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IGN Japanから原稿依頼があり今度サイバーパンクについての大きめのコラムを書く予定があるので、昔やった『VA-11 Hall-A』を思い出すためにプレイし直していたんだけど、これがおもしろいよなあ。尋常ではないぐらいに「ノベルゲーム」としての文章がうまい。一瞬でこちらを惹きつけるテキスト、政治と性と暴力が絡み合った「危険な」社会の描き方、そうした社会で生きる人々の日常、そのすべてが。
当時プレイした時に書けばよかったのだけど(2017年ぐらいかな?)今回軽くやりなそうと思ったら最後までプレイしてしまったので、超今更ながらも軽く雑感を書いておきたい。どうしてもブログにこのゲームの記事を残しておきたかったのもある。
本作は、近未来のサイバーパンク都市における日常のやりとりを、バーテンダーとして生活する一人の女性ジルの視点を通して描き出していく物語、ゲームである。舞台は、腐敗しきった政府と大企業が仕切る未来の都市グリッチ・シティ。監視社会化の進展は著しく、人々は体内にナノマシンを入れており、それも監視に利用されようとしている。政府の腐敗や支配的な大企業・富裕層への抗議として、そこら中で暴動が起こっていて、外の銃声もそう珍しいことではない。そうした市民の暴動を止めるため、ナノマシンを用いた人体の緊急停止までもが検討されている荒れた社会だ。
ゲーム部分について
プレイヤーが視点者となるジルは27歳の同性愛者の女性で、それなりにしんどい過去を持ちながら、バー、VA-11 Hall-A(ヴァルハラ)で働いている。ゲームプレイとしては、彼女に同調して、毎日バーに出勤して、そこにやってくる人々にいろいろなカクテルを調合してお出しするという、ただそれだけのことをやる話である。カクテルを作る部分にはゲーム性があるが、項目を選んで何秒ふるかを選択するぐらいで、ほとんどゲームともいえないゲーム部分だ。しかし、凄まじく雰囲気が出る。
カクテルを作るのに、客は「ビールをくれ」とわかりやすい指定を言ってくるだけではない。時には「男らしいものをくれ」といい、時には「いつもの」をくれ、といって、まるで謎掛けのようなものになっている。そうした注文を受けて、プレイヤーは「なんだったっけ?」とか「男らしいっていったらこれかな?」と推測を重ねて酒を提供し、客の反応をみていく。常連がいつも注文しているものを覚えて、はいはいいつものあれね、と次第に客の個性を熟知していったり。カクテル調合はゲーム性があるとはとてもいえないようなゲーム部分だが、ゲームをやっている時のこっちの気分は完全にバーテンダーになっていて、雰囲気としては最高に際立っている。
VA-11 Hall-Aは儲かってもいない場末の横道にそれないと見つからないバーで、ワケアリの客しかこない。読者をバカにして、くだらない記事を量産している自嘲する新聞の編集長。水の中に浮かぶ脳みそだけの客、殺し屋を名乗る男、探偵、ロボアイドル、AI搭載のロボットだが、性産業に従事する幼女にしかみえない女の子、ハッカー、家出してきた女の子など。だが、日々そうした人々の日常や裏話を聞くうちに、この腐った都市における”生活”が淡々と浮かび上がってくる。
サイバーパンク世界の日常
サイバーパンクといえば「大きな事件」を扱うもの、というイメージがある。だが、VA-11 Hall-Aが扱うのはサイバーパンク的な世界における「人々の日常」だ。隣に当たり前のようにAI搭載で人間にしか見えないロボットが過ごしている日常。脳の情報をサーバにアップロードして無限に生きることができるかもしれない世界の日常。体のほとんどが機械化されている人、能力を底上げするために肉体を切り離して機械に変える人がいる日常。そうした当たり前の日々が描き出されていくゲームなのだ。
ジルは淡々とした女性で、バーに立ちながら客の私情には立ち入らず、最初のうちはただ相手の話を聞き続ける。だが、物語が進むうちに彼女の物語が前景化する。それは、実を言えばそんなに大したことがない問題だ。昔付き合っていた女性と喧嘩別れしてしまっていて、謝れないままに数年経ってしまったとか、そうやってもやもやしている間に相手が亡くなってしまって、昔は仲がよかった彼女の妹に責められて苦しいとか。でも、そういうある意味では当たり前の葛藤を、この「サイバーパンク世界」で淡々と描き出していったところにこの物語、ゲームのおもしろさがある。
当たり前のように暴動が起き、外では爆発音が響き渡り、いったいこれは何の音なんだろう、何が原因なのだろうと恐怖しつつも話し合って賭けをする。そうした日常と非日常が混ざりあった世界で生きることの意味も同時にここには描かれている。
