ハーバード大学でめちゃくちゃ人気な、正義を巡る講義の書籍化です。人気すぎて今はNHKで、ハーバード白熱教室とかいうアホみたいな番組名で講義を放映するわ、YOUTUBEでも講義が見れるようになるなど、それぐらい凄い講義なのです。どんな講義なのか? というところをもう少し詳しく書けば、答えの出にくい様々な状況、事例(たとえば1人殺すか5人殺すかを選ぶしかない状況に陥った時、どちらを選ぶのか)を引き合いに出し、様々な主義からの解答を列挙し「功利主義はこうで、自由主義はこうで、カントはこうで、ロールズはこうで、アリストテレスはこうで、コミュタリアンはこうだ!」擬似的な議論をさせ、正義とは何かを問うていく。
個人的に一番良かったのがやはり、今書いたような正義についての体系的な議論が行われているおかげで、この本一冊で正義に関しての言質はおおざっぱに理解できるように描かれている点。まあそのせいで圧縮されていて相当わかりづらい部分(カントの定言名法とかわけわかんねぇ)もあるのだけど、やはり一つの物事について頑張って学ぼうと思ったら、フローとしての個別情報をいくら集めても全体像が見えてこない。たとえばカントだけずっと勉強してもダメで、カントの発言がどういう歴史的な流れの中、どういう哲学の流れの中で出てきたのかを理解しないと体系として身につかないわけで、アリストテレスからロールズ、カント、自由主義から功利主義までと、各自の説にあげられた問題点まで解説してくれたのは非常にありがたく、またわかりやすかった。
また「正義とは何か」という「人それぞれ」としか答えようのないと思える問いに対して「議論していきましょう」だけではなく、著者なりの「答え」がちゃんと出ていたのも良かった。著者のマイケル・サンデルさんはコミュタリアニズムの代表的論者として知られているようだ。ぼかぁ不勉強なので自由主義も功利主義もコミュ足り安もカントもロールズもアリストテレスもほっとんど知らない、真っ白な状態といってもいいのだけど頑張って読んだらある程度は理解できた、と思う。何しろ読みとおすのに二週間ぐらいかかった。ここ最近こいつのせいで他の本が読め無かったぐらい。まあそれぐらい頭が悪いと言う事なのだが……、一応下に書いたのはその苦闘の残り。
本書で語られている正義についてのアプローチは最終的に三つある。
一つは功利主義的な立場で、1人か5人絶対に殺さねばならない状況ならば、1人殺すべきだという、少しでも多くの人間が幸福になれる方向をとる、最大多数の最大幸福こそが正義なのだとすること。二つ目はカントとロールズが言うような、正しさは善に優先するという考え方。正義とは対立しあう意見に対してすべて中立であらねばならない、「自由に選択できること」こそが正義なのだという、まあリバタリアン的な立場(ちょっと違うけど)。三つ目の考え方は、相互的尊重に基づいた政治を行う、本書の言葉を借りて言えば「共通善」を目指して政治を行って行くと言う考え方。著者が支持するのは三つ目である。
功利主義には欠点があって、一つは正義と権利を言質じゃなくて計算の対象にしていること。二つ目は人間の善をたった一つの統一した価値基準に当てはめていることである。なので問題は、「個々人が自由に選択できることこそが正義だ」という自由主義と「自由に選択して俺は俺の道を行くぜ! だけじゃ社会は成り立たない」という共通善のコミュタリアン的な立場の、どちらがより正義として矛盾なく成立するかの議論になる。
リベラルな政治論というのは、政治と法律を道徳的・宗教的賛否両論から切り離す為に生まれたと言います。何しろ人間ですから、みんなで議論したら多種多様な意見が出て政治と法律を満場一致で決めることはできないからです。満場一致に出来ないなら、多数決にするほかないが多数決になった場合切り捨てられた少数派の自由、意見は奪われることになる。なのでリベラルな政治論が必要なのだと言います。
それに対して共通善的な立場からの反論は、「自由な判断」と人はいうが、その自由な判断には常に「偶然性」が入っている時点で自由な判断ではないというものです。たとえば生まれた場所、親の宗教、ご先祖様、兄弟親そういった全てのものに私達は自分の考え方を変えられてしまい、つまりそういったものすべてが私のアイデンティティである。自由な判断と人は言うが、我々の判断には家族や国、宗教と言ったコミュニティの伝統がつらなっている以上、「私」にだけ選択の責任があるのはおかしいではないかと言っている。
そして、だからこそ相互的尊重に基づいた、宗教や家族、国といったものを勘定に入れた「おまえはおまえ、おれはおれ」みたいな寂しい政治ではなく、考えをすり合わせて「共通善」を目指す政治が必要ではないかというのが著者が出した一つの結論である。色々なところで言われているように「その共通善が具体的になんなのかお前の説明からじゃわかんねーんだよ!」という批判は当然あるけども、うーん、それについては常に一定の解があるわけじゃなく、常に考え続けていくものなんじゃないのかなという気はする。ああ、だったらこれって結局最初に言ったように「議論していきましょう」という結末なのかなぁ。よくわかんないや。
あとよくわかってないことについてこんなこというのもなんだけど、リバタリアン的な自由主義に対する批判点としての「人間は伝統、偶然から逃れられない」はイーガン的世界観になればほとんど解決するな、と思いました。共通善が曖昧だということもあるのだけど、科学が進歩すれば現時点の自由主義はより進化した形でほとんど完全な自由を達成すると思っているので、どちらかといえばぼかぁリバタリアンの立場になるなぁと思ったわけでした。
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
- 作者: マイケル・サンデル,Michael J. Sandel,鬼澤忍
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/05/22
- メディア: 単行本
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