王ラーマ十世が神経科学と仏教について「その目標はほぼ同じである」といってのける。瞑想も神経科学も精神の探求だからだ。仏教徒は瞑想を行うことによって、我々は個人よりはるかに大きなものの一部であることを知るというが、それはネクサスが成し遂げることでもある。

で、実際に瞑想を深いレベルで体得した人たちはネクサスによる共時性のレベルも、通常の人たちと比べるとものすごく高くなる。いわばネクサスはすでに存在している(が、習得するには凄く時間がかかる)ものを、短期間で習得できるようにしただけ、といえるのかもしれない。そして、「進歩か停滞か」という問いかけの中に沈み込んだレインは、仏僧との対話の中で、自分なりの結論へと向かうことになる。

おわりに

レインはどのような選択をとるのか。人は進化するべきなのだろうか。明鏡止水パッケージなどで感情の変動をなくすのは無条件にいいことなのか。そうした無数の問いかけに加え、戦闘シーンが素晴らしいのは書いたとおりだが、仏僧とレインの対話も相当な読みどころである。「精神の枷を外しなさい」と語る仏僧と、「これがないと精神が崩壊してしまいます」と語るレインの場面とか、ぐっとくるんだよなあ

上下巻あるけどおもしろいからあっというに読めるだろう。ちなみに、三部作の第一部目だとか。いやや、これはさすがに全部翻訳してもらわないと困りますよ! 本書がおもしろかった人はWeb小説『幻想再帰のアリュージョニスト』や『ドローンランド』をどうぞ。どっちも「ブルース・リー」みたいな人体制御アプリが出るぞ。
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