基本読書

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Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流

Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y)

Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y)

 ツイッター本を読むのはこれが二冊目(一冊目はついったー140文字が世界を変えるとかそんな感じの)なのですけれども、どちらも非常に物足りないと感じた。単純に面白くないと言っている訳ではなくて、面白いのだけれども、なんだか物足りない。それがなぜかと考えてみれば、ツイッター本よりもツイッターの方が面白いから。こうやって津田さんの本を読むよりも、津田さんのツイッターでの発言を読んでいる方が断然面白いと感じてしまう。それはこの本の副題にもなっている「リアルタイム・ウェブ」、つまりはリアルタイム性の面白さ何だろうと思う。本を読む時の面白さと、ツイッターの面白さは種類が違うのだから比べるのはおかしい、とも考えてみたのだが、しかしツイッター本の場合それは当てはまらないのではないかという気がする。この本の最後は「そんじゃまた。この本の続きはツイッターで!」となって終わっている。この言葉事態が結構感動的なのだが、ということはやっぱりツイッター本とツイッターというのはどこかでつながっているのだ。つぶやきながら作っているというのも、もちろんあるし、書いた後もツイッター上では様々な活動が行われている。そういうリアルタイム性、「でたぁー! 津田大介の連続RTTL流しだぁー!!」みたいなアホな盛り上がりだったり(ぼかぁ別に津田大介さんとは何の関係もありません、ただのフォロワーです)そーいうとこにこそTwitterが何かのいきている答えがあるのだろう。というか人によってTwitterとは何かに対する答えは大きく変わってしまうわけで。そこをあえて一般化しようとすればあまり面白くないことにならざるを得ず、ツイッター本が出来ることと言えば「ついったーやってみればええやん」っていうことしかないんじゃないかなという気がする。ただ、当然ツイッターをやっていない人には凄く有意義な本だと思うし、ツイッターをやっていてもなんだかよくわかんないなぁーと思っている人にとっても同様だと思う。ただツイッターの面白さっていうのは一般化を超えた先の「自分だけのTL性」とかそういうところにある。突出した部分というか。

 しかし上のようなことをついったーで呟いてみて、反応が来て恥ずかしくなったけれども、今書いていたようなのは、「今この瞬間より歴史の方が面白いなんてことがありえるの?」ということなのだろうか。いやそれはほとんど大部分その通りなのだろう。だからツイッター本がツイッターより面白くないなんていうことは、当然あり得ないのだ。というよりも、そもそも面白いとか面白くないというのはめちゃくちゃ主観的なものでそこを問題にしちゃあいかんだろうっていうのはあるなあ。本としての価値は間違いなくあります。それは確か。だからこれは、なぜぼくがTwitter本を読んで物足りなく感じてしまうのか、という微妙な自己分析でした。