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リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理

リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理

リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理

 恐怖は災いを防ぐ手段として我々の心に組み込まれている。ただし、その役割は、他の感情と同じく、理性を押さえつけることではなく、助けることである。──サミュエル・ジョンソン

 誰もが知っている事件として、9・11のテロがあります。三千人の人間が亡くなった、あの鮮烈なイメージを持った映像が流れた後、多くの人は飛行機が危険だと判断し、飛行機での移動を取りやめました。そして、その代りに車での移動を選んだのです。純粋に数字で考えると、飛行機は車より絶対安全です。米国の教授の計算によると、テロリストが一週間に一機のジェット機を米国内でハイジャックし激突させたとしても、一年間毎月一回飛行機を利用する人がハイジャックで死ぬ確率はわずか十三万五千分の一。対して車の衝突で死ぬ確率は年間六千分の一…。

 多くの人間が移動に飛行機を使うのをやめて、車の移動に乗り換えた。その結果その年の路上での事故死は上がった。その数1595人。テロによる死亡者の半数を超える。それだけの人間が、テロの恐怖から逃れたために死んだとは考えられないだろうか。恐怖に騙されるだけならまだしも、それは現実問題として我々に不利益を与える。また、恐怖は人を消費に走らせる。ネット上の危険をアピールし続ければ、子供にネットを見せないようにするソフトが売れ、あなたは健康ではない! と訴え続ければ薬が売れる。しかしそれは本当に言うほど危険なのだろうか? 声高に唱えられる統計は、果たしてどれほど信頼できる数字なのか? テレビを通して、新聞を通して、色々な媒体が恐怖をあおってくる。そんな時代だからこそ本書の大切さも身にしみる。

プロローグ
第1章 リスク社会
第2章 二つの心について
第3章 石器時代が情報時代に出会う
第4章 感情に勝るものはない
第5章 数に関する話
第6章 群れは危険を察知する
第7章 恐怖株式会社
第8章 活字にするのにふさわしい恐怖
第9章 犯罪と認識
第10章 恐怖の化学
第11章 テロに脅えて
第12章 結論―今ほど良い時代はない
謝辞

訳者あとがき   ──Amazonより

 あまりにも多くのことを知らないことに本書を読んで気がつかされる。たとえば放射能という言葉を聞いて何を思い浮かべるだろうか。いろいろ思い浮かべるだろうが、悪〜い印象をともなっていることは間違いないだろう。しかし日頃おひさまを浴びていることだって、放射能をあびていることなのだ。砂浜に寝そべっておひさまの光を浴びている行為に恐怖を感じる人は少ない。それは『おひさまの光』であって『放射能』ではないからだ。人はそれが同じものであると論理的には納得出来ても、感情では納得できない。何故なら、日光浴をするのは気持ちがいい行為だからだ。そして、良い気持ちになるのならばそれは悪い効果をもたらすはずがないと判断してしまう。人間は、大抵こうやって論理的側面よりも感情を優先してしまう。

 統計に関する話も盛りだくさんであった。たとえば慈善団体がある。彼らは最初に、ご飯が食べられずにやせ細った子供の写真を見せ、その写真には「カナダの子供の五人に一人が餓えている」と書かれている。だから寄付をしようというのだ。確かにその理念は正しい。ただし著者はカナダ人で、そんな話を聞いたことが無かった。餓えているとはどういう意味なのかもわかりづらい。毎日餓えを感じていることか、週に一回か、そもそも餓えている状態とはどういった状態なのか? そして著者は代表者にメールを送った『この数字はどこからきているのか?』帰って来た答えは、「現在の子供の貧困率は六人に一人である」だから、だいたい餓えている人間もだいたいそれぐらいだろうというのだ。ここでいう貧困とは、「平均に比べて非常に暮らし向きの悪い人々」のことだ。貧困がいつのまにか餓えに置き換わって、いる。それは同じものではないのに。しかも独断によって六人から一人へと下げられている。

 著者がそのことを指摘すると、六人に一人だろうが四人に一人だろうが餓えている子供たちがいるのは事実だ。私たちは正しいことをしている、といって会話は終わったという。それは確かに立派な行為かもしれないが、何かがおかしいのは言うまでもない。こういった出来事には『確証バイアス』がかかっているのだろう。確証バイアスとは、何かの信念や、これが正しいといったん思いこんでしまうと、意識はその信念、正義を補強する情報だけ集めてそれに反対する情報は無意識的に無視してしまうのだという。同じ事が慈善団体にも起こっているのではないか。餓えている子どもはいる、助けなければいけないという信念が、それ以外の情報をすべてゆがめてしまっている。正義を胸に抱く恐ろしいのはこの点であると思う。自分も気をつけなければ、とは思うのだが結構難しい。というか全然実践できていない気がする。

 恐怖に操られないために。数字に騙されないように。感情に突き動かされすぎないように。頭をもっと働かせろ。論理的になれ。結局のところ、気をつけられる事といえば、それぐらいしかないのかもしれない。ただ騙されていることには最低限気が付いていなくてはならない。われ疑う、ゆえにわれあり。ですぜ。