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アル・カーイダと西欧―打ち砕かれた「西欧的近代化への野望」

アル・カーイダと西欧―打ち砕かれた「西欧的近代化への野望」

アル・カーイダと西欧―打ち砕かれた「西欧的近代化への野望」

 「近代とは何か」をテーマにしながら、アル・カーイダが打ち壊したもの、アメリカの押し付けがましい普遍主義について、変容していく戦争、などなど内容は多岐にわたります。180ページ程と非常に短く、それでいて内容が詰まっているので非常に面白い。自分はこういった問題にはまるで門外漢なのですが、それにも関わらず面白い、と感じました。とはいってもこの本が、同種の他の本と比べてどこがどう優れているのか自分には比較して論じることもできませんのでとりあえず内容の簡単なまとめをしてお茶を濁そうかと。特に面白かったのは、アメリカが他国へ対してアメリカ的なものを押し付けるのは何故か、またアメリカは、テロが起こるという犠牲を払ってまで帝国たらんとする覚悟があるのか? と問うところなどはふるえましたねえ。発展途上国への支援の失敗のほとんどは、社会やそれまで歩んできた道が違えば援助のやり方にも当然違いが出る、ということがわからなかったところにありますが、違いを認識できない、しないというのはやはり致命的な間違いがあるのだといえます、アメリカのような一つの価値観へと収束させていくようなやり方では限界があるのでしょう。

第1章 アル・カーイダが打ち砕いたもの
第2章 近代化をめざした三つのプロジェクト
第3章 近代化論者の始祖
第4章 うたかたのグローバル自由市場
第5章 地政学と成長の限界
第6章 変容する戦争
第7章 パクス・アメリカーナ?
第8章 近代とは何かを事前に知ることはできない

第1章 アル・カーイダが打ち砕いたもの

 「人類」という言葉ほど不快なものはない。
 明確な意味など何も示さず、まるでまだら模様の神人みたいに。
 残りのすべての概念をいっそう曖昧にさせる。
            ──アレクサンドル・ゲルツェン

 各章のエピグラフには上記のように、章のテーマともなるべき文句が引用されています。

 西欧社会を支配している信念とは、近代性とはすべての場所が一様に均質で、常に慈悲深く温和であるという状況を示したものです。これはのちのち重要な話ともなってきますが、まあ要するにそんなことありえねーよ、と。ある一つの目的地に向かって、歴史が進んでいるなんてそんなことはなく実際には頭ガツンガツンとぶつけながら目標に向かっていく人間がいるだけなのだよ、という話です。

第5章 地政学と成長の限界

 世界中が10人で溢れたとき、最後に残された解決手段は戦争である。勝とうと、負けようと、それですべての者に食糧がいきわたる。  ──トマス・ホッブズ

 今もっとも重要な資源といえば当然のごとく石油ですが、石油がある場所は当然のごとく偏っています。たとえば石油が取れる国では、石油があるというだけで大きなアドバンテージになるんですね。それを巡って戦争が起こります。今や世界中で人口増加が深刻な問題になっており、飢饉や疾病、戦争がおこって個体の数が調整されます。科学が発展すればエネルギーもなんとかなるだろうという意見も当然でますが、どうしたってエネルギーというのは有限ですし、さらには石油の終わりは目に見えており、終わりを告げる瞬間までの時間では科学が進歩するには短すぎます。日本では出生率が低下していますが、恐らくこれは避妊と堕胎がたやすく行える状況のおかげだろうとここでは書いています。出生率低下をなんとかしたいんだったらどちらかを禁止、もしくはさせない方向に動くしかないですねえ。まあ人口なんて少なければ少ない方がいいような気がしますけど。というか、下の世代が上を支えなきゃ破綻するとかいう年金制度が全部悪いのでは? あれが無ければ別に人口が減っても、その分事業を縮小すればいいだけの話ではないのかな。よくわからんのですけど。

 21世紀の初頭においてグローバルな対立の構図を決める要因は、人口の増加と減少するエネルギー資源、そして逆行不能な気候の変動だ。この三つの要因に民族的憎悪や宗教的反目、世界各地で発生する国家の崩壊もしくは腐食が加わって、戦争もその姿を変容させている。

第7章 パクス・アメリカーナ?

 パクス・アメリカーナがあり得るのか? みたいな話ですね。パクス・アメリカーナとは、超大国アメリカの覇権と実力によって平和をもたらすみたいなそんな感じです。まあよくわかってないのです。しかし仮に覇権をアメリカが担うとして、問題点、対価が当然必要となります。1に財政、2に人的犠牲、さらに問題点として、他国との協調をあまりとらないアメリカに対して多くの国が不信感を抱いているということもあります。何故不信感を抱くのか、といえば、アメリカ人は自国こそが普遍的価値観の体現者だと思っており、それを他国に押し付けるからということになります。『何故アメリカ人は自国が普遍的価値観の体現者だと思っているのか』そのあたりは、よくわかりませぬ。そういう国として方針づけられた、としか言えないのかな?

第8章 近代とは何かを事前に知ることはできない

 歴史とは、ある特定の方向や最終目的地とは無関係にただ進む。
 だが誰も、そのことを認めようとはしない。
   ──E・M・シオラン

 今現在信仰されている科学は普遍的文明の土台であり、知識が増えるにつれ倫理と政治も同じ方向に進歩発展していくだろうという思想だとして広く認知されていますが、これを有害だと一刀両断しております。これは根底として宗教があり、キリストによって人間はいつか救われる、つまりは究極の平和が訪れるという思想、ただ一つの生き方を正しいとする思想なんですな。科学は確かにいくつかの世界観を排除しますが、ひとつの世界観に収束させるわけではありません。
まあ色々ありましたが、ここで言っているのは単純にしてしまえば他者の価値観をうけいれていこーぜということでしょうか。