それは、サイバーパンク性とはあまり関係がなくて、このゲームの開発者らがベネズエラの人々であり、あちこちで暴動が起こり、企業が機能しなくなり、食べ物の価格が跳ね上がり、親族が職を失って食えなくなるような、過酷な人生のアップダウンを経験してきたことと関係している。ゲームであり、サイバーパンクではあるが、同時にベネズエラの歴史と、そこから地続きの現実を描き出す文学でもある。
Chris:まったくその通りです。確かにベネズエラに暮らしていると、非日常的なことが思い切り日常的に感じられるようになります。昔は生活が一時的に良かった時がありました。景気がよくなり、ちょうどティーンの頃はとても楽しかったです。ですが、また景気が落ちてくると、あちこちでデモが起きたりして……。その時の政権に反対する人々がデモを起こすのですが、そういう人々が捕まって死刑になることは普通にありますし、大規模なデモが起き、警察の手で140人ほど殺されたという事件もありました。この間、ニュースで見た動画なのですが、空港で誰かが爆弾をしかけたらしく大きな爆発がありました。その事件でも100名ほどが死んだのですが、周りの人の反応が驚くほど薄いのです。歩いている人は目の前で人が死んでいるのに動画を撮影したり、笑っていたり、「あ、そう。ボーディングパスちょうだい」といったような反応です。それを見て「なにこれ!」と笑っている人もいるし、今のベネズエラを見ると、何が日常的で何が非日常的なのかがわからなくなってきます。*1
人が死ぬことが常態化してしまっている社会。だが、人が死ぬことが日常ではあっても当たり前だと描いているわけではなく、そこには確かに悲しみと苦痛がある。なぜこのような社会なのかと嘆きながら、そこで生きていかねばならない理由もそこで暮らす人々にはあり、その日の家賃を稼ぐために、毎日バーに向かって出勤をする。
日常を描き出すといってもこのゲーム、主人公のジルの視点からみるとそうというだけで、断片的に明かされる情報を統合すると背後で起こっていた大きな事件の全体像がわかってくる……という配分のバランス感覚も絶妙なのだけれども。
おわりに
先に書いたように、ほんの一文でこの物語に読者を引きいれる手腕が並外れている。たとえば、親の期待が重くて、親の言う通りになりたくなく、アルコールの臭いをプンプンさせて帰りたくてバーにやってきた未成年の少女に、ノンアルのカクテルを出し、あなたは相手を傷つけるために自分を傷つけるべきじゃない、と諭してみせる。
人を傷つけるために何かをして、それでどうなるの? 好きなことをしてそれでお母さんががっかりするなら、あなたにはお母さんに抗議する権利がある。 でも、好きでもないことをして自分を傷つけてお母さんまで傷つけようとしてるんなら…
好きでもないことをして、自分を傷つけ、さらに他人を傷つけるなら、自分が好きなことを見つけて、それを貫き通すためにどうしようもなく他者を傷つけるべきだ、と諭してみせる。決して相手を否定しているわけではなく、かといって肯定しているわけでもなく、自分自身の人生を生きるためにどうしたらいいのかを伝える。
これは単なる少女への対応だが、新聞社に勤める女性、市民の平和を守るため、しかしそこで裏切りにあった女性、セックスワーカーのアンドロイド……様々な人の悩みや葛藤と相対し、時に解決法を提示し、時にただ話を聞いてやる。そうした一つ一つの描写が積み重なっていった先には、なんてことがないことなのに、大きなエモーションがある。もちろん、それを盛り上げる素晴らしいデザインに、音楽も外せない。
本作を久しぶりにプレイしたり、森博嗣の同じくサイバーパンク日常ものともいえる『彼女は一人で歩くのか?』から始まるWシリーズ、WWシリーズを思い出して、SF、というよりサイバーパンクは「日常」を重視してこなかったのかもしれないと思う。ここには、大きな鉱脈があるのではないか。10〜15時間で終わる、規模は小さい作品なのだけれどもここにある雰囲気は最高だ。もうプレイすべき人の多くはやっていると思うが、久しぶりにプレイして、思わず文章を書き始めてしまった。
もうすぐ続篇である『N1RV Ann-A: Cyberpunk Bartender Action』が出るから、そういう意味ではここで振り返っておけたのは良かったかな。制作では、途中ベネズエラで大規模な停電があったり、国情が不安定化したりで国外で散り散りになったりと大変な目にあっていた/いるようだ。*2
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