『ディアスポラ』は「イーガンはほとんど独力で現代SFの最先端を支えている」と大森望氏に言わせるほどのSF作家、イーガンがたどり着いた極致、といえるでしょうね。ここまで思考を徹底して、未来へ、人間から遠く離れた部分へと飛ばすことができるのは、他の作家には真似できないでしょう。それぐらい読んでいて、衝撃を受けました。少しでもこの『ディアスポラ』について聞きかじったことがあるならば、その際に必ずと言っていいほど「難解である」という評価も一緒に摂取したことがあるでしょう。そして、難解であるからといって手を出すのをためらうこともあるかもしれません。わたしも前に一度読んでみて、その時は2ページ程読んだところで「わけがわからん……」と絶句して放り投げてしまいました。しかし、それは少し、いやひょっとしたらかなり、かもしれませんが、損をしているんじゃないかな。それぐらい、面白く、何が何だかよくわからないが、でたらめにスゲェ! からです。そして、実はいくつかの点を踏まえれば、それほど難しくはありません
なぜなら、物語自体は至極簡単なものとなっているからです。冒頭は格別に難しく、それはいきなり理論的な説明、わたしたちにとってなじみのない世界が多くの説明をせずに溢れてくるわけであって、理解できるはずがないからで。読み終わった時のお楽しみだと思っておいた方がよろしいかと。その後も物理的な理論が恐ろしく難しかったりしますが、その説明は正直言って、読み飛ばしてもあまり影響はないものばかりです。これは、身体を捨て、人格や記憶をデータ化し、仮想都市のようなところで過ごしている人たちのお話です。その彼ら(性別はとうにないのですが)が、この宇宙に自分達が存在している意味、この宇宙の謎の解明、他の種族とのコンタクト、などを目的として、宇宙へ散り散りになって行く冒険SFになっています。たとえ、その散り散りになっていく彼らが既に肉体を棄てていて、自分の価値観、性格なども自由自在に設定でき、不死性さえも獲得している、わたしたちはまったく違う別の何かであっても、わたし達はそれを読んで、おもしろいと感じることが出来る。これは凄いことだなあとイーガンを読んでいると、良く思います。
わたしがイーガンを凄いと思う点は、わたし達が未来を発送する時に、思い描いているような壁をたやすく超えていってしまうところです。たとえば、人間に身体は必要ないんじゃないの? という疑問は常に提起されてきたとは思うのですが、イーガンほど大胆にやった人はいないでしょう。「え? そんなに人間って、改変してええの?」と読んでいるとびびります。今まで読んだSFのどれにも、だいたい人間は人間のままで、だいたい身体はあるし、姿かたちが多少変わっていても精神構造はわたしたちとほとんど変わらないままでした。イーガンは、身体も、精神構造も、何もかも思うがままだ、と価値観をガンガンぶち壊していく。すでにある共通知識というものを、ブルドーザーで更地にしていくような強引さがあります。そこはきっと、イーガンがSFファンに熱烈に支持されている点でもある。SFファンはきっとみんな、あっと驚かせてもらいたいんです。世界が反転してしまうような興奮を求めているのです。
ただ、それがむなしくなることもあるわけです。どんなに正しい! 凄く、知的に興奮した! と思ってしまう世界が反転してしまう真実みたいなものを獲得したとしても、わたしたちはそれさえもまた反転しろ、と思ってしまう。終わりが無く、くるっくるっくるっと反転し続けることに、疲れてしまう事もあるかもしれない。これはだいたいなんにでも当てはまるでしょう。わたしたちは何かを求めて、思えば比喩的な意味で、随分遠くまでいってしまうこともある。その時、何かを確信して前に進むことが出来るのか。それとも何が何だかわからなくなって足を止めてしまうのか。この物語に主人公がいるのかはわかりませんが、「ヤチマ」という存在が生まれるところからこの物語が始まることを考えて、彼を主人公としましょう。彼も、状況に突き動かされて随分と遠くまで行くことになる。彼はその後、宇宙の果て、故郷から二百六十七兆九千四十一億七千六百三十八万三千五十四レベル離れたところまで旅をして、そして「なぜあなたがたはこれほど遠くまできたのか? なぜ自らの同朋を置き去りにしてきたのか?」にという、自分に向けられるであろう質問に対する答えを見いだす。「あらゆる文学形式の中でSFだけが与えうる深い感動。そのもっとも純粋なかたちがここにある。」解説からの引用ですが、うん、これは凄いですよ。
- 作者: グレッグ・イーガン,山岸真
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2005/09/22
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