基本読書

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世界史

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

 学校の授業で使う「世界史」だとか「日本史」の教科書はねー、あれは読んだ人はだいたい思うだろうのだけど、相当ゴミですよな。なぜなら、何年に、何があったって、ぼくらは別にそんなことを知りたいわけじゃない。だってそれは、就職面接にて「学校ではどんなことをされてましたか?」とたずねて「1年の頃にテニスサークルに入り、二年の頃に大会に出場し、三年の頃に引退しました」とかそんな事実のみの列挙を聞かされるようなもんだからです。歴史の教科書がやってることは、そういうことなんですよ。それは確かに情報として存在するけれど、その情報になんらかの意味があるか、ないかといったらないですよな。テニスサークルに入ったから、なんなの? っていう話です。そこで、歴史の真髄は何かっていったら、そりゃ「語り」ですよ。過去にあった出来事について、その歴史を、人はいかにして「語る」のか? ??年に起った事件とは何だったのか? ぼくらの関心はそういうところにしか持てない。そして歴史が「語られるもの」として存在する以上、そこには誤解が生まれてしまうわけで、そういう流れでこの本の著者であるウィリアム・H・マクニール氏が以下のような言葉を持つのは

 世界史のように大きな主題を扱おうとする試みは、とてつもなく大きな誤解をひきおこす。しかし、著者が考え記述したことのいくつかの側面を人がとりあげ、著者の思想を好きなように発展させ、歪曲し、解釈しなおして、じぶんの問題に答えを見いだしてこそ、はじめて印刷された冷たい文字に生命が注ぎ込まれる。そして、そういうことが思い切ってひんぱんに起ってくれれば、本書のようなたった一冊の本も、人間の文化史のなかで、ほんとうの力になるわけだ。だから、私は皮肉でもなんでもなく、この本が、くりかえしふんだんに誤解されることを望むものである。

 歴史学者として当然のあり方だと思います。歴史を誤解しないように、歴史の教科書というのはほとんど事実の列挙のみに終わってしまっていると思うのですが、歴史を誤解しないようにさせることこそが歴史を誤解しているということに気がついていないのではないか。とも思うのですけれど、そんなこと言われなくてもたぶんみんな気が付いていて、それでもなお事実のみを列挙した教科書を使い続けるのにも当然何か譲れない理由があるのでしょう。なんか歴史教科書周りの問題っていうのは国を問わず、非常に複雑なものがありますよねえ。うかつに触れないというかなんというか。

 そんなわけで本書は教科書にありがちな事実のみを列挙した世界史ではなく、著者の見解を多分に含んだ世界史となっております。何か歴史的な事件が起った場合、それはただ起っただけではなく、世界的にどういう意味を持っていてまわりにどんな影響を与えていったのか? という語り方が非常に素晴らしい。世界史というのは点と点の集まりではなく、やはり「流れ」の中にあるわけですからやはりそう語られねばなりますまい。しかし本書最大の特徴はそれだけではなく、もうひとつは文庫で上下二冊、約900ページという驚異的な短さにあるでしょう。超高密度に圧縮された世界史はさながら「シヴィライゼーション」をプレイしているかの如しで、みるみる人間は文化を獲得し、政治組織を形成し、宗教が勃興し、戦争を起こし滅んだり建設したりつかの間の平和がきたら芸術が進化しまた戦争しそのうち科学が出てきてまた戦争して科学のおかげで暇ができて文化もどんどん進化する…を繰り返していきます。まあ基本的にそれだけともいえるのですが、「一気に読める」のは大きいです。繋がりが見えてきますからね。歴史を学びたい人にはオススメの一冊です。ちなみにこれ、タンブラーで書評が流れてきたのですがどなたから来たのかわからなくなってしまいましたん。感謝しております。