涼宮ハルヒの消失を見てきました。あの有名な「涼宮ハルヒの憂鬱」の劇場版。二時間四十分使って、一冊の本を消化する。丁寧に絵もお話も音楽も作られていて、とってもおもしろかったです。SF小説がよく出てきて、作品の内容を暗示するようなギミックとして使われるのですが、それもSFファン的には「おお〜〜なるほどそういうことね」と観れたりして、余分に楽しめたかな。とくにエンディングロールの後の彼女が読んでいる本とか、表紙だけ見て何を読んでいるのか、その本がどんな内容なのかを知らないと何が何だかわからない。
どんなお話なのかは説明しなくてもいいような気もしますが一応。普段のハルヒシリーズというのは、「涼宮ハルヒ」という世界を改変してしまうトンデモ能力を持った人間が、縦横無尽に好きなことをやって、まわりにいる「超能力者」「異世界人」「未来人」「一般人」たちが振り回されるお話…なのですが。消失ではその名の通り、能力を持ったハルヒが消失してしまう。そして、ハルヒがいたことによって起こっていた非日常がことごとく消えて宇宙人も未来人も異世界人もいない日常に戻る。さて、その中で唯一記憶を保っている「一般人」キョンは、非日常に戻りたがるのか、日常がいいのか、どっちーみたいなおはなしかな? あとハルヒと長門どちらを選ぶのか、とかいうお話でもあったり。たぶんキョン視点で見ると「日常か非日常か」みたいな話になって、長門視点でみると「ハルヒか長門か」になるんじゃないかなー。だって、キョンはハルヒしか見えてねーぜ。
中二病作品が、面白くねえはずないだろうが!
結局、キョンは非日常の世界を選ぶ。普通の文学少女長門じゃなくて、超能力トンデモ少女ハルヒを選ぶ。エンターキーを押したときにそれはもう決まっていて、自分の内面との対話のシークエンス。「お前は本当は涼宮ハルヒに振り回されるのが、楽しいんじゃないか」という問いにも「楽しくねえはずないだろうが!!」と吠える。そりゃあそうだろうなぁ、とわたしはそこを観ていて納得してしまう。超能力者や、異世界人や、未来人がいるような世界とか、楽しすぎであろう。
日常の世界では何をどれだけ望んでも、それだけの非日常は手に入れることはできない。不可逆なのだ。だから、キョンが言った「楽しくねえはずないだろうが」っていうセリフに、わたしはライトノベル賛歌のようなものを感じることもできるだろうと思う。おまえら、中二中二とライトノベルのトンデモ設定を馬鹿にするけど、能力とか痛々しい設定とか、ちょうおもしろいじゃんかよ!! 素直になれよ!! 中二の定義がもはやバラバラすぎて統一不可能になっているのでこのたとえを使うのが適切なのかどうかわからないけれど、そんな感じ。
まあそうはいってもキョン君が選んだのは非日常が日常となった世界であって、結局のところ現状維持を選択したにすぎない。どんな生活にも終わりはくる。非日常が日常化した世界も、いつまでもそのままでいられるとは限らない。そのこともこの劇場版の中では暗示されていて、なんとも寂しい気持ちになったりした。ちなみに一番かわいいなぁと思ったのは長門ではなく、寝袋に身体をうずめたまま芋虫のようにぴょんぴょんととび跳ねるハルヒだった。なんだこれ! だれかやってみせて!(え?
エンディングロールの後に、長門が読んでいた本は「たった一つの冴えたやりかた」だと思います。「たった一つの冴えたやりかた」のあらすじは、少女がエイリアンと共に、危機を乗り越えていく。最後に二人は友情でもって繋がれて、「人間とエイリアンでも、わかりあうことができる。友達になることができる」ことを証明する。それを最後に長門が読んでいるっていうのは、そこまでのお話を考えるとすごく感動した。ちなみにこの作品の訳者である浅倉久志氏は、2月14日に亡くなってしまったそうです。常にSF翻訳のどこかに存在していて、まるで空気のような存在だったので実感がわかない。
- 作者: ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア,浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2008/08/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